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栽培植物のリスト 「ジャガイモ」の歴史

本日はイモ類の代表格、ジャガイモについて。

ジャガイモは何の仲間?

ジャガイモ、サツマイモなどは一括りに近縁種かと思いきや、それぞれ全然違う系統の植物です。
サツマイモはヒルガオの仲間、ヤーコンはキクの仲間そしてジャガイモは実はナスの仲間です。
これは、地下部分が肥大する植物が「イモ」と呼ばれ、特に系統については意識していないためです。

ジャガイモの原産地

さて、ナスの仲間のジャガイモ。
生まれはボリビアのチチカカ湖近辺、アンデス高地とされています。

Wikipediaより

ケッペンの気候区分で言えば、D気候(冷帯)になります。別に、標高が高いのでH(高山)気候という分類もあります。
栽培の伝播もアンデス高地沿いに南北に進行。インカ文明でも主要な作物となっています。

「悪魔の植物」ジャガイモ

ヨーロッパにはインカ帝国を滅ぼしたスペイン人が持ち帰りました。
しかし、その見た目、土中にできるという今までにない特性から、奇異の目で見られ、観賞用とされていました。
また正しい食し方が伝わっておらず、芽に含まれる毒(ソラニン)で中毒を起こすケースも多発。そのため、「悪魔の植物」とまで言われてしまいます。

背に腹は代えられず

しかし、17世紀のヨーロッパでは戦争や飢饉による急激な食糧事情が悪化。じゃがいもの栽培が奨励されるようになります。
これはじゃがいもが
・冷害や干害、鳥獣害に強い
・戦乱で踏み荒らされても他の穀物のようにダメになる可能性が低い
という特性のためでした。

「ジャガイモ飢饉」の発生

こうして市民権を得たじゃがいもですが、19世紀にアイルランドで大事件を引き起こします。

アイルランドでは地代対策にもなり(当時じゃがいもは地代として徴収されなかった)、寒冷地でも良く育つため盛んに栽培され、じゃがいもに食糧を依存していました。
ところが、1845年からのじゃがいもの疫病の流行で酷い飢饉となり、人口の約半分が餓死又は国外脱出するという大事件に発展します(ジャガイモ飢饉)。

Wikipediaより

この時のアイルランド移民の中からケネディ家が出ており、その後のアメリカの歴史に大きな影響を与えています。
じゃがいもはアメリカの歴史にも大きく関係する作物です。

日本への伝来

なお、アジア地域にジャガイモを伝えたのはスペインではなくオランダ人。
その拠点がジャカルタ(インドネシア)だったことから、日本でも「ジャガタライモ」と呼ばれそれが転訛して「ジャガイモ」になったとされています。

ちなみに、しばらく前にマクドナルドでポテトが不足した事案がありましたが、あのポテトは非常に大きい専用種なんだそうで、そのため国内のじゃがいもでは代替がきかないのだそうです。
確かに、あの長さのじゃがいもは国内では見かけませんね。

というわけで、ジャガイモのあれこれでした。
ご参考になれば幸いです!

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