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ちょっとだけ伝えたいことがあるんだ

わたしは、何をやってもたいていのことがひとよりうまくできない。

突然のネガティブ発言だけれど、これは自分を悲観して言っていることじゃなくて、現実そうなのでしかたない。

まず運動がからっきしダメだった。
反射神経というものがそなわっていないんじゃないかと思うほどどんくさく、なげられたボールはほぼ100パーセントとれないし、投げ返したボールはあさっての方向にとんでいく。

こどもの頃は運動ができる子たちが勇者だったから、わたしは当然中心にいられるわけもなく、白い目で見られることは一度や二度じゃなかった。

勉強も特にできるということはなくて普通。どこにでもいるレベルで普通。こどもの頃から習っていたピアノも大人になるまでがんばって練習し、バンドをやったりジャズをやったりしてなんとか音楽で食べていけないかとあがいたけれど、結局パッとしないまま終わり、、、

と、あんまりできないところをあげていくとキリがなくて、もうやめたいけれどまだまだあって、例えば誰かがこまっているときにささっと手を差し伸べるようなことも気が利かないわたしにはできない。
お肉を焼くときにひっくり返すタイミングもうまくできない。
料理はたいがい焼きすぎ、時間をおきすぎ、調味料いれすぎ、またはいれなさすぎでびみょう。。
整理整頓に関しては物理的なところも、スケジュールも含めて壊滅的だ。

でもこんなわたしだけれど、今、というかもうずっとだけれどとても幸せだと感じている。
生きているのが楽しいし、毎日明日がくるのがうれしい。43歳、年をとるのは素敵だと思える。

それはなぜなんだろうと考えた。

それはひとつだけ、自分の好きなことを好きだと言い続けられる能力があったからだと思った。

今は大好きな本と自然、そしてもちろん家族にかこまれて何も不足がない。
好きなものを見つけること。そしてそれを好きでい続けること。さらにそれを好きだと言い続け、自分のそばにおいておくこと。
それってあんがい簡単じゃない。

わたしはその能力を、本を読むことで身に付けた。

わたしは本そのものが好きなものになったけれど、本はありとあらゆる好きなものへのトビラ。
一歩踏み出せば、見たこともない世界が広がっていく。

それはインターネットでも探せると思うかもしれない。
でも、インターネットの情報は広く浅い。どこからどこまでいってもなんとなく流れていくだけだから、心にとどまらない。
不思議なことにいろんな本をたくさんたくさん読むことで、逆に自分の好きなものが絞られてくるのだ。

子どもたちよ、今からどんどん本を読んでないと大人になってからじゃ好きな本みんな読み切れないんだよ。
今好きなものがある子たちはそれをどうか大切にして。
まだ見つからない子たちはとにかく本を読むんだよ。

そして大人たちよ、どうか子どもが好きなことを見つけるのをそっと見守って。
石を拾うことだって、虫をつかまえることだって、壁に絵を描くことだってみんな素晴らしい好きなこと。
そんなことやめなさい!って言わないで。
壁紙に描かれたくなかったら大きな紙を壁にはっちゃいましょう。
わたしもついつい子どもたちにやめてー!って言いがちなので、自戒を込めて言っております。
そしてどうか本をたくさん与えてあげてください。
できれば買って。
その本を破いたり、書き込んだりしてもいいように。
そういうふうに何度も何度も繰り返し読んで、書き込んで、破れるまでめくって愛していくものだから。

結局人間は感情の生き物。
どれだけ理屈をこねたって、どれだけお金を稼いで、豪華な生活と素敵な家族、、、なんて言ったって好きなことに携わってなければ心が死ぬ。

心が死んだら、どれだけがんばっても幸せとは感じません。

好きなもものためにイヤなことをがんばるっていうのはもちろん必要だけれど、好きなもののためならがんばれるから大丈夫。


夏の昼下がり、そんなことをうだうだかんがえていました。

と書いて放置していた文章を秋もふかまったこの日にそっとあげる。

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