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理想と呪い

「突然キレたり、我慢ができない大人が増えている。それは子どもの頃の育て方が大きく影響する。前頭葉の発達を促し、理性的な子を育てるためにも、母親は、甘やかしすぎず、ごはんは好き嫌いいわず全部食べるように指導する。
テレビやスマホは見せない。
ヒーローものはもってのほか。
忙しくても子どもに積極的に関わり、既製品のおもちゃではなく廃材を使った手作りおもちゃなどがのぞましい。」
長男次男が通っていた園の方針はこんなかんじだった。
(実際はもうちょいちゃんとしてて、だいぶ説明ははしょってます)

ほとんどのお母さんは仕事をしていて、私の知る限り、お母さんの9割5分は帰宅後ワンオペ。
「正直、テレビなしでご飯準備をどうやれと?」
と思っていたし、
「手作りおもちゃで遊びましょうって、じゃあ食器は誰がいつ洗うんだよ」
と思っていた。

それでも根が真面目な私は長男だけのときは、テレビを見せないように必死で頑張ったりもしていた。

だが、次男がうまれてからは、テレビなしのワンオペは無理すぎた。
ご飯の準備のときや、家事をしているときはテレビをつけ、既製品のおもちゃを使うようにもなった。

そうなると今度は、ルールを破っているような、正しい子育てができていないような罪悪感を地味に感じるようになる。
園の言っていることが極端すぎるとはわかっていて、すべてその通りにする必要もないことはわかっていたが、それでも、その、日々聞かされる「理想的な子育て」は、その通りにできない母親たちの自己肯定感を少しずつ少しずつ蝕んでいく。
理想は、時に呪いにもなると、私は思う。

私を知る人には、現実と違いがありすぎて失笑ものだと思うが、生活感100%のこんな私でも、ロハスでスロウリーな生活にたいして、ある種の憧れがある。

たとえば朝。
手作りのパンやベーグルに、手作りのいちじくジャムなんかを出してみたい。
もちろん、栄養なんかも考えて、皿にはスクランブルエッグにサラダとヨーグルトも添えて。
温かいスープなんかもあったら最高。

昼は基本的にお弁当。
こだわりの曲げわっぱ弁当に滋味深いおかずを詰めてこれまたこだわりの職人が作った一品物のお箸を持参。

お部屋はものが少なく、常に清潔感があって、子どものおもちゃも木製の手触りにこだわる。

帰宅後も子どもたちとゆったり遊んで、子どもたちがお絵かきに夢中になっているあいだに、ご飯を手際よく作り、手まりご飯とかやってみたりしてかわいいプレートにちんまりと盛り付け。
子どもたちは美味しい美味しいとパクパク食べ、私は朗らかに微笑みながら家族の会話を楽しみ晩御飯のひとときを過ごす。

改めて読むと、たいしてロハスでスロウリーな感じが出せなかったけど、とりあえずなんかそういうゆったり優雅な子育てライフ、到底無理だとわかっていても憧れる部分はある。

私ほど極端じゃないとしても(実際、私も若干願望部分を誇張しているが。)、多くのお母さんたちは少なからず、自分なりの理想をもっている。
それは子育てだったりもするし、家事だったりもする。仕事のこともある。

他人に理想を語られるまでもなく、多くのおかあさんたちは、自分のなかの理想と現実とのギャップに、日々落ち込み、傷つき、疲れているんだろうな、と思う。
少なくとも、私は、疲れている。

「理想」は道の先を照らす素晴らしいものでもあるが、同時に私たちを日々苦しめる「呪い」でもある。
世の中のお母さんたちも、お母さんじゃない人も、理想が呪いにかわって、苦しくならないように、なんか全体的にもう少し楽しく生きられるような社会になってほしい。
いますぐに。

そしてこれだけはいいたい。
小学生を持つ働くおかあさんたち、この夏休みのお弁当づくり、本当にお疲れ様!
今日から給食!
私たち、この夏も最高にがんばったよ。

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