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夢の台地へ

※この後手直しする予定ですが、一旦公開しています。

§1

良く晴れた7月中旬の十時半、朝と昼の隙間の時間に僕は大学内の並木道をサクサク歩いていた。5冊ほどの数学書と大量のルーズリーフの入った重いリュックを背負って、その重さに慣れ切った体を運びながら、最近学んだ、有限次ガロア拡大$${L/K}$$の中間体の集合$${\mathbb{M}}$$と、そのガロア群$${\mathbb{H} = \text{Gal}(L/M)}$$の部分群の集合との間の関係について、つまるところガロアの基本定理に思いを馳せていた。何に使うのかは正直分かってないが、なにか体の拡大についてその構造を調べようと思えば、それが有限次のガロア拡大でありさえすれば、包含関係を逆方向に保つ調子のよい群たちが対応する、という事は自分にも理解できていた。少なくともその構造は単純明快で大学の道のように美しく舗装されており、完全に説明できるということ自体が、校内を吹き抜ける涼しげな風と共に自分の気持ちを軽やかにしていた。
工学部棟の横をすり抜けて理学部棟に入っていくと、エレベーターに乗って六階のボタンを押す。つい、完全数だな、などとこのボタンを押す度に思う。6とか12とかって数は2と3の積で具合がいいから、もし人間の手が6本指だったら人類は12進数で良かったのになぁ。すると、いつの間にか数学科のフロアに到着した。
数学科のスペースは広々としていて、椅子やソファとホワイトボードが空間的な余裕を保っていくつも配置されており、大学の先生たちの部屋へのアクセスも良く質問がしやすい環境が整っている。この理学部棟は僕が大学に入るちょうど2年前に建て替えられたとのことで、実際モダンなデザインかつガラス張りの壁がとても多く、日差しの取り込みも十分確保されている。
僕はこのフロアの様子をとても気に入っている。特に空間的な余裕があることは少なくとも僕にとって大変好ましい。例えば塾の自習室の様な圧迫感のある学習環境では、緊張して全く数学に上手く取り組めない。対して空間的な広がりが目の前にあるという事はそれだけで精神を安心させ、中庸な心持ちで数学に向き合うことができる。そして数学を勉強していると、ガラス張りな為か大学の先生に勉強していることを気が付かれる事が多く、気分転換をしたくなった先生がふらふらと近寄ってきて学習中の数学の話題で雑談が始まる。このことが僕にとってどれだけ素晴らしい事だったかを説明するのはあまりに難しい。
僕はそのフロアにあるいつも勉強している丸くて白いテーブルの上に、ごと、と音を鳴らしながら重たいリュックを置くと、そのままある教授の部屋の前まで行って、扉をノックした。
「はぁい」
「失礼します」
扉を開けるとそこにはPCに向かって作業をしていた先生が座っていた。デスクトップモニターの後ろから頭を伸ばしてこちらを覗き込むと、ああ、君か、どうぞどうぞおかけになって、と言いながら、椅子から立ち上がると近くにある丸椅子を2つ引っ張り出して持ってきた。先生は癖ッ毛が強くて少し円らな目をした人で、今日もユニクロによくある単色の半袖シャツを着てジーパンを履いている。
「ありがとうございます」
「いえいえいえいえいえ。何か御用件です?」
そう言いながら椅子を一つこちらに差し出し、先生自身はもう一つの椅子を置いてヨッコラショと腰かけた。
「数学自体、というよりは代数幾何についてお聞きしたくて」
「はあはぁ、あーなるほど、進路というか、まあそういった話ですか、君も今大学3年になりましたしね。なぜ代数幾何にご興味を持たれたんですか?」
「はい、2年の後期にやった群論と、この前やったガロア理論なんかも結構好きして」
「ふんふんなるほど」
「あと結構思ってたのが、テイラー展開とかマクローリン展開とかの議論を見て、多項式って凄いんだなという気持ちがずっとったんですよ」
すると先生はすこしおっ、という反応をした。
「あーーー、まぁまぁ、少し言いたいことがありますが後にしましょう。それで?」
「はい、それでこう、代数と幾何と、ちょうど多項式周りのジャンルで丁度いいものが無いかな、などと見ておりましたら代数幾何を見つけて気になっているという状況なんです。なので一先ず先生にざっくりと代数幾何って何か、というお話を頂こうかと思って来たんです」
「はいはいはいはい成程成程、理解致しましたわ。君は優秀ですから、今から頑張ればまだ間に合いますし良いでしょう。」
優秀。そういわれたことに少し浮ついた気分になった。
大学の数学科というのは基本的に大学一年生の段階で先生からの評価を築けるものではない。何故なら数学は積み上げ式であり、大学一年生の段階で学ぶことは大学数学における基礎の基礎であるため、仮に大学一年生時点で上手く理解ができなかったとしても、他の勉強をしているうちに後から理解が深まってよく分かるようになることがある。何より数学科の多くの先生たちは学生の顔を覚える気などさらさら無いし、講義の後や関係ない時間帯に質問しに来る生徒の顔ならだんだんと覚えてくる、といった程度のものである。
それが大学三年生ぐらいの専門性の高さになってくると、そもそも各講義を受けるかどうかがその生徒自身の裁量に委ねられてくる為、ある講義を受けている学生が10人ぐらいしか居ないなんて状況が幾らでもあり得てくる。すると先生に顔と名前を憶えられて、その時点でやっとその学生がどれぐらい優秀なのかという事が認識され始める。というのが学生の僕目線から見た先生たちの態度だ。
その意味で、面と向かって先生から優秀と評して頂けたことはとても誇らしい事だった。
「それでは幾つか質問をしましょう。位相空間論は習得していますか?うちの大学では位相空間論がカリキュラムにありませんが」
少し緊張が走る。代数幾何に挑戦するために必要なものが揃っているか。一種のテストだ。
「松坂和夫先生の『集合・位相入門』と、ウチの集合論の講義で教科書指定されていた鎌田先生の本はある程度読みました。」
「いいじゃないですか。位相空間に対する直感的な印象はどうです?結果というよりは、位相空間がどんな概念だと思ってるか、アバウトに説明してみてください」
「えっと、ざっくり言えば空間がどう広がっているか、みたいな情報を開集合系で抽象化した概念ですね。どの開集合の共通部分がどんな開集合になるか、みたいな情報をかき集めて、空間の広がり方とか、繋がり方を記述するような」
「いい言語化です。では、連続写像について説明してみてください。」
「はい、連続写像は2つの位相空間の間の写像で、値域側の開集合の逆像が開集合になっているようなものの事です。」
「いいですねいいですね。なぜそれを連続写像と呼ぶのか幾何的直観は持ち合わせていますか?」
「えっ」
そう言い放って、1秒ほど固まってしまった。少し考えていいですか?と言ってから、腕を組んで考え始める。直感的には明らかだと思っていたので言語化したことが無かった。
結局$${\mathbb{R} \to \mathbb{R}}$$が連続である、と言うときと同じで、逆像が千切れていない、というのが直感的な話だ。割れた世界を一つに張り合わせるような所業は、連続と呼ばないだろう。しかし定義だけを見れば、逆像が開集合である、というのは、一つの千切れていない開集合の逆像が2つの千切れた開集合に行く、という場合があり得ないか?先に確かめたい。
「ちょっとホワイトボード使ってもいいですか?」
「いいですよ」
そう言って先生の部屋の丁度外にあるホワイトボードまで二人で歩いていき、書き始めた。

$${f : S \to S^{\prime}}$$ : continuous
$${U_{1},U_{2} \subset S^{\prime}}$$ : open
$${a \in U_{1} \cap U_{2} \Rightarrow f^{-1}(a) \in f^{-1}(U_{1} \cap U_{2}) \subset S}$$ : open

「あっ」
千切れない。逆像が必ず開集合の中に入る。$${f^{-1}(a) \in f^{-1}(U_{1}) \cap f^{-1}(U_{2})}$$が成り立つ。
「幾何的直観としては、開集合を開集合に戻すので、もし逆写像で戻す前の開集合が千切れていなければ戻した開集合も千切れていない、という事です。」
「ここでいう千切れているというのはどういうことですか?」
「共通部分が空な事です」
「いいですね!」
先生は腕を組んでうなずいた。後方彼氏面以外でこのポーズする人いるんだなと思った。とにかく位相空間論はよさそう、と判断された?ふと、頭は動いているものの、体が全体的に強張っていることに気が付いた。
「では、次に多様体論について聞かせてください。これもうちの大学に無いですからね。勉強したことはありますか?」
「松本幸夫先生『多様体の基礎』を途中まで読みました。確か第4章に入ってすぐの辺りぐらいまでですが…。」
「ああ、あのラブレターですね」
「ら、ラブレターですか?」
「ええ、あの本、あまりにも丁寧に書き下しすぎてて、逆に少し分かりずらいところがあるのでラブレターなどと呼ばれることがありますね」
ラブレターと呼ばれているのは初めて聞いたが、心当たりがあるところが多すぎる。まあそもそも一人で読み進めた為、自分以外に読んでいる人を知らないのだけれど…。
「結構やりますね。『多様体の基礎』を読んだのはいつ頃ですか?」
「大学一年生の春休み期間です」
「えっ、理解出来ました?」
「今きっちり説明しろと言われると、正直きついです」
「なるほど…でもまあ、大体どんな概念かというのは大丈夫ですか?」
「一応ですが…いわゆるこう言った…」
と言いながらホワイトボードに適当な曲面の塊を書いて、その曲面に向けて矢印を書き、矢印の付け根に$${\mathbb{R}^{n}}$$と書いたところで先生が話し出した
「ああぁあ、その図が書けるのであれば一旦問題ないとしておきましょう、ええ、ええ」
「それなら良かったです」
多様体はすぐに終わった。緊張をほぐすために一旦伸びと屈伸をする。
「では、可換環論についてはどうです?」
「まだ触ったことが無いです」
「おっとっと、それはギリギリですね」
ギリギリ。ギリギリらしい。そんなに難しいのだろうか。
「では、代数位相幾何はどうです?」
「三年生の後期に授業があるのでそこで履修する予定でした」
「成程成程、分かりました」
そう言うと先生はまぁまぁまぁ、と空中に向かって呟くと、また僕の方に向き直って話し始めた。
「いいでしょう、次の夏休みに可換環論の勉強と、多様体論の軽い振り返りをして頂ければ間に合うかと思います。ざっくりとどのようなジャンルなのか説明いたしましょう。」
そう言うと先生は今まで僕がホワイトボードに描いてきた少しの内容を消して、ホワイトボード用のマーカーペンを持つと蓋を取って、話し始めた。
「代数幾何というのはざっくりと言って、多項式という代数の構造と、その多項式の零点から成るある種の多様体の間の関係を調べている領域です」
そう言うと先生はホワイトボードに書き込みを始めた。

$${k : \text{alg. closed field}, k[x,y]:\text{poly. ring}}$$
$${k[x,y] \ni x - y}$$ 

「このように$${k}$$を代数閉体として、これを$${x}$$と$${y}$$を変数として持つ多項式による環とします。で、そこから多項式$${x-y}$$を持ってきました。これに対して多項式の零点と言っているのはつまりこの方程式の解のことです。」
ふたたび先生はホワイトボードに

$${y - x = 0}$$

とだけ書いた。
「この方程式の解全体を$${V}$$とでもすれば、当然ながら

$${V =\{ (a,a) \mid a \in k \}}$$

このように書けますよね」
「そうですね」
「このような状況は一般の多項式に対して考えらえますが、この零点集合を多様体の文脈で上手く扱えるような位相を定めて、可換環論と多様体論を上手く繋いで議論するというのが、素朴な代数幾何のモチベーションだと言えます」
成程、例が簡単だからすごく優しい。しかしながら今出てきた言葉たちから、背景に必要な理論の重さが伺える。
「かなりやりたかったことにぴったりなジャンルで助かりました。これってもしかしてなんですが、仮定してる知識量えぐいですか?先ほど話に出していただいた位相空間論、多様体論、可換環論、代数位相幾何の全てを同時に使いそうに見えるのですが…」
「はい、はい、はい、おっしゃる通りで。あとは線形代数、初頭解析、複素解析は勿論のこと、群論、体論も基本的なことは分かっていただいてると勉強しやすい筈です」
やたら挑戦難易度の高さが強調される理由がこれか、と思った。それと同時に、今まで学んできたすべての数学が絡み合って一つの理論になることを想像すると、それは途轍もない大冒険に他ならない、と思った。混ざり合って溶け行くような心地よさ、まどろみ、混沌さ、そしてきっと待ち受けているであろうまだ見ぬ美しさとやらが、眼前に広がる広大な台地となって、唐突に隆起してきた。その具合の良さ、果てしなさ。数学の広がりゆく情景の一つを目撃することになる堪らなさ。
「それでどうでしょう、夏休みの間に可換環論の勉強をしますか?そもそも代数幾何を齧りたいかどうかですが」
「是非!おすすめの可換環論の本を紹介していただけますか?」
こうして僕の旅は始まった。向こう何年にも渡る、驚きに溢れた未知の旅が。

§2

大学3年の12月、冬休みに入り、夏休み以降続けていた可換環論の勉強を続けていた。実家から通っているので当然家には家族がいて、勉強がいまいち捗らない事から大学に足を運び続けている。うちの大学の並木道は夏こそ風通しがとてもよく快適に移動できるが、冬はその風通しのよさが猛威を振るい、手袋とマフラー無しではとても行く気にならないほどであった。そんな中理学部棟はいつでも開いていて、自分と似たような理由から大学で研究をしたい先生数人と自分がいつもいるのだった。
その日は並木道の風の中、迫りくる冷気に身を縮め、のそのそと猫背になりながら、付値の目指すところが見えず、加群と代数の違いがあやふやな事が丸わかりの足取りに、具体例の欠乏した重たいリュックを甲羅の様に背負って、這うように理学部棟を目指す。そうしてなんとか理学部棟に着くと、まだまだ不慣れな可換環論に、行間をいちいち埋めたつもりでも上手く思い出せなかったり、あるいは議論そのものがどういう物か頭の中で整理できていない可換環論のことを思い出し、自分の代数学への不慣れさ、適合できなさを振り返る。
今日はNoether環の章に入る。証明の一行一行が追えなかった訳では無い。主張が分からない訳でもない。ただ、そうした近傍の局所的な議論が納得できても、それらを貼り合わせる好ましい全体像を想像できていないだけだ。それが想像できるようになるために、今日も勉強を進めるのだ。この感覚は$${\varepsilon - \delta}$$の時にも身に覚えがあったが、忍耐が功を奏した。今は忍耐の時である。するといつの間にか数学科のフロアに着いていて、ああ、完全数の事をすっかり意識していなかった。どうやら自分は追い詰められているらしい。
いつもの席に着くと、直ぐにリュックからアティマクを取り出しての第7章の頭のページを開く。第7章、ネーター環。そのタイトルだけを見て、やっとこさ椅子に腰かけると、全身の力が抜けた。何を焦っているのだ。このような精神では、何も成しえないぞ。
落ち着いて上着を脱いでから椅子に掛けた後、少し数学科のフロアを散歩することにした。今日いらっしゃる先生はどうやら整数論、統計、力学系、リー代数、調和解析の先生だ。そうやって大学の様子を見ながらノロノロ歩き、肩の上にどっさり乗りかかった重力を払い除けて、ぼやぼやと元のテーブルに戻ってきた。ネーター環と書いてある本が開いたまま放置されている。すると先生方の部屋から音がして、リー代数の先生がこちらに歩いてきた。黒いスウェットに黒スキニー。細身で筋肉質のさっぱりした先生で、数学科の中では最も女学生からの人気がある先生だ。女学生から人気のある先生なんてこの人しか見たこと無いけど…。
「やぁおはよう。調子はどう?」
「あんまりよくないですね。部分部分で分からないところは今のところないのですが、全体として納得していない事が多いというか…説明が難しいです」
「あぁそうゆう感じね。担当の先生から聞いたけど代数幾何やりたいんだって?」
「そうです。ただ代数が弱い感じはずっと感じてまして、今可換環論をやっているところです」
すると先生は左手を右ひじに、右手を頬に添えながら話し始めた。
「いいじゃないの。代数学はそういう時期あるよ。私も昔、線形代数で核の定義から核が何なのか想像できないまま一年以上過ごしたことがあったよ」
「え、核ですか?」
「そう。今からすればありふれた概念なんだけどね。そういう瞬間は何回かある。その状況だと議論は追えるけど納得はしてない。納得してないから議論が頭に入らない」
先生のレベルでもそういう物か、と思った。
「議論が頭に入らないときは、そもそもその議論を何回も何回もやりなおしたり、あるいは定義そのものを理解するためにオリジナルでもいいから図をたくさん書いたり、あるいは具体例を沢山見たりして、とにかく納得に努める必要が出てくる。けれど大抵そういう取り組みは時間がかかるし、ややこしい構造をしている物ほど時間がかかる。」
それも身に覚えがある。特に幾何的なイメージが伴わないもの、例えば微分方程式とか、整数論とか。その意味では$${\varepsilon - \delta}$$は時間こそかかったものの、とても単純明快だった。
「ありがとうございます。時間をかけます」
「それでいいと思うよ。焦ったって、なんにもならないから」
そう言って先生は戻っていった。僕はその落ち着き払った態度に落ち着きと勇気をもらって、リュックから筆記用具とルーズリーフを取り出して、開かれたアティマクのページに立ち向かった。

環$${A}$$は次の三つの同値条件を満たすとき,ネーター環であるということを思い出そう.
1) $${A}$$のイデアルの空でないすべての集合は極大元を持つ.
2) $${A}$$のイデアルのすべての昇鎖は停留的である.
3) $${A}$$のすべてのイデアルは有限生成である

著者:M.F.Atiyah, I.G.MacDonald.訳者:新妻 弘.『Atiyah-MacDonald 可換代数入門』.発行所:共立出版株式会社.2013年発行.123p.

これは最近勉強したばかりだからわかる。早速1つ目の命題だ.

【命題7.1】$${A}$$をネーター環とし,$${\phi}$$を$${A}$$から$${B}$$の上への準同型写像とすれば,$${B}$$はネーター環である.
(証明) $${\mathfrak{a} = \mathrm{Ker}(\phi)}$$とすれば,$${B \simeq A/ \mathfrak{a}}$$であるから,この命題は命題6.6より従う. $${\blacksquare}$$

著者:M.F.Atiyah, I.G.MacDonald.訳者:新妻 弘.『Atiyah-MacDonald 可換代数入門』.発行所:共立出版株式会社.2013年発行.123p.

これは流石にわかる。環準同型定理を使っただけだ…などと読み進めて行くと、次の定理に出会った。

【命題7.5】(ヒルベルトの基底定理)$${A}$$がネーター環ならば,多項式環$${A[x]}$$もネーター環である.
(証明) $${\mathfrak{a}}$$を$${A[x]}$$のイデアルとする.$${\mathfrak{a}}$$に属している多項式の最高次係数は$${A}$$のイデアル$${\mathfrak{l}}$$をつくる.$${A}$$はネーター環であるから,$${\mathfrak{l}}$$は有限生成である.それらの生成元を$${a_{1}, \cdots , a_{n}}$$とする.任意の$${i = 1, \cdots , n}$$に対して,多項式$${f_{i} \in A[x]}$$が存在して$${f_{i} = a_{i}x^{r_{i}} + (\text{低い次数の項)}}$$の形に表される.$${r = \mathbf{max}^{n}_{i = 1} r_{i} }$$とおく.これらの$${f_{1}, \cdots , f_{n}}$$は$${A[x]}$$においてイデアル$${\mathfrak{a} \subseteq \mathfrak{a}^{\prime}}$$を生成する.
$${f = ax^{m} + (\text{低い次数の項})}$$を$${\mathfrak{a}}$$の任意の元とする.このとき,$${a \in \mathfrak{l}}$$であるから$${a = \sum^{n}_{i = 1} u_{i}a_{i}, u_{i} \in A}$$と表される.$${m \leq r}$$ならば,$${f - \sum^{n}_{i = 1}u_{i}f_{i}x^{m - r_{i}}}$$は$${\mathfrak{a}}$$に属し,その次数は$${<m}$$である.このようにして,$${f}$$から$${\mathfrak{a}^{\prime}}$$の元を引くという操作を続けると,ついには次数が$${ < r}$$である多項式$${g}$$を得る.すなわち,$${f = g + h,h \in \mathfrak{a}^{\prime}}$$という式を得る.
$${M}$$を$${1,x,\cdots ,x^{r-1}}$$によって生成される$${A}$$-加群とする.このとき,上で証明したことは$${\mathfrak{a} = (\mathfrak{a} \cap M) + \mathfrak{a}^{\prime}}$$である.いま,$${M}$$は有限生成$${A}$$-加群であるから,命題6.5よりネーター加群である.ゆえに,命題6.2より$${\mathfrak{a} \cap M}$$はは($${A}$$-加群として)有限生成である.$${g_{1} , \cdots , g_{m}}$$が$${\mathfrak{a} \cap M}$$を生成するとすれば,明らかに,すべての$${f_{i}}$$と$${g_{i}}$$は$${\mathfrak{a}}$$を生成する.したがって,$${\mathfrak{a}}$$は有限生成であり,$${A[x]}$$はネーター環となる.$${\blacksquare}$$

著者:M.F.Atiyah, I.G.MacDonald.訳者:新妻 弘.『Atiyah-MacDonald 可換代数入門』.発行所:共立出版株式会社.2013年発行.124~125p.

まるで頭に入ってこない。どうやら今日はこの証明を理解することに一日を使うことになりそうだ。
先ず大本の主張は凄まじい。多項式環の係数環がネーター環でありさえすれば、多項式環自身もネーター環であると言っている。ここまで読んできた限り、かなり多くの環に対する操作に対してネーター性というのは遺伝するらしい。それはネーター環を用いた理論が今後非常に豊かになっていくことの証拠でありえる様だ。ネーター環自身も「イデアルが有限生成」とか、かなり直感的に分かりやすい性質であるために汎用性が高そうだ。
何よりも素晴らしいのが、これが多項式環に遺伝するという事だ。僕は今年の夏休み前からずうっと、多項式の力強さと、その奥にあるらしい代数幾何の豊かさに憧れて可換環論を勉強してきた。そこについに現れたるは、多項式環に関する議論の下敷きにはこのネーター性が走っているという、理論の基盤足り得る予感のある定理だ。此処に夏休み前思い浮かべた、広大な台地の根拠がある。僕はそのことに興奮しながら、この事に心からの納得を得るべく証明を読み進める。
そもそも最初のイデアル$${\mathfrak{l}}$$は何者か?何者かは書いてあるが、そのイデアルには$${1}$$が含まれるように思えてならない。その場合には…単に$${\mathfrak{l} = A}$$の場合を考えてみる事にしよう。つまり、例えば生成元がなにかもっと引っ掛かりのある係数を持っていれば、つまり単元でなければ、それなりのイデアルにはなりそうだ。よし、次に進もう。
ネーターだから有限生成…これも定義から従うのでOK。生成元もOK。それぞれに対して多項式$${f_{i} \in A[x]}$$が存在して…?これは何故だ?なぜなのかが分からず、仮定を読み直し、証明を読み直す。そもそも$${a_{i}}$$はなんであったか…そうか、最高次係数って話だったな。だから具体的な$${f_{i}}$$が取れると言っているんだ。分かったぞ。
これら$${f_{i}}$$が生成するイデアル$${\mathfrak{a}^{\prime} \subseteq \mathfrak{a}}$$…?等号ではなく包含?
何故だ。$${\mathfrak{a}}$$に属していて$${\mathfrak{a}^{\prime}}$$に属していない元なんてあるか…?
分からない、少なくともパッと見つからない。このイデアルはそもそも$${\mathfrak{a}}$$から作ったではないか。
一度ルーズリーフから顔を上げて、天井の照明を見る。ぼうっと、眺める。
そんなのいないよな…いるか?$${g \in \mathfrak{a}}$$から$${g \in \mathfrak{a}^{\prime}}$$を示せるか?
しかしこれはただのイデアルで、どちらかというと$${\mathfrak{l}}$$の定義をたどっていることを示すしかない。すぐには分からない。分からないので、立ち上がる。深呼吸をして、数学科のフロアをまた、歩き回ることにした。
腕を組んで、首をぐるぐると回しながら数学科のフロアを歩き回る。壁に書かれた数学者の名言を眺めながら考える。$${g}$$の最高次係数を仮に$${b}$$と置いたとして…$${b \in \mathfrak{l}}$$なことは間違いない。だから$${b}$$を最高次係数に持つ多項式が$${f_{i}}$$の中にいるはず…あれ?$${f_{i}}$$の中に$${g}$$って居るのか?
一番近くにあったホワイトボードに向かって書き出す。

$${g \in \{f_{1}, \cdots , f_{n}\}}$$は成り立つか?

仮にこの中の一つ、$${f_{3}}$$の最高次係数が$${b}$$だとして、それが$${g}$$だという保証はあるか?…いや、そんな保証はどこにも無い。つまり、$${\mathfrak{a}}$$の中には同じ最高次係数を持つ別々の多項式が含まれている可能性が十分ある!それはそうだ!前に進める。
気が付いた僕はホワイトボードに書いた問題提起を消して、速足でもともと居たテーブルに戻った。すぐに座って、続きを読む。
$${f \in \mathfrak{a}}$$を任意に取って…最高次係数$${{a} \in \mathfrak{l}}$$より生成元の線形和になる…はOK。次数が$${r}$$以上なら引き算が$${\mathfrak{a}}$$に属する…ほんと?…ああ、最高次係数を打ち消してるのか。OK。
これを続けると次数が下がって$${r}$$未満になる…それはそう…だね。これを$${g}$$と名付けて?
あ~、$${f = g + h}$$、確かに、そうなる。そうなるね。
$${M}$$があまりで作った加群。はい、それで証明したことが$${\mathfrak{a} = (\mathfrak{a} \cap M) + \mathfrak{a}^{\prime}}$$…それぞれがえーと、$${f \in \mathfrak{a} , g \in \mathfrak{a} \cap M, h \in \mathfrak{a}^{\prime}}$$で合ってるかな?あってる。あってる。あってる。よし全部あってる。
$${M}$$が有限生成加群だから生成元を有限個取れて…$${\mathfrak{a}}$$が有限生成。確かに、で、ネーター環。あれ?証明終わった。
ん?結局何が起きた?部分部分は分かったけど、全体としてどういうアイデアでできた証明なのかが見えないぞ。僕は何をされた?係数から有限個とって多項式有限個とって…うん?うん?
頭の中が整理できないまま頭を上げて、ふと時計を見ると、もう、18時だ。そう思った途端、腹の虫がぐうぅと鳴いた。夜ご飯に間に合うようにしないと。そうして証明の全体が頭の中でまとまり切らないまま、僕は急いで文房具とルーズリーフ、アティマクをリュックにしまい込む。上着とマフラー、手袋を着てリュックを背負いこみ、小走りで理学部棟を後にした。

§3

結局、ヒルベルトの基底定理の証明が頭の中でまとまらないまま、初めてのゼミの当日になった。他の話す部分はまとまったけれど、基底定理だけが、どうも頭の中でゴロゴロと転がりまわっていた。ゼミはこうした事を整理する場でもある、と信じて、説明はするものの質問もするつもりで大学に向かう。
何時もよりも早い時間に家を出て、頭の中で唸りながら最寄り駅に向かう。殆ど周りの景色は見えず、ただ習慣と直感が塊になった僕を最寄り駅に運び込んだ。通勤ラッシュは既に終わっている。数学者たちの朝は遅い。
結局イデアル$${\mathfrak{l}}$$は何のために用意されたんだったか。それが$${M}$$に結び付くまでの経路が妙に長くて、上手く頭の中でハマりこまない。そのせいで間の手順が少し曖昧に感じられる。まず有限生成なことを使って有限個元を取って、それを最高係数とする多項式たちが取れて、この多項式でイデアルを生成して、任意の元に対して次数をこそぎ落とすように元を引いて行って、引く元が$${\mathfrak{a}^{\prime}}$$の元で、次数を落とせるから元の多項式たちの最高次の次数よりも小さくできて…だから有限生成$${A}$$加群$${M}$$が出てくる。うん。手順は分かる。ただ、それが直感的に頭の中に納まってくれない。自然数を$${0}$$から順番に数え上げることはできるのに、その具体的な、量的イメージができなかった小学一年生の時と同じ。手順も目的も分かってるのに、手順がそうなっている理由が見えない。悶々とした遠さが、道のりが、そこにあってすべて把握しているのに、繋がらない。だからいつの間にか大学の近くの駅から降りて、大学まで歩いて、ゼミ室に到着するまでの道のりなんてのは全く短くて、なんだ現実って全然距離空間じゃないじゃん、なんて実感が僕を支配した。なんなら今、$${6}$$が完全数だなんてこと、一瞬だって考えたか?
そうしていると、僕に代数幾何学の事を教えてくれた先生があっという間にゼミ室に入ってきた。
「あぁ、あぁどうもどうもお疲れ様ですえぇ」
「お疲れ様です」
「あ、すみません水持ってくるの忘れてました、少々お待ちを」
そう言って先生はまた教室から出て行った。忙しい人だ。そうして少し待っているとすぐ先生は戻ってきて、少し奥の椅子に座った
「ええ、ええ、それでは勉強したことの紹介なんかをお願いできますか」
「はい」
そういわれて僕は立ち上がり、ゼミ室のホワイトボードの前まで行って、話し始める。
「それではアティマクの7章を読んできたのでその話を切りの良いところまでできればと思います。ただ、ヒルベルトの基底定理の証明があまり自分で腑に落ちていないので、色々と突っ込んだり感覚の話などできればと思います。よろしくお願いします。」
ぺこりとお辞儀をして、すると軽く先生もお辞儀をする。
「それではネーター環の定義の確認からです。大前提として、今回は環と言ったら可換性を仮定します。いくつか同値な条件が知られている定義ですのでそれを書き出しますと…」
こうしてゼミが始まった。ゼミは順調に進んでいった。ネーター環の3条件が何故同値と言えるのかの説明を求められてその場で証明し、命題7.1,7.2,ガウス整数環の例を見てから命題7.3で積閉集合の定義を確認された。系7.4も見て、遂にヒルベルトの基底定理にやってきた。
「ではヒルベルトの基底定理です。ネーター環を係数とする多項式環はネーター性を保つという物で」
と言いながらホワイトボードに主張を書き込んでいく。
「いいじゃないですかいいじゃないですか、主張はバッチリですよ」
「ありがとうございます。それで証明ですが」
と言い、説明しながら書いていく。証明の内容そのものには何の不安もない。多項式環のイデアルを取る。イデアルに属する多項式の最高次係数を用いて係数環のイデアルを作る。ネーター性から生成元を有限個取る。対応する多項式を用意する、それらでイデアルを再生成する。多項式たちの最高次数に名前を付ける、多項式環のイデアルから任意に多項式を取って、その次数が多項式たちの最高次数未満になるまで調整した式を差し引く、そこから次数未満の係数をもつ生成元で有限生成加群を作って、生成元の関係を明らかにする。結果、多項式環のイデアルが有限生成だと発覚し、多項式環はネーター環だという事になる…。
証明し終わったところで先生から声がかかる。
「いいですねいいですね!全く淀みなく証明できてますが、どこら辺が不安だったんですか?」
「漠然としているんですが、最初の最高次係数でイデアルを作ったとことから有限生成加群を得るまでの間に、結構手順を踏むじゃないですか」
「えぇえぇ、そうですねぇ」
「なので、手順のあまりの多さに全体像がいまいち俯瞰できていないというか、落ち着いて証明全体の構造が人目のうちに見え透いてこない感じが強いんですよ」
すると先生はニカっと笑って、答えた。
「あぁ、それは割とどうしようもない事が多いですよ!それは代数の肌感覚が単に弱いという事で、しばらく代数学を使い続けてみたらどうでしょう?だんだん鍛えられていく類の話だと思いますし、諦めて突っかかり続けるのが吉だと思います。」
立っている床の底が抜け落ちたような浮遊感に襲われた。それは、どういうことだろうか。職人技の様なものだろうか。それとも何か得体のしれない…。
「君は代数が少し弱いと言っても今の証明を追える程度には段階を飲み込めているとも言えますし、そもそも君は幾何が強いと思います」
「幾何が強い、ですか?」
「えぇ、えぇそうです。結構位相空間の定義って多くの人が抽象性の高さから飲み込めなかったり、感覚をつかめなかったりするんですよ。その点、あなたは今年の夏時点で既に位相空間に対する直感的な認識を、独学でお持ちでしたでしょう?この二点で既にかなり優秀ですから、あまり心配しなくても時間が解決するかと思いますよ。はい。」
「なる、、、ほどです」
直接の解決手段がない。何か自分の知らない、未知の感覚を自分の中に育てていなかければ、立ち行かない。正直言って、今やっているヒルベルトの基底定理の証明だって、今でこそ完全に手順を説明できるけど、一か月後に何も見ずに証明できる自信は、無いのだけれど…。そこに、代数のセンスと体感方向に延々と伸びる、果てしない空間が広がった。当然そこに距離はないけれど、境界などどこにも見つからない。激しい不安と寄り辺の無い四肢、ぐらりと黒板に寄りかかった。突然に聳え立った暗い空間の中に一人ぽつんと立たされたその状況は、誰にも覗き込まれない、自我だけが放置された、無形の憧憬に他ならなかった。

§4

妻と二人で新生活を始めるために引っ越してきた横浜の賃貸は、広くもなければ狭くもない、ちょうどよい家だった。その上交通の便も、食料の調達にも困らない、程よい学生街の中。大量の荷物を開けて整理する作業も大体終わって、二人で息をついていた。カルキの匂いが強くこびりついた、苦みが強い水道水。外から頻繁に聞こえてくる自動車の音。そんな中で今後どうなっていくのか想像しながら、ふと本棚を見る。
Atiyah先生とMacDonald先生の『可換代数入門』
松村英之先生の『可換環論』
上野健爾先生の『代数幾何1、2、3』
Hartshorne先生の『Algebraic Geometry』
小木曽啓示先生の『代数曲線論』
堀川頴二先生の『複素代数幾何学入門』
石井志保子先生の『特異点入門』
僕の、大学院修了論文
大学院に入ってからもお世話になり続けた本の数々とその成果がこちらを見ている。そしてそれら全てに流れているヒルベルトの基底定理の事を思い出して、アティマクを手に取った。
確かネーター環の話は少し後ろの方にあったはず…係数環から多項式環にネーター性が移る。
結局、自分の専門ではこの係数環は代数閉体の複素数体だった。この後にも山場は山のようにあって、Hilbertの零点定理からのアフィン空間、代数多様体、スキーム論、コンパクトリーマン面の種数の議論から、リーマンロッホ、セーレ双対性、双有理幾何学からの自己同型の固定点や特異点についての議論…結局自分の専門はK3曲面となり、楽しく大学院生活を送ることができた。
懐かしい証明。結局主張だけ理解して証明は放置していたけれど、どうだろうか。
最高次係数でイデアルを作って、生成元から多項式を得て、イデアルを生成、いい感じに次数を下ろして有限生成加群を…ああ、成程。全体像としては、最初に取ったイデアルを上手く有限生成な部分で二つに分けたい。その中で係数環のネーター性を使いたいから、加群部分とイデアル部分に有限性が上手く使えるように、冒頭のイデアル$${\mathfrak{l}}$$を取った。この選び方が技アリな部分だったということだ。
結局、あの時先生が言っていたことは正しかった。使い続けた経験が、あの真っ暗な寄り辺の無い世界から僕を救い上げて、元の憧れていた台地の上まで案内してくれた。台地の骨組みは代数であり、その姿は幾何だったというのが僕の率直なものの見方だった。代数が強い人にとってはまるで逆の見え方をするのだろうと、その世界はどんな気持ちなのだろうと考えることがある。結局大学で学んだほとんどの事が実際に代数幾何に混ざり合って、役に立った。見通しが良いかと言われると分からないけれど、その原風景が覗けるところまで来れたこと、そして理論数学の進歩にほんのちょびっと寄与できたことは、僕の大冒険の最上の終わり方の一つだと信じている。
「まーた数学書見てる」
全く数学に興味のない、新生活にウキウキの妻。結局あの大冒険は、時間によって潰される核の元だった。それが、良かったのだ。
「数学書読んで金でも振ってきたら良かったんだけどね」
僕はそう言いながらアティマクを本棚に戻した。僕の数学の旅は、趣味となって少しだけ、もう少しだけ進んでいくのだった。


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