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15か月前の私が書き残したこと

15か月前に書いた文章が出てきた。
Wordに打ち込まれた文字たちを掬い上げる。
こんなこと考えていたんだね、新鮮な気持ちで読み返した。
勢いで書いたであろう文章だから失礼な言い回しもあるかもしれないけど、
ここに供養させてください。


私は話を聴く側には向いていないと誰かに言われたんだと思う。
私は困っている人を助ける人になりたかった。当時はどんな職業か知らなかったけど心理士やカウンセラーと呼ばれる仕事に就きたかった。心理学を学びたかった。しかし親に反対され心理学部には進学できなかった。
加えて、誰かに言われたのだろう「あなたには向いていない」と。
誰にどんな流れで言われたのか全く覚えていないけど、今思えば“相手の気持ちに寄り添いすぎて自分が潰れてしまうから”ということだったのだと思う。
私は他人の小さな言動から相手の要望を読み取ることが得意らしい。自分の中では当然のことだったから、むしろマイノリティー側だと知ったときは驚いた、確かHSPについて調べていた時に気付いたんだと思う。でも謎が解けた。どうして私の小さなSOSは他人に届かないのだろうと不思議だった。私は、相手が同じことをしたらSOSだと分かるのに、たとえ相手が精神科医でも私の天邪鬼な小さなSOSは気付かれることがなかった。
自分ができるからと言って必ずしも相手も同じようにできるとは限らないと痛感した瞬間でもあった。

私のSOSは伝わらない、助けてほしいならはっきりと助けてと言わないといけない、そう分かっていても簡単にはSOSの出し方は変えられないのだ(きっとこれを読んでくれている半分くらいの人は共感してくれるはず)。
苦しんでいる人の多くがSOSの出し方を知らない(知らないというか知ってるけど実行できない人もいるかも)。

小さなSOSに気付いてくださる支援者に出会えた人は幸せだと思う。
精神疾患者に医療従事者さんが多い気がするのは、助けたい気持ちが大きすぎて自分を疎かにしてしまったから、言い換えれば頑張りすぎたんだと思う。悲しいね、頑張って入学して、頑張って試験と実習を乗り越えて、頑張って頑張って国試をパスして、就活して働いていたのに。きっと患者さんにとってはとても頼りになる人だったはずなのに。
きっと何十年も医療に携われている人の多くはいい意味で適当なんだと思う。自分と他人をきっちり分けられる人が支援者として生き残っているのだと思う。


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