終活ごっこ
最近ひとり終活ごっこをしている。
具体的な断捨離とか遺言とかではない。
「もし今日、余命が1年だと言われたら、不要なものはなに?」
と自分に問うことで、過去のいらない感情を整理する作業だ。
真っ先に断捨離候補に上がったのは、
誰かに対する恨みごと
である。
自分の余命が1年しかないのに、過去にされた嫌な思い出について、「あの時あなたがした○○について、私はまだ根に持ってるんだよ!」と言いに行く時間はない。
小学校・中学校・高校と、断続的にソフトないじめに遭った。
されたことはきっと消えないのだけれど、余命が1年だとして、今更相手の行方を突き止めて文句を言ったところで得るものはない。当時それなりに反撃もしていたし、そのことについて考える時間が惜しい。
と思うと、いらないものに仕分けできた。
社会人になってから理不尽なことをしてきた相手に対しても、思い出す時間がもったいないと思えるようになったし、つい思い出すうちに癖になり、うっかり走馬灯に出てきてしまったら邪魔すぎる。いらない。
ところで私は以前手術をする際に、手術中に死んだらどうしようと本気で怖がったことがある。当時は今やっている終活ごっこより切羽詰まった感情だった。
その際、上記の恨み言については、思い出しもしなかった。
ということは、余程どうでもいいことなのに、まだ手放せていなかったのだ。執念深い。
「もし余命が1年だと言われて、やっておきたいことはなに?」
バージョンも考えている。
やっておきたいことも、手術前に考えた。
自分がいなくなると思った時に気がかりだったのはまず息子のこと。
ただ、その次に思い浮かんだのが「進撃の巨人の結末を知るまでは死にたくない」だったので、好奇心を満たすことは余命が1年だとしても手放したくないのだろう。
余命宣告されたら読む本リストを作ろうかと思ったが、死に様が余命宣告されるルートじゃなかったら一生読めないのでやめた。
意外だったのが、やっておきたいことバージョンで今回候補に上がった
「もっとオシャレを楽しんでおけばよかった」
という願い。
あくまで想像の余命なので、リアルに起こればまた違ってくるかもしれないが、まさかファッション系の願望が自分の中にあるとは思わなかった。若い頃から着道楽ではなかったし。
ファッションといっても、高価なジュエリーを手に入れたいとか、ブランドの服が着たいとかではなく、日常的に好きな服を着ていたいという、すぐに実現できそうなもの。
40代になり、とっくにおばちゃん道に入門したと思っていたが、おばちゃんだっておしゃれしたいのか。自分がなるまで気づかなかった。
服を着こなすためには、運動して体型も維持したい。これはギリギリまで自分の足で好きな場所へ行きたいという願望のためにも必要。
割愛するが、終活ごっこでは他にもさまざまな「いるもの」と「いらないもの」が出てきた。
いらないものはサッパリ処分して、後で心残りに感じそうな欲求は、なるべく早めに叶えていけたらな、と思う。
残された時間は、予定より少ない場合だってあるのだから。
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