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輪部

彼女がレンコンを覗き始めて何分が経っただろう。

揺れる電車の中で僕と彼女は向かい合って座っている。彼女はその駅弁のお店が見つかった瞬間、マサイ族のような高くまっすぐなジャンプをしながら喜んだ。”彼女が食べたかった”というその駅弁を僕と彼女は一緒に食べる。彼女が欲しがったそのお弁当は、女性が好きそうな、十六穀米とか、彩野菜の~とかそういった、体に気を使ったものではなく、とにかく巨大なチキンカツと、煮物が入った色どりなど全く無視された茶色い弁当だった。まるで男子高校生が喜ぶようなその弁当を、高級化粧品でもプレゼントされたかのように彼女は喜んだ。

彼女と僕は、旅行へ行く。僕はあまり旅行が好きではなかったけれど、彼女はどこへでも行きたがった。急に、日本で一番おいしいおはぎを食べにに行きたいと言い出したり、日本で一番長寿の人に会いたいと言い出したり、夏に北海道に行ってソーキそばを食べたあとハイチュウを食べたがったり、彼女の行動はいつもちぐはぐで、けれど彼女はどこへ行っても何をしてもすべての物事を全身で楽しんでいた。

今日の旅行もそうだった。3日前に海が見たいと言い出して、彼女が旅行先や電車、宿泊先、荷物の整理、スケジュール管理、食事、飲む水の種類まで決めてしまった。僕は、旅行が好きではないと言ってもそこまでされてしまうと行かない理由もないので、彼女の激しい好奇心からこぼれる高揚をいつも少し分けてもらう。

電車は鈍行で到着まで3時間もかかる。彼女曰く、「若い男女はいったん鈍行の向かい合わせの席に座って駅弁をつつかないと何もかも始まらない」そうだった。僕は彼女の言っている意味がよくわからなかったけれど、知らない景色をゆっくり見ることは嫌いではないので、彼女の提案に乗った。

座席が向かい合わせの電車は、進行方向と体の向きが反対の席にどちらかが座らなくてはならない。彼女はとてもアグレッシブな女性だが、三半規管が弱くよく乗り物酔いをするので、今日は僕が進行方向と逆の席に座ろうと思っていたけれど、彼女はその席を僕に譲らなかった。

彼女は「ハリドリのバックドロップみたいやからこっちがいい」と満面の笑みをこぼす。そういえば、先月USJに行った時、彼女はハリウッドドリームというジェットコースターの後ろ向きコースターにはまってしまい、3回連続でそれに乗り、お昼に食べたターキーレッグとキャラメルのチュロスを吐いてしまったのだった。僕は、それとなくトイレが近い席に誘導して、彼女を”ハリドリのバックドロップ”な席に座らせた。

彼女は僕が席に座った瞬間に、人が変わってしまったようにお弁当の袋をまさぐりだした。彼女はよく、興奮すると欲望に支配され手が付けられないほどの最短スピードで目的を果たそうとしてしまう。僕は、彼女は駅弁の袋や蓋を頬り投げて他の乗客にぶつけたりしてしまわないか心配しながら、彼女が彼女なりの最短ルートで、お弁当の全貌を見るところをまずは眺めることにした。

彼女は、袋から弁当を素早く取り出し、袋を頬り投げる。頬り投げられた白のビニール袋は、ふわふわと宙を飛びゆっくりと僕の頭上の辺りを浮遊している。そして、クリーム色の包装紙の真ん中に赤い明朝体で書かれた「チキンカツ弁当」の文字を真っ二つに切り裂き、美しい包装紙を簡単にぐちゃぐちゃのごみにして僕の方に流していく。彼女は全てその包装紙をはがし切った後、弁当の蓋に手を一瞬やって、2秒ほど制止した後、もう一つの弁当の解体作業に移った。彼女は僕のお弁当のクリーム色をビリビリに引き裂いて、ごみを僕の方に流し、僕はそれを手慣れた手つきで、ビニール袋の中にしまい、彼女が剥き切った弁当箱を受け取る。

彼女はとても、衝動的で欲望に忠実でよく”自分勝手なおかしい人”と周りに思われているけれど、いつも彼女なりに自分のできる範囲で僕のことを気遣ってくれる。僕は彼女が綺麗に外側を剥いてくれた弁当を愛おしく思いながら受け取る。

彼女は僕が弁当を受け取り、箸に手を付けようとしたのを確認するとに小さく、素早い声で「いただきます」と言い、弁当の蓋を激しく引きはがし、チキンカツを見つめた。彼女は、大きな目をよりいっぱい大きく広げ、チキンカツに近づく。チキンカツの細部まで彼女は見つめるようにじっとチキンカツの色や、形、匂いをじっと観察している。

僕は、ホウレンソウのお浸しを食べながら彼女のいつもの行動を興味深く観察する。彼女はいつも”食べたいもの”を食べる時、その食べ物を初めて見たように珍しそうに、興味深そうにまず観察して、何か感動のようなものを強く感じているように見えた。

彼女が何か望むものに夢中になっている時に話しかけても何の声も届かないし、後から聞いても彼女は自分の気持ちを言葉にするのが苦手なので、上手くそれを僕に伝えられたことがなかった。彼女はいつも「よかった」とか、「また食べたいと思ったよ」などと言うだけだった。

実際のところ彼女がどんな気持ちかを知るすべはないのだけれど、彼女はいつも”食べたいものを知る”ことが、”食べる”ことよりも何十倍も喜びであるよように、たべる時間よりもそれを観察する時間の方が圧倒的に長かった。

彼女は、自分の意思を強く持っているように見えるが、よく「自分のことがわからない」と言い、自分を知ることについて猛烈に衝動的だった。今日の旅行も海を見て、自分というものが分かるようになったと語るプロサーファーのインタビューを見た後に「海に行きたい」と言い出し1日ですべての準備を完了させてしまった。

彼女はいつも、どう思う?と聞いても「わからない」と答えて、あなたはどういう人かという質問に、いつも動揺して押し黙ってしまう。彼女は時々自分の中に自分を見いだせないことを悲しんで、”自分が興味を持ったもの”から必死に自分を探ろうとしているようにも思えたし、ただ目の前にある衝動を解消しているだけのようにも思えた。

彼女は、嬉しそうにすべての視界をチキンカツで埋めたいのか、まつげがカツに触れてしまいそうなほど近づいてそれを見ている。僕は、そんなに近づいておいしそうに見えるのか不思議に思いながら、チキンカツを口に入れる。弁当の揚げ物は、あまり好きではなかったけれど、このチキンカツは冷えていてもサクッとした触感があり、鶏肉の味もうまみがあってシンプルながらに非常に味が整っていた。さすが、彼女が食べたいと言っただけあるなと思いながら、僕はゆっくりとカツと白飯を口に入れながら景色を見る。田んぼがずっと先まで広がって、外は緑と青の二色で埋め尽くされている。この電車にしてよかったなと僕はぼんやりと思う。

彼女はチキンカツをかなり気に入ったようで、興奮しながら息荒く肩を上下しながらチキンカツが発している空気を体内にすべて取り入れようとしていた。

斜め後ろに座った親子連れの子供が、妖怪でも見るような目で彼女を見つめている。少年は母親にチキンカツに吸い込まれそうな女性を一緒に見てくれとせがんでいる。幸い少年の母親は彼の妹の世話に気を取られ、お弁当に昇天しそうな危険な成人女性の存在にまだ気づいていないようだった。

僕が、その少年に「心配しないでくれそういう人なんだ」という視線を懸命に送っている間に彼女の興味はチキンカツから、添え物の煮物に移っていったようだった。彼女はいつの間にか箸を取り出し、分厚く切られたレンコンを大事そうに二本の箸で挟み上げ、嬉しそうに見つめている。

彼女はそのレンコンの穴をずっと見つめ、レンコンを通していろいろなものを見つめようとする。僕の手や、顔、周りの客をレンコン越しに見つめてほほ笑む。
彼女を怯えた目で見ていた少年も、彼女は優しくレンコン越しに見つめる。少年はその優しすぎる笑顔に困惑し、泣きそうな顔になっている。
彼女はうっとりとした表情でレンコンを外の景色へと向ける。すると彼女は「あ」という声をこぼし、レンコンから見える流れる景色を覗いている。レンコンの小さな空洞の中には、色とりどりの青や緑が一定の速度で入れ替わり、彼女の網膜を優しく刺激する。彼女は、それをまるで宝物のように見つめ彼女にしか見えないその小さく美しい景色をいつまでも大切そうにのぞき続けていた。 

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