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働いて見えたものpart1

専業主婦の期間は、社会から取り残された気がしてた。

日中買い物に行けば、周りは私より年上のシニア層がとても多くて同世代に会うことは少ない。

同世代の人たちはみんな働いているのに私は何もしていないし、役に立てていないと不甲斐ない気持ちになっていた。

劣等感を抱きつつもそれとは裏腹に高慢な感情もふつふつと湧いてくる。

私はここいる人たちとは違うし、自分はまだまだやれるんだという思い上がりである。

卑下している方の自分が表に出ることが多いけど内面はプライドが高く自惚れている。

それを認めるのは恥ずかしいし、ましてや人に気づかれるのはもっと恥ずかしい。

コミュ障というハンデを差し置いても人や社会とのつながりを渇望しているのは役に立ちたいからだけではなく自分はできるし、よく思われたいという欲求の表れだろう。

そう思ってパートを転々として、今の職場に働きだして10ヶ月。

当初はおどおどしていた業務も、ルーチンワークとして身についてきたなと自分なりに小さな達成感も感じている。

新しい業務を教わったり、小さい子がいる同僚が急に休んだらピンチヒッターで出勤したりと必要されている嬉しさもある。

一方、同僚とのコミュニケーションは必要最低限話す程度で気さくに話せる関係性ではない。

それが周囲に気まずい空気を漂わせているのも否めない。

みんなが私のことをいじめてくる、世間は厳しいよというメガネと、そう見えている世界から自分を守るために作られたプライドの高さがコミュニケーションの障壁となっている。

歪んだメガネをかけて見ている世界の中で自分が傷つき、その世界から自分を守るために作ったはずの虚栄心に嫌悪感を持ってしまう。

自分にダメ出しばかりでしんどいはずだよね。自分のことは自分で労ってあげないと。

働き出したら出したで緊張感や達成感も味わうことができるけど課題にも直面するね。

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