【読書感想】すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 堀江貴文


この本の概要

学校とは本来、国家に従順な国民の養成機関だった。しかし、インターネットの発達で国境を無視した自由な交流が可能になった現代、国家は名実ともに“虚構の共同体”に成り下がった。もはや義務教育で学ぶ「常識」は害悪でしかなく、学校の敷いたレールに乗り続けては「やりたいこと」も「幸せ」も見つからない。では、これからの教育の理想形とはいかなるものか?「学校はいらない」「学びとは没頭である」「好きなことにとことんハマれ」「遊びは未来の仕事になる」―本音で闘うホリエモンの“俺流”教育論!
「BOOK」データベースより

久しぶりの読書感想文。
本読むのもエネルギーがいるんですね…。私、たぶんここ数カ月、そういうエネルギーなかったんだと思う…。
全然読む気力がわかなかった…。

さて、前向きになるには前向きな人の本を…ということでホリエモン。
この人の本は極端だけど、エネルギーをもらえるから好き。

私と学校

私、将来の夢は教師でしたし、大学も教育学部でした。教員にはなってないけど、教育のことを見たり読んだりするのは昔も今もすごく好き。その流れでこの本も買いました。

大学生の頃までは、まっすぐそのまま教員になるつもりだったんですけど、教育実習担当の先生の言葉がきっかけで、私の進路がガラッと変わりました。
その先生は
「みなさんも教員になりたいと思って教育実習したと思うけど、教員は学校しかしらない人がほとんどなんです。なので先生になる前に、学校以外の選択肢も一度考えてみてくださいね」
みたいなことを語ってくれたんですよね。100人くらいの実習生にむけて言った些細な言葉だったけど、私にはその言葉が結構響いちゃって。
で、先生なる前に一回、会社員やってみようと思って企業に就職。結局、教員にならないまま今に至ります。

前の会社を辞めて転職活動しているとき、教員になることも結構本気で考えて私立の学校の教員採用説明会みたいなのに参加したり調べたりしてみたんですけど、教員免許の更新制度がどうにもイケてなくて、今から講師やるにも教員なるにもこの制度じゃ動きにくすぎるわ💢となり、諦めました。
あの制度と仕組み、マジでどうかと思う。

今でもチャンスがあるなら教員やりたいな〜と思うことはあります。子どものエネルギーと吸収力はみているだけで楽しい。人の成長を見守るのは大変さももちろんあるけど、すごくおもしろいし楽しい仕事だよな、と私は思います。(でも多分、楽しさ以上に理不尽と非効率もすごいんだろうけどw)

学校はいらない

この本のなかで、堀江さんは、学校なんていらないよ、と言っています。
学校教育は国家に都合の良い人間を量産するための機関で、しかも今の学校教育は戦時中からほぼ変わっていなくて今の時代にあってないのよと。

旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。

これは、子育てをしていても、ものすごく感じます。
はみ出すことを極端に許さないんですよね。そして先生も生徒も「異なること」を極端に嫌います。

うちの子たちも、
「え、でもこれだと先生がダメっていうと思う」
とか
「見本通りに書かないと先生に怒られる。クラスの人にからかわれる」
と言って、他者と異なることを極端に嫌います。
長男、次男ともにブレーキをかけることが染み付き始めてて、それがすごく残念。
なので私は
「この勉強の本質は真似して書くことじゃなく、先生の言うことを聞くことでもなくて、これを理解することだから、この計算がわかるなら写経みたいな課題はしなくていい!」
と言ったりするんですけど、学校の同調圧力ってのは超強力なので親のこういう言葉も彼らには響かないことが多い。

それに私自身にも葛藤はあって、ホントに学校の古いルールを無視して、自分が信じる教育を我が子に対してできているかというと全然できていないんですよね。
私も国からしっかり洗脳されて育ってきているので、なかなかその呪縛から逃れて新しい価値観をうえつけるのは難しい。
「こんな勉強なんてしなくていい」っていうのもいっぱいあるけど、学校が彼らの貴重な居場所のひとつでもあるので、その居場所をそれなりに楽しく過ごすためには勉強もやらざるをえないのかなーとか思ったり…。
スタンスが中途半端なのよね。

基本はホリエモンの考えに近いけど、そこまで振り切れないなーっていうことが実際すごくたくさんあって、難しいな、そのバランス…といっつも思います。

ただ「学校や先生や友達が正しいわけじゃないのよ。あなたたちがのってるシステムは、実はとても遅れたシステムでこれを正しいと思うのは違うよ」っていうのはちゃんと伝えておきたい。
今いる環境が当たり前に正である、という考えは持ってほしくないし、今の環境で理不尽なことがあったら、その違和感を意思表示できる程度にはしていかないといけないよなぁと思います。同調圧力に負けて脳のすみずみまで迎合しきっちゃだめだなーとは思います。それがこの環境でできるせいいっぱい。


学びとはなんぞや

ホリエモンは、子どもたちの教育にもっとも大切なことは「没頭」だと言っています。
好きなことに夢中で取り組み、その好きなことから学びを広げていく。
すごく理想的だなーと思う。そういう学校も数は少ないけどありますよね。

この休校中も「没頭ってこういうことかー」と感じることがありました。
うちの次男はYouTubeが大好きで、とりあえず暇さえあればゲームやアニメキャラをいじったYouTubeを見ています。マイクラのYouTubeなんかもよく見ているんですが、ちょっと前から、YouTubeみながらマイクラでコマンド?をピコピコ入力していて。。
アルファベットもよくわかっていないはずなのに、すべて英語のコマンドをピコピコ入力して、よくわからないけど楽しげに遊んでいるんですよね。
単語も少しだけど覚えて「アックスは斧でしょ」とか英語見て言ったりして、教えた覚えもない単語を読んでるから本気でビックリしたってことがありました。

次男は物覚えがいいほうかというとビミョーなところだし、要領良いタイプでもないんですが、でも興味がある分野ならスルスル入るんだな〜とわかると、その人その人にあうきっかけやスタイルを無視して、無理やり英語の教科書みせたり、英語教師としゃべらせたりするのはなんか違うんだろな、と気付かされました。
究極、こういうところで突き詰めていけば自ずと必要な知識はついてくるんでしょうね。
たぶん、それでいいんだろうな、学びって。

学校教育が変わるのはあと50年くらいかかりそうだし、その間に旧式の考え方(みんな同じが良い、ルールには従う)の子どもたちはどんどん量産されていく。
社会を変えるのに一番効果的なのは学校教育をかえることだと思うんだけど、なかなかそれは難しそうでとてももどかしい。

自分たち家庭での言葉がけでどこまでいけんのかはわからんけど、学校の教えや判断基準が正解ではないことは、折をみて伝えていきたいな、と思います。


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