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レベッカの「十七歳の地図」

3年間はどのクラスにも属していなかった。
協調性に欠けてる2人+2人、時々+2人ぐらい。
協調性に欠けてる2人の会話の内容は、よく言えば理詰の討論、賢くないのでただの言い合い。私が射手座で友達の乙女座の相性は悪い。勝手な自分の思い込みだけどこれまでの人生、乙女座とは相性がとても宜しくない。特に彼女はABの乙女座だ。私がB型の射手座だったら友達になってた?揉めてた?それとも異常に意気投合してた?討論していた甲斐あってなのか、老いては程よい距離感で長らく友達を続けている。年に1回も合わないけど。

兎に角、4人は映画・Ghost Worldの世界を地でいってた。
イーニドが2人、レベッカが2人居るような感じ。
クラスやグループに馴染めない4人が集まっては、田舎すぎてどこにもいく場所がない私たちは好奇心とカッコだけでイーニド2人は浜辺か部屋で煙草をふかし、レベッカ2人は楽しく笑い転げていた。
田舎過ぎて、変わり者を観察する事はなかったけど。

一番一緒に居たのはレベッカの1人で、私はイーニドの癖にフワちゃん並みのテンションの子供で彼女はその相手をしていた。常に面白がっていてくれたし笑ってくれて、私の独特なキャラクターを楽しんでくれていたと思う。当時の彼女は常に笑顔が絶えない印象だった。趣味とか好きなものとか、なんの共通する話題もない間柄で、唯一彼女が夢中になって進めてきたのが尾崎豊の「十七歳の地図」だ。リアルタイム17歳で「十七歳の地図」のレコードを貸してくれた。私は所詮イーニドなので、当時は洋楽しか聴いてなく邦楽を下に見ていた私は「十七歳の地図」には全く共感できなかったし、むしろ暑苦しさや泥臭さを感じていた。岡崎京子の漫画みたいに煙草をふかしながら「ダサい」と心の中でスカしていた。ただ本来好奇心の塊なので、一通り聴いてレコードからテープに録音していたと思う。その後、テープを繰り返し聴く事はなかった。
今思い返すと、レベッカが「十七歳の地図」に心酔し共感していた理由が窺い知れる。

常に4人+時々+2人で一緒に居たけど、3年間でレベッカの家には一度しか行った事がない。いつももう一人のイーニドの部屋か私の部屋で集まっていた。レベッカの2人のうちの1人は家がなかなか遠かったのと同居する家族の関係でレベッカのもう1人の家に行く事はなかった。レベッカの家に行った事がなかったので、皆で遊びに行きたいと計画を話すとレベッカは常に随分遜った言葉で断ってきた。
3年間の最後の夏になんとなく再度遊びに行きたいと話をした時、レベッカが「家に来ていいよ。ただしお父さんが居ない時ね。」と言われたので、初めて彼女の家に行った。家はうちからそんなに遠くなく、三角屋根のこじんまりとした可愛らしい普通の家のように見えた。「どうぞ上がって」彼女に案内され、足を踏み入れたその時のレベッカの表情は覚えている。恥ずかしさと嫌さと緊張が入り混じったような表情だった。常に笑顔の彼女のそんな表情を見たのが初めてだったので記憶に残るぐらい印象が強かったのだと思う。家の中は特に驚く事もなく、きちんと掃除され手入れされている一般的な佇まいだった。私の家は商店街にあり1階が店舗で2階が住まいなので庭に憧れちょっと羨ましかった程度だ。
「この家はね、お父さんが大工さんなので1人で作ったの。」
「お風呂はね、後から付けたので外にくっつけたの。」
まるで言い訳をするような感じで一生懸命、家の説明をしていた。流石に人への感情に鈍い私でも彼女から醸し出される何かを恥じている違和感を察した。その時の印象から受けた感情は当時は形にできなかった。というか知り得なかった。何故そのような表情をするのかと思う前にそれを形にしてはダメなんだと一瞬で読み取ったので詮索も憶測も何もせず関心を持たなかった。妙な緊張感があるので会話は大して盛り上がらず、レベッカも長居せず帰って欲しいと言ってきたのでその日は早々に解散した。

誰でも高校3年生の後半というものは人生の中でも忙しい時期だ。進学や就職などの進路のほか、田舎は恋愛して卒業後すぐに結婚と妙に大人びた生徒がちらほら出てくる。当時、卒業式には既に妊娠している女子も何人かいた。大人びてきたクラスメイトが増えてきて、イーニド1人とレベッカ2人の関係は相変わらずだったけど、私がたまたま行ったLIVEで初めて同じ音楽の趣味が一致した友達ができて彼女達とは以前より過ごす時間が短くなって行った。卒業したら都会へ行く私は進学の事より、親にも了解を得る事もなくLIVEやレコードショップに行けると思うと夢中になっていた。イーニド1人は私と同じく都会へ進学し、レベッカ2人は地元に残って就職を決めた。
都会に出てからは、共通の趣味を持つ友達や新しい友達関係が増え毎日が刺激的で良くも悪くも眩しい日々だった。イーニド1人とレベッカ2人とはたまに集まって遊んでいた。そして卒業迎える頃には、イーニドの私はいわゆる少女特有の刹那的な時期も迎え、フワちゃん的な部分はさっぱりと削ぎ落とされ社会人になり東京で就職し生活を始めた。それから、東京に出て5年ぐらい経った頃だろうか?その間にはイーニド1人とレベッカ1人は結婚し新しい家庭を築いていたが、レベッカが家を出て「親から離れたい!」ともがき苦しむ旨を聞き、イーニド1人の家に世話になっていると知った。電話の向こうでレベッカが泣きながら「もう父親と一緒には暮らせない。本当は実家に居たくない。家を出たい、でも母親を看病しなければいけない。」今までレベッカが話さなかった家庭事情が一気に噴出してきた。

レベッカの父親は大工さんだが、現場で一緒に働いている職人さんに絡み問題行動を起こしては仕事を放棄して帰ってきてしまう。常に問題を起こしてしまう面倒な大工さんらしい。大工さんはほぼどこかに属して雇われる状態になるので、問題のある大工さんは雇い主から敬遠される上、田舎は噂が広まるのが早いので仕事も愕然と減る。その為、家には常にお金がなくレベッカの母親のパートが主な収入源だった。
問題は仕事先の現場だけではなく、家庭内でも暴行はないが言葉の暴力が妻とレベッカに向けられていた。言葉の暴力を長年受けていたストレスなのかレベッカの母親は度々精神科に入院していたらしい。母親が心配で面倒もあり、父親から自立する事も反対されていて家から出る事ができなかった。
そんな状態だと一緒に過ごした高校の3年間では微塵も感じられなかったし、周りの友達誰1人とも気がついていなかったし誰も知らなかった。そもそも田舎にマクドナルドなんて持ってのほかで、映画館、ゲーセンもなく、ウィンドショッピングをする場所もなければ、喫茶店にいくのが関の山なので、共に行動していても気がつける要素はなかったと思う。だって毎日どうでもいいようなしょうもないくだらない話ばかりして、笑いの絶えない馬鹿馬鹿しいぐらいの楽しい日々を過ごしていたんだよ。

なんのために生きているのかわからなくなるよ
手をさしのべてお前を求めないさ
この町 
どんな生き方になるにしても
自分を捨てやしないよ

尾崎豊 十七歳の地図

人に本音を言えない事より、自分に嘘をついている方が生きるのが辛い。
地元で自分を捨てていたレベッカには「十七歳の地図」の歌詞はどのように感じていたのだろう?

色々話しを聞いているうち、気分転換に東京に出てバイトでもしてみたらと提案したレベッカが上京してきた。
それから本質なのか反動なのかレベッカと私たちの関係性が悪化していく。

続く

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