見出し画像

「住みにくく、生きやすい」海外生活のすゝめ

私は生まれも育ちも日本で、18歳で上京するまでは地方都市でぬくぬくと育ったゆとり教育世代だ。

昨今、「生きづらさ」という文言がSNSやニュース、動画サイトなどで見受けられるのを鑑みて、「生きづらさ」ってなんじゃろかと思った。

個を尊重しない、様々な生き方を尊重しない、などなどどうやら「尊重」というのがキーワードとなって生きづらさを生んでいるようだ。それもそのはず、日本社会では基本的に他と違うことをすると好奇の目で見られて、せっかくの素晴らしい才能や視点が、マジョリティーと迎合するようにトレーニングされてしまう。

私が出会いと別れの3月に偶然出会った宮沢賢治の詩がある。「告別」という題の詩で、『春と修羅第二集』に載っているものなのだが、その中で「人さえ人にとどまらぬ」という文を賢治は紡いでいる。私なりの解釈は二通りあって、①人は知らぬ間に生来自分が持っている純粋無垢な部分を知らぬ間に失ってしまう。②人と人の関係は脆弱で、他人とは結局のところ離れてしまう運命。たぶん①のほうがこの詩の内容とマッチすると思うけれども。

そうやって世間と自分の妥協点を見つけてうまくやっていこうとするうちに自分を見失ってしまう、普遍的なテーマだけれどSNS時代の私たちには結構刺さる。

私もその一人だったし、きっとこの記事を見てくれた人も、同じ感情になったことがあるのではないだろうか。なぜなら、我々は部分部分でマジョリティーで、なおかつマイノリティーであるから。自分の個性を求められたり、抹殺されたりするうちに、刀削麺のように身を削っていくような、そんな経験があるんじゃないかと思う。


さて、「日本は素晴らしい」「世界で日本の〇〇が大人気!」などなど、そんなマスコミの風潮に疑問を感じるようになったのはおそらくクールジャパン云々が騒がれ始めたころ、つまりわたしが高校卒業したぐらいだ。

日本がクールかクールじゃないかは別として、日本ほど住みやすい国はなかなかないんじゃないかなと思う。地元の地方都市では一軒家が当たり前で、私はのびのび自分の部屋を持ち育った。地元はまあまあ閉鎖的なところもあって、私は自分の価値観を押し付けてい来る大人たちに唾を吐くようなこともあったけれど、基本的にみんな人当りもいい。一方東京は家賃も高くて小さな部屋でしか暮らせなかったけど、外に出ればエキサイティングな経験もできるし、カフェや図書館にいれば解放感もあって特に文句はなかった。スリに合う心配もないし、買い物も便利、コンビニもあるし最高だ。しかし、圧倒的な人口に比例してHENTAIやセクハラに遭遇することも多かった。

住みやすさでいくと、たしかにイイネ!ボタンを千回くらい押したいところなのだが、確かに「個の尊重」というところから見ると、息苦しいなと思う。それは前述したとおり、自分と世間との妥協点を見つけることに必死になってしまう、必死にならざるを得ないほど「個」がつぶされてしまう感覚があるから。

※この文章は決して日本を下げて私が暮らしてきたヨーロッパ(中欧)を上げるものではありません。


私はこれまで、ヨーロッパ各国を旅行&2カ国に居住経験があるのだが、大陸の人々の「俺は俺」感には感服する。「俺は俺」感はともするとわがままで非常に厄介でカスタマーサービスもへったくれもないので、日本で育った私からすると「何なの!!!」となることもある、私の定義する「住みづらさ」はこれにあたる、つまりは価値観の相違から生じる不和だ。

ついこの間引っ越した時の契約書の部屋番号が間違っていたので指摘したところ、謝罪文言なしに「じゃあマネージャーが来る水曜までになおしとくね!」と言われた。こっちとしては、貴様のミスではないにしろ会社の人間として謝るのが筋ではないのか・・・と思ってしまうのだが、あくまで「俺は俺」なので「俺がやったことではないから謝らない」がきっとその方の正解だったんだと思う。

また別件で外国人警察に行ったときも、対応がまちまちで笑えて来ることがある。マニュアルあるんか?レベルで違う、当たりはずれが激しすぎてカジノ気分が味わえる、マカオになんぞ行かなくても十分なほどに。私もだいぶ海外生活に慣れてきたのでそんな時には、自分に合った担当に巡り合うまで交渉するのがサバイバル術である。あとは押すことをためらわないこと、「わきまえない」こと。

「住みにくさ」は私が外国人で、育ってきた価値観が違うからなのだ。


じゃあ「生きづらさ」はどうか?というと、たしかに海外生活は生きやすい。なんでかっていうと、日本を離れることで初めて良い意味でわきまえない「個人」になれる気がするからだ。私は確かに日本人だけど、この国では日本人かどうかなんてそこまで関係なくて、自分が何を考えて、何を話して、どう行動するかのほうが重視される。どんな資格があって、どんな家族背景があるとかそんなことから解放されて、私は初めて個人としてたくましくやっていくことができた。


私が海外生活をおすすめしたい人の層は「個人」や「個性」重視で自分を見てほしい人だ。外見的な特徴や生まれて育った環境を超えた、一個人として生きていきたい人には、海外生活(私は中欧しか主に知らないのだが)をおすすめしたい。

しかし、「そんな海外生活ができるのなんて一握りの人間だけだよ、あんたは恵まれてるだけ」と思った方もいるだろう。「私は日本が好きだし海外に住みたいと思ったこともない」と思った方もいると思う。どちらも否定はしない。

私は恵まれていた、だから同じく海外で暮らしてみたい人に対しては惜しみなく情報を提供するようにしている。また、この国で出会った私と同じ「外国人」という境遇の人にはアドバイスもする。そうやって少しでも経験を生かすことができたらと思っている。また、こっちで得た経験や知識を日本に持ち帰りたいと思っている、特に私の地元に。


ここまで書いて、はて私は「他者から尊重されるほどの個性や能力」があるのだろうか?と疑問に思ってしまった。でもこの考えこそが「生きづらさ」の元なのかもしれない。他者からの目線よりも、今生きている自分を尊重すること、自分とよく対話をすること、「俺は俺」であることを一番に考えたほうが生きやすいのかもしれない。なぜなら、日本人は統計的にも「不幸」で、ヨーロッパ諸国の人々は「幸せ」をより感じているからだ。(もちろん幸せを数値で表すことに疑問もあるが)

そしてそうやって揺るがない自己を作り上げていくうちに、他者からも尊重されるようになるのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?