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『全自慰文掲載 又は、個人情報の向こう側 又は、故意ではなく本当に失敗し、この世の全ての人間から失望されるために作られた唯一の小説』その9

          Ⅱ-2 私のアトリエ②
 
体内時計的に、午後1時半頃か、一階のリビングから、父親の怒鳴り声が聞こえた。
嫌でも、悪夢の昏睡状態から、呼び戻される。
重く、だるい、昏睡状態から無理矢理、自身の体を起こさせて、一階のリビングに行くと、扉が開きっぱなしになっている。
父の姿はもうない。
駅前のイオンで、プールや太極拳やラテンなどの趣味活動と、俺たち、息子である俺と食事も作らない父親のための朝・昼・夜用の食事と日用品の買い出しを自転車で終えたばかりの母親が、2本目のビールを飲みながら、
「なに、はじめ。そんなに夕飯、食べたいの? ――いいわよね、あんたは。ただ、ご飯を作ってもらって、好きな時間に降りてきて、食っていればいいんだからさ」
と憎まれ口を俺に叩いた。
「いや、飯はまだ? なんて言ってないでしょ?」そうは返しつつ、こういう、母からの憎まれ口一つ一つに、いちいち情けなさを感じざるを得ない自分がいる。「ご飯じゃなくてさ。なんか、お父さんの怒鳴り声が、二階まで、聞こえてきたから、どうしたのかな、て思ってね」
「――あの人は、ほんと、異常だね。私がイオンから帰ってきたら、あの人、ここで、ガンガン、クーラー効かせて、そこのソファーで寝てたのよ」
「はい、はい。今日は、なかったんじゃないんですかね、例の自治会の仕事が」
「それでね、『風通し良くしないと、部屋の空気が、悪くなるんで』って言って、私がこのリビングの窓を開けて、網戸にしたら、管理人、一気に赤ら顔になって、『死んじまうだろ!』、だよ? 信じられる⁉」
「ああ、なるほど」
ここでは言わなかったが、良い悪いは別として、父の気持ちも分かる気がしたのである。
心地良い、快適な空間での、生理的な快楽を邪魔されたら、それは、誰だって怒るからだ。
「ここ最近」の俺が、何かをやろう、とした時に、他者によって「中断」されて、不快感を覚えることに興味があるゆえ、その気持ちは分かるのである。
「それだけじゃなくて、『お前らが見過ぎるせいで、一階のテレビが壊れたんだよ!』って、逆ギレ。頭、おかしいね、本当に。一階のリビング、使ってるの、ほとんどあんたでしょ、って話じゃない!」
「確かに、ね」
「――全くさ、こんだけ重い荷物、誰が運んでると思ってんのかねぇ? こんだけ、食料を買い込んできて、食事が食べられるのは、誰のお蔭だと思ってんのかねぇ? イオンにプールや踊りに来ている皆はさ、プログラムが終わった後も、お茶しに行くのよ? 私だけよ! 『うちで夕食作らなきゃいけないんで』って言って、家に帰らなきゃいけないのは。この情けない気持ち、分かる⁉」
「……すみません、本当に」
そう言わざるを得ない。
ある時期から、母は重たかったり、かさばったりする生活用(米、2ℓの水、トイレットペーパー、ティッシュペッパーなど)を、車を所持している父に頼むのをやめた。曰く「プライドが許さない」らしい。
前回も書いた、と思うが、俺は実質、41才を越えた頃から、いや、2023年を機に、ガクン、と体力が落ち、ほぼ一日、昏睡状態のまま凄し、買い出しすら行けない体になってしまった。
それ以前までの俺は、肝臓へのガソリンであるヘパリーゼの力を、定期的に少し借りれば、自分の自転車で買いに行っていたからこそ、より、申し訳なく思うのである。
「ま、私が、悪いんでしょうけどねぇ。でも、『死んじまうだろ!』、は、頭、おかしいよね。キチガイだね、本当に」母は同じことを繰り返している。本当に、ムカついたのだろう。「それだけじゃないわよ。――見て見なさい? ほら、冷蔵庫、壊れてるのよ。見て。水、溜まっているでしょ。もう、温度調節の部分が、壊れてるのよ。管理人が、自治会長だか、なんだか知らないけど、そのお仲間から貰った魚とかが、入ってるけどさ、それをさ、私たちにも分けようともしないからね、ほんと、あいつは――」などと、このように、しばしば母の話は脱線していく。
「――冷蔵庫、ヤバいの? 今日明日にも買い替えなきゃいけないってこと?」
「そうねぇ。もう、一週間も、持たないんじゃない? この季節だから、すぐ腐るしねぇ」
ここまで、同時多発的に家電が壊れ続けていることで、俺は何かが、分かった気がした。
一階のリビングのテレビと冷蔵庫だけじゃない。
その実、俺の部屋のパソコンやスマホも、実際に、この猛暑日続きの暑さのせいで、充電が出来ない日々が続いているのだ。
父親の年金30万の中で、86歳の無職の父親と、71歳の無職の母親と、28ぐらいから障害基礎年金を二月に一度12万ほど貰っている実質引きこもり無職の41歳の息子の俺とが、暮らしているのだから、近い将来、この一軒家にある生活用品は、遅かれ早かれ、壊れていくだろう。
それを中古品で買い替える金も、人脈もない。
物が壊れる、ということは、もう、その人間関係に、限界がきている、ガタがきている、という象徴だ。
「ま、上郷(神奈川県海老名市内の地名)時代から、ここ中新田(神奈川県海老名市内の地名)に引っ越して、40年も、同じ冷蔵庫を使ってるんだから。壊れるの、当たり前だけどね。でも、冷蔵庫買うお金なんか、今の生活費の中には、ないからね、勿論、私個人の年金も、冷蔵庫買うだけの、余裕なんて、一切ないしね」
「俺も少しは出せたらいんだけど、ごめんなさい。――ちょっと、エナジードリンク代と、病院代と、美容院代で、精いっぱいなので。でも、お父さんにはちゃんと冷蔵庫の件、伝えておくから」
「それも、贅沢な話よね。なんで、あんた、そんな金欠状態なのに、服装とか、髪型とかに、そんなにこだわるのよ。前、お姉ちゃんが言ってた通り、そこらへんを全部、切り詰めたらいいじゃない」
「…すみません。――でも、自分が死体になるとき、美しくいたいんです」
「は? なに、言ってるのよ。後、そんなこと言ってる人に決って、長生きするものだから」
事実、俺が、そもそも精神的な病気になった原因も、なんのことはない、美しい姿のままこの世で生きていけない、ということへの絶望からであった。
誇張ではなく、俺は幼少期から美少年だった。
赤子時代、幼稚園時代、小学生時代、この3つでモテ期を全て使い切ってしまったほど、自分の美貌に自負があったし、事実、こだわっていた。
だからこそ、男性であること自体が、そして、老いて醜くなっていくこと自体が、41才になっても、許すことが出来なかった。
前回、自治会の人の来訪の日記で書いたように、自分の顔にまだにきびが残っていること一つ、深刻な意味で、絶対に見られたくないのである。深刻な意味で、無精髭の状態で、絶対人と会いたくないのである。元来、俺はくせ毛の持ち主だが、常に人と会う時は、縮毛をかけた完璧なポニーテールの状態でいたいのである。
コントではないが、いい歳をして、まだ、顔ににきびがあることを見られたくないので、美容院にも行けない。では、にきびを治そう、と思い、にきび薬をクリエイトに買いに行こうにも、にきび面と中途半端なくせ毛を見られたくないので、恥ずかしくていけないのである。
そのぐらい、この歳になっても、美意識をこじらせているのだ。
俺はもう、「ここ最近」、41歳になった頃からか、肝臓が機能しなくなり、身体的な老化から、いよいよ死期が迫ってきた、という予感もあってか、本当に、いつ死んでも、美しい状態でいたいものだ、と真剣に「人生問題」として、考えているのである。
「あ、それと、来週の火曜日、お姉ちゃん、うち、来るっぽいから」
と、突然、母が言い出した。
「ああ、そうなんだ。……お姉ちゃんに、相談してみようかな、冷蔵庫のこと」
と軽い気持ちで、母に返すと、母は形相を変え、
「ダメよ‼ ――ほんと、なんで、あんたはそうやって、お姉ちゃんを脅迫に使おうとするのよ‼ お姉ちゃんたちはお姉ちゃんたちで、今、火の車なんだから! それに今、大変なのよ⁉ お姉ちゃんと亀次郎さん、不妊治療しているんだから‼ 負担、かけさせないでよ!」
と、意外なことを、言い出した。
「不妊治療?」
地味ではあったが、衝撃が走った。
いや、母や姉からしたら、衝撃でないのだろうが、とにかく、例えようがないショックであった。
俺の頭に、姉夫婦の間に赤ん坊を作ろうとしているイメージが浮かんだ。グロテスクなことだ、としか思えないのだ。
俺は子供が嫌いだ。
子供を作る、という、人間の生殖行為自体、気持ち悪い、と思っている口だ。
子供嫌いの引きこもりの41才の中年のおじさんに「甥が出来る」という関係性自体、自分にとっては、一番耐えられそうにない現実だ、と本気で思った。
俺は、今まで書いてきたような諸々の理由から、もうそろそろ自殺して死のう、と考えていたわけだが、この母からの告白により、いよいよ、差し迫った問題として自殺を考え始めた。
 

           Ⅱ-3 私のアトリエ③

「――お変わりないですか?」と、俺の担当の京野先生は、微笑を湛えながら、形だけの診察をする。
俺も、にこにこの笑顔で、「はい、変わりありません」と、返す。
というより、一ヶ月に一度、30日分のお薬を貰うためだけに、外出する、この日ほど、お変わりがある日はない。
何度も言うが、そもそも、自力では外出できない体なのである。
と同時に、ずっと寝たきり状態の41歳にとって、何か、スケジュールを意識させること自体、1つでも、自分の生活の中に差し込まれると、相当なストレスなのである。
随分、社会的なストレスに弱くなってしまったものだ、と思う。
ところで、20年以上、精神科に関わっていて薬だけ貰っている、ということは、もう治る気がない病人、ということなのである。
病院側も、患者側の俺も、それを了承済みなのである。
この20年間、俺の担当医は、その時代時代の歴代総理より、早く、目まぐるしく、何人も何人も代わってきたが、基本的に、初めから俺自身が、病人という特権的な社会的立ち位置から、降りる気がないので、なんの進歩もないのである。
先生、家族含め、皆、俺が処方薬以外に他に多くの薬を服用していることや、逆に、今服用すべき処方薬を勝手に絶ち、自殺用に大量に残してあることを知らない。
薬局で処方箋を出し、薬局待ちをしている間、俺はipodをワイヤー型のボロいイヤホンで聞きつつ、暇潰しに、その周辺の街を歩き回っていた。
たった1年。
たった1年で、こうも、疲弊するものなのか。
1年間という期間について、思いを巡らずにはいられない。
たった1年間しか違わないのか、1年間も違うのか。
俺は今年の6月19日で、41歳になった。
36歳の頃から正真正銘の白髪が生えだした。
思い起こせば、14歳の頃に、声変わりをし、精通を迎えた。
そういう例で計ると、実は、「9歳が10歳になる1年」と、「13歳から14歳になって射精を覚える1年」では、世界観がまるで違う。
「30歳から31歳になる1年」と、「35歳から36歳になって白髪が生えだす1年」では、世界観がまるで違う。
今の俺の体は、向精神薬を全く飲まなくても、外出するだけで、相当な疲労へ繋がる。
人と話した、うろうろと散歩した、これらはほぼ同じ疲労度の類で、必ず、翌日の午後5時過ぎまで、寝たきり状態になる。
一方、小説の構成を考える、大喜利を考える、朗読する、大声で自宅カラオケする、これらは別の疲労度の類で、こちらの方が疲労の残留は酷く、翌日にも出るが、その翌々日まで出てしまい、結局、2日連続で、寝たきり状態になる。
こういう体調のスケジュールの上に、「射精する/しない」を、考えなくてはいけないのだ。
それだけが、もはや、俺に残された最大の楽しみだからだ。
実際、冗談で済まされる話ではない。
例えば、今日は月曜日だが、昨日は日曜日で病院は休みである、とすれば、今日、なんとしてでも薬を貰いに行かなくては薬のストックが無くなってしまう、という場合、その前日、射精するわけには絶対にいかない。
以上のような疲労度の上に、射精の疲労度が加わると、誇張ではなく、4日連続で寝たきり状態になるのである。
ともかく、この病院へ行く、というスケジュール的な何かがが挟まることで、今の俺は、翌日寝たきりコースは、確実である。
――もう、最後に射精したのは、二ヶ月も前なのではないか。
二ヶ月前までは、夜、自分の部屋の前を通る母に、
「今日、燃えるゴミの日だから、部屋の前に、出しておいてね」
と言われても、オナニーのティッシュの塊は、別個のゴミとして扱い、それとは別の、大量の溜まった煙草や、ノートの切れ端や、くしゃくしゃになったメモなどとで誤魔化していたものだ。
自分のオナニーによって排出された精液を拭きとった丸めたティッシュのゴミは、それ専用のゴミ袋を勝手に作り、夜な夜な、勝手にコンビニの燃えるゴミの穴へと捨てに行っていた。
しかし、今はもう、そうも言っていられない現状だ。
なぜなら、6月に入り、実家のすぐ側の桜並木通りに、ホームレスが住み着いてしまったからである。
と同時に、ゴミ箱を表に出していた唯一のコンビニが、ゴミ箱を店内へしまってしまった。
ホームレスに漁られることを、恐れたのだろうか。その真偽の程は分からない。
そういう一連の変化があったせいで、俺は二ヶ月前の自分の精液を包んだティッシュだかれのゴミ袋を、先日、夜遅くに、そのホームレスがいる桜並木の通りに、こっそり置いてきてしまった。
実際、その桜並木の所々にゴミ袋を置く輩が、そのホームレスの出現以降、現れるようになったのである。
その桜並木の間には、水草がのんのんと生い茂った河川が流れているのだが、その川が堰き止められる個所に、何袋も何袋も、ゴミ袋が折り重なっているのを見た。
明らかに、以前より不法投棄が増えている。
そのホームレスは、キルケゴールの言う、神でも人でもない、賤しい見た目をしたキリストなのかもしれない。
それにしても、――お姉ちゃんが、妊娠か。
予定よりも、みっともない身体のまま、自殺することになりそうだな。
ああもう、こればっかり、結局、考えてしまう。
ちなみにこうして薬局待ちしている間に、ipodを聞きながら、駅前をふらついて人間観察をしていたら、――今度は、ipodのワイヤー型のイヤホンが、壊れた。
一階のテレビ、冷蔵庫に続き、ipodのイヤホンである。
帰路につく前に、色々なコンビニに行ってみたが、今、どこのコンビニにも、俺が使っている旧型のワイヤー付きのイヤホンなど、ほぼ売っていない。
ワイヤレスが基準となっているらしい。
俺は、Bluetoothという環境に、アップデートする、お金がない。
俺は、tverやら、Amazonプライム的な、映画見放題的なコンテンツに払うお金が、ない。
俺は、CMで、若者が食っているケンタッキーを、気軽に買って食う、お金がない。
だからといって何も思わないが、俺の生活が、世間の基準と大分離れたところにいることだけは分かるのである。
それにしても、――お姉ちゃんが、妊娠か。
予定よりも早まったなぁ。
もう少し、痩せてから、死ぬつもりだったのに。縮毛矯正をかけ直してから、死ぬつもりだったのに。にきびを完全に治してから、死ぬつもりだったのに。
このままでは、みっともない身体のまま、自殺することになりそうだ。
――ああ。
もはや、頭をかけ巡るのは、もう「ここ最近」、そればかりだ。

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