「のんびり」と書きたくてのんびりを散りばめたのんびりした週末

予定していたイベントが雨で中止になったので、スケジュールがぽっかりと空いた日曜日。のんびり。
昨日の夕方までは開催予定だったので、お昼に食べるはずだったお弁当の仕込みまで終わっており、食べるものにも困らない。つまりいつもよりのんびり。

さぁ、なにをしましょうか?

普段できないところまで、隅々お掃除?
裾がほつれたパンツの修繕?
noteのネタ探し?

はい、やらない。

いつも通りの定例家事をしつつ
one work
two rest

one play
two rest

のペースでただのんびりと時間が過ぎていくだけの日曜日になった。

私はのんびりするのが好き。そのことを誰に責められたわけでもないのに、のんびりにちょっとした後ろめたさを感じてしまうのは何故なのか。

なにをしましょうか?
の時点でやりたいことが浮かんでいるのに、やらずに終わったことで自分自身を裏切った気分になったのだろうか。

いやいや、やらなかったんだから、きっとやりたくなかったのだ。
私には「のんびりする」以上の至福はない。

いつものんびりしているのに、一日中のんびりしていても、まだのんびりしたいのだから、これはもう「好きを見つける」とかいうウーマン系雑誌に出られるくらい夢叶えたと思っていい。
タイトルは「マネするだけ♡人生はすべてのんびりでうまくいく」

あ、だめ。
まだのんびりの言い訳として弱い気がしていきた。

今日私は実験をしていたことにしよう。

「行き過ぎた働き方改革モデルの社会実験における主婦の反応プロセスと考察」

はじめに ヒトは働き方改革で生み出した時間をどう使うのか。
(数字はパーセント)
・キンドル 15
・インスタ 10
・ボールソートパズル 50
・仮眠 5
・(熟)睡眠 10
・寝たふり 10

考察:のんびりするという目的において、手段は問わない。行き過ぎた働き方改革はヒトにのんびりという猶予を与える。これは、勤労における精神的負担を減らし、我が国の自殺率低下、ひいては若年者の自己肯定感の低さに歯止めをかける手段として社会に一石を投じる画期的な実験であった。

みたいな。

え?そうそう。上記の通り、のんびり時間はずっとボールソートパズルやってた。
レベル79までいった。

(隅々お掃除+パンツの裾上げ+ネタ探し)・X(逃避行動)=パズル

あれ、かっこよくなってない。
パズルがしたかったわけじゃない。
ただ、のんびりしたくて、のんびりした週末。

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