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伊丹十三はいかにハリウッドで映画をつくろうとし、挫折したか

アメリカでヒットした異色の日本映画


 伊丹十三の監督デビュー作から3作目までの絶好調ぶりを、『キネマ旬報』のベストテンのランキングと、配給収入の数字から見てみると以下のとおり。

  1. 『お葬式』(『キネマ旬報』ベストテン1位/配給収入12億円)

  2. 『タンポポ』(『キネマ旬報』ベストテン11位/配給収入6億円)

  3. 『マルサの女』(『キネマ旬報』ベストテン1位/配給収入12億5千万円)

 こうして並べると、『お葬式』(84年)と『マルサの女』(87年)に比べれば、『タンポポ』(85年)は評価も興行も一段落ちるような印象を持ってしまうが、他の2本の数字が良すぎるのでそう見えるだけで、評価、興行も悪い数字ではない。伊丹の趣味が強く出ている分が数字になって表れたということだろう。
 だが、これは日本での数字でしかない。『タンポポ』は他の伊丹映画と全く違う独自の道を歩んだ作品だった。アメリカで予想外のヒットを見せたのだ。
 1986年12月にニューヨークのジャパン・ソサエティーの初上映、その後も日本映画特集の1本として上映されると話題を集め、1987年に一般公開されると200万ドルの興行収入を記録した。
 実際、半年以上にわたって『バラエティ』誌の興行欄の50位圏内にとどまり続けるロングランヒットとなり、その年のアメリカで公開された外国映画の興行成績では5位にランクインしたほど。
 なお、この時代のアメリカでヒットした日本映画は『影武者』(興行収入400万ドル)、『乱』(730万ドル)などがある。

 これ以前からも、日本映画が海外で公開されることはあった。例えば第1作の『ゴジラ』(54年)は、特撮の出来が良いことからアメリカの映画会社に買い取られ、追加撮影・再編集を行って〈アメリカ映画〉へと作り変えられた。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(54年)で妻を殺した疑いを隣人からかけられる男を演じたレイモンド・バー演じる新聞記者が、日本に立ち寄った際にゴジラの上陸に遭遇するという内容に変わり、あたかも『ゴジラ』の主要なシーンにバーが立ち会っているかのように編集によって作り変えられた。日本人が主役では売れず、反戦のメッセージも邪魔だったからだ。こうした誤魔化しが功を奏し、『Godzilla, King of the Monsters!』(56年)の題で公開され、50万ドルを稼ぎ出した。日本でも『怪獣王ゴジラ』の邦題で逆輸入されて〈外国映画〉として公開されている。

 また、これまでも溝口健二、小津安二郎といった日本人監督たちの作品が海外で公開されることはあったが、都市のアートシアターでの上映が中心だった。それが『タンポポ』は一般劇場で公開された〈外国映画〉としてヒットし、伊丹の名はハリウッドからも注目を集めるようになった。アートフィルムの監督ではなく、ハリウッドで商業映画を撮り得る存在としてクローズアップされたのだ。この時期のハリウッドは、オランダから進出してきたポール・ヴァーホーヴェンが『ロボコップ』(87年)を撮ってヒットメーカーに躍り出ていた。伊丹は当時の日本映画でハリウッドに最も近い映画監督だった。

アメリカ版伊丹映画の悪戦苦闘

 『タンポポ』が日本以上にアメリカで受け入れられたのは、〈ラーメン・ウエスタン〉のスタイルで『シェーン』(53年)を換骨奪胎したストーリーを作り上げたことが大きい。ラーメン店を一人で営む宮本信子にしても、ふらりと店に入ってきたトラック運転手の山崎努にしても、日本人的なウエットなキャラクターではなく、アメリカ映画的な人物造形を意図的に模倣している。それが結果として、アメリカでスムーズに受け入れられる理由となったわけだ。
 そして、次回作『マルサの女』もまたアメリカ映画的なハードボイルド・スタイルを目指して作られた。男たちに怯むことなく挑み、かつ愛嬌のある宮本信子が演じた主人公も、日本映画には珍しい自立した女性像として描かれている。
 税金を取り立てる側と取り立てられる側の攻防という物語も『タンポポ』に続いてアメリカで受け入れられ、シカゴ国際映画祭で宮本信子は主演女優賞を受賞した。伊丹は「芸者でもないし、時代劇でもないし、東洋の神秘でもないところで、貰ったわけですからね。純アメリカ風のキャラクターの設定だからね、あれは」(『イメージフォーラム』1988年2月号)と、アメリカでの評価を喜んだ。
 実際、『マルサの女』は、このままアメリカに舞台を置き換えることが可能だったこともあり、ハリウッド・リメイク企画が進んだ。伊丹もロスに会社を作り、本格的なハリウッド進出が検討され、アメリカの国税局にあたる内国歳入庁(IRS)などへ取材を行って、“A TAXING WOMAN”の可能性を模索した。ウォルター・ヒル監督がリメイクといったニュースが聞こえてきた時期もあったが、実現しないまま今に至っている。

 結局、ハリウッド進出目前まで到達しながら、実現せずに終わったのは、〈伊丹映画〉を撮ろうとしたためではないかと思われる。日米のカルチャーギャップを描いたコメディなど、伊丹らしい映画になりそうな企画も進んでいたが、最終的に伊丹が納得せず、中止となっている。
 自費で製作費を賄い、隅々までをコントロールして〈伊丹映画〉を作り続けてきた伊丹にとって、ハリウッドという巨大なシステムの中で、監督という歯車のひとつだけを担うのは納得できなかったのだろう。『スーパーの女』(96年)の頃には「自分の代では、ちょっと難しい」と撤退を認めている。
 だが、時を同じくして、かつての『タンポポ』のように全米公開された日本映画があった。『マルサの女』『マルサの女2』(88年)のメイキングを監督した周防正行の『Shall we ダンス?』(96年)である。

日本映画のハリウッド進出

 日本映画がアメリカで公開されること自体は規模を問わなければ珍しいわけではないが、ヒット作となると限られている。実写では『Shall we ダンス?』『影武者』『万引き家族』『おくりびと』『座頭市』などが上位に見られるが、ここにアニメーションを加えると、それまでのアメリカに受け入れられた日本映画との差に驚かされる。
 以下に興行収入上位5本を挙げると、『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』『ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』『劇場版 呪術廻戦 0』『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』となっており、その下に『借りぐらしのアリエッティ』『崖の上のポニョ』などが続く。実写は時代劇か伊丹映画テイストの特異な視点から日本人を描いた作品が受け入れられているのとは対照的に、アニメはキャラクターの人気が強い。

 伊丹が『タンポポ』1本でハリウッドに市民権を得たように、ハリウッド進出を目論む監督は少なくない。だが、伊丹と同じく、かんたんに話は進まない。半世紀前から、黒澤明も『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』でハリウッドのメジャースタジオで大作を手がけようとしたが、後者は実際に撮影にも入ったものの、様々な問題が押し寄せ、降板を余儀なくされている。
 変動が起きたのは、Jホラーの世界的なヒットである。『呪怨』(03年)をアメリカでリメイクした『THE JUON/呪怨』(04年)は日本版の監督・清水崇がリメイク版も手がけ、全米興行収入2週連続1位を記録し、続編も製作された。『リング』シリーズの中田秀夫も、アメリカ版『ザ・リング』(02年)の続編『ザ・リング2』(05年)でハリウッド・デビューを飾っている。
 他にもヒットとはいかないものの、アメリカ資本のアメリカ映画を撮る監督たちは現れているが、2023年現在では、濱口竜介がアメリカ映画に最も近い位置にいる監督と言えるだろう。
 伊丹十三が「自分の代では無理だろう」と予言した通り、その死から25年を経て、代替わりが実現しそうだ。



初出『新映画をめぐる怠惰な日常』に加筆修正

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映画監督伊丹十三とは何者だったのか? 伊丹十三と伊丹映画を、13本の記事と4本のコラムをもとに再発見する特集です。

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