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伊丹十三の映画術

 伊丹十三が、日本の撮影現場にもたらした最初の変革は、当時まだCMの現場などでしか使用されていなかったテレビモニターの導入だろう。
 今や映画の現場の大半で導入されているカメラからの映像を、モニターに映しだして監督が確認するという行為は、一昔前まではカメラマンの職域を侵すものとして忌避されていた。
 実際、『タンポポ』の撮影を担当した田村正毅(たむらまさき)は、後にその不満を口にしている。しかし、どこを切っても全篇伊丹印が刻まれた強烈な個性を放つ伊丹の現場には、モニターを介した演出は必要不可欠なものだった。

 俳優出身監督ならではの、厳密な演技を指定したことも伊丹映画の特徴だった。
 台詞の言い回しを、わずかでも変えることは許されず、息つぎ、間、抑揚も細かく指定された。ベテラン俳優にも同様の応対だった為に、山崎努は初期の3本に主演した後は、息苦しさを感じてオファーを断り、丹波哲郎、三國連太郎は、公にこうした伊丹演出を批判した。
 一方で、宮本信子、津川雅彦、菅井きん、大地康雄らは、伊丹の方法論を受け入れることで、演技の幅を広げることに成功したことは、演技賞受賞の記録が証左になるだろう

 俳優時代後期の伊丹は、素顔で演じるだけでは飽きたらずに髭やカツラなどを用いたが、監督になってからも特徴ある髪型やソバカス、赤面といったメイクを好んで劇中に取り入れている。それが高じて、通常の劇映画にハリウッド帰りの特殊メイクアーティストを起用して、大きな耳、コブ、乳首などを俳優に装着させるという日本映画には前例のない大胆な試みを行なっている。

特殊技術においても、『マルサの女2』以降は監督になる前の山崎貴ら白組が専属で伊丹映画のデジタル合成を担当。当時は特撮を主にした作品以外にこういった技術を導入することがほとんど無かったために、伊丹の試みは理解されなかったが、現在の日本映画では当たり前のようにドラマに用いられているVFXの数々を試行錯誤しながら先取りした伊丹映画は、80年代以降の日本映画の原点として改めて注目する価値があるだろう。



初出『映画秘宝 2012年1月号』に加筆修正

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映画監督伊丹十三とは何者だったのか? 伊丹十三と伊丹映画を、13本の記事と4本のコラムをもとに再発見する特集です。

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