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#02 ひなたの道

こんにちは☺︎ もるです
今回は私の夢についてお話ししたいと思います。



はじめに

私の夢は公認心理師(カウンセラー)になること。

どうしてカウンセラーになりたいと思ったのか?

今日はこのことを書いてみたいと思います。


①こころの声  

前触れもなく突然降りかかってきた日のことを、私はきっとこの先一生忘れることはないと思う。


「わたし、何のために生きてるんだろう。」

コロナ禍で当時は全てがリモート授業。パソコンとただ向かい合う日々。
入学してすぐ登校禁止になったこともあり、当時は大学の友人が1人もいませんでした。


毎日がとてつもなく長く感じる中、コロナ禍でも充実した日々を過ごしている同世代の人たちをSNSで見かけたり、中高の同級生たちの様子を聞いていると、何とも言えない後ろめたさと虚しさでいっぱいになった。

「私にはない」と。



徐々に虚しさと苦しさからか上手く自分の感情を見つけられなくなり、ある日を境にあまりに気分が悪くなってSNSをシャットアウト。
友人からのLINEも全部既読無視しました。

どうしても私は同世代のキラキラしている子たちのようになれなかった。
なろうとするともっとしんどかった。

家族は私に「こういうことしてみたら?ああいうことしてみたらどう?」と励ましてきた。
もちろん、優しさゆえの言葉で、悪気は少しもなかったのはわかっている。
でも、気持ちは追い詰められるばかり。
心が痛かった。でも、痛いといえなかった。


あの頃は夜になると特に苦しくて、家族も心配してくれたけど家族の顔を見るのも辛くて、布団にくるまっては毎日訳もなく泣いてた。
もうこのまま消えられたらどんなに楽なことかと、何度も思ったりした。

このままじゃ本当におかしくなると冷静になって気がついて、重い身体を起こしてオンライン相談(チャットみたいなやつ)に相談してみようと思い立って調べてみた。

でも、いくら待っても繋がらなくて、何度も試したけどどんどんもやもやが募って、諦めてしまった。


「そうか、私はもうだめなんだ。」

喪失感でもうなにをする気にもなれなくなってしまった。

今振り返ったら、あれはれっきとした抑うつ状態で、極度のストレスを感じていたんだろうなと思います。

そんなこんなで1ヶ月ほど家に引きこもって本当に何もしないでいると、一時的に症状が落ち着いてきて、自分が心病んでいたを改めて実感した。
なんか抜け出せたような気持ちでほっとしたのと、悲しさと。
不思議な気持ちだった。


このときはやっぱりまだ友人とか同世代の人と接することは苦しくてテレビもSNSも避けていたけど、誰かと会話することはちゃんとしたいと思うようになって、家族や祖母と話す時間はすごく大事にしてましたね。

コロナが落ち着いて、少しずつ大学に行けるようになって、徐々に症状は和らぎましたが、今でも長期休みに入るとあの時のことを思い出しては涙が出てくることがあるのも事実で。


今になって思うのは、自分のこころの声をちゃんと聞いてそれに身を任せて、時間をかけてゆっくり向き合うことが1番の近道なんですよね。
変に「頑張らなきゃ」とか「ちゃんとしてなきゃ」と思うことが返って自分を苦しめてしまう。もっと自分に正直になれたら人生もっと明るいのかなって。多分当時は焦ってばかりで、ちゃんと労れていなかったんだと思います。


こんな私だからこそ、今度は同じように苦しむ人の力になりたい、苦しみや痛みを知っているからこそ余計にそう思っています。
もしかしたら誰かのためだけじゃなく、自分のためでもあるのかもしれませんね。


②友人たち

3人の友人たちに出会ったからこそ、今の私があると言っても過言ではないです。


1人は中学時代の友人。

かわいくて、面白くて、やさしくて。私にないもの全てを兼ね備えている、そんな女の子。

でも高1の夏、彼女は学校に通えなくなっていました。
いじめを受けていたんです。

知った時は本当に悲しかった。(もちろん一番辛いのは本人だけど)

世の中を、人間を、ただただ恨んだ。


今も当時の影響からか、彼女は生きることに怯えています。
一生に関わる大きな心の傷を負って、今日も生きています。

そんな彼女ですが、先日「いつか大学に行ってみたい」と話してくれました。嬉しかった。そんな言葉が聞けるなんて思ってもいなくて。

ちゃんと前に進んでいるんだなと、長年関わってきて一番実感できた瞬間でした。

彼女と接してきた時間をどうにか生かせないか?
今もずっと考えています。

2人目はてんかんを患っている友人。

クラスも部活も一緒で、いつも私のことを気にかけてくれる本当に優しい子。

ある日の練習中、彼女は急に発作を起こし、目の前で倒れました。
人生で目の前の人が倒れるなんてこと経験したこと無かったので、私もパニックで。その後の記憶があまりありません。

後に彼女は病気のことをきちんと教えてくれました。

相当な勇気が必要だったろうと思います。でも、病気と向き合いながらひたむきに進んでいく彼女の強さに、何だか逆に励まされてしまって。

ハンデを抱えていても懸命に今を生きる姿をみて、私もそういった人たちのことをもっと知りたいと感じるようになったきっかけをくれました。
元気にしてるかな・・・?

3人目は児童虐待を受けていた友人。

中学の時クラスで唯一仲良くしていた彼女が、ある日を境に学校に来なくなった。しばらく経ったある日ようやく姿を見せた彼女は、
「実は、保護されてたんだよね、わたし」

表情を変えずにさらっと言われた一言が、私の心に鋭い刃をぐさっと刺したような、そんな気持ちで。何も言葉を返すことが出来なかった。
あの年で出来ることは何もなかったのだろうけど、あの時どうしたらよかったんだろうなと今でも思います。

身近にそういう子がいるなんて、まず驚きで。それと同時に自分がどれだけぬくぬくと生きていたのか、親に甘えて生きていたのか。自分は子どもだと感じさせられました。

私にできること

いろんな過去がありましたが、
自分にも3人の友人たちに対しても、すごく後悔していることがある。


あの時わたしは何もできなかった。
分からないなりに考えてみたけど、それでも分からなくて。
かわいそう、助けてあげたいという安易な気持ちで、同情だけで接してしまった。

本人たちはきっとかわいそうな子として接してほしいなんて思っていなかっただろうに、どこか特別に感じてしまっていた自分を情けなく思うし、失礼なことをしてしまった。

どうすれば良かったんだろう。
心にずっと刺さって抜けないでいる。



私に今できること。

これからは何かできるようになりたい。
相手にどんなバックグラウンドがあろうと1人の人間であり、私も1人の人間として歩みよれるようになりたい。
決して同情だけではなく、対等な人間として。

これに尽きると思っています。

ただただその夢に向かっていきたいです。


今日はこの辺で。

次回もぜひ👋

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