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ジェットコースター、下車【娘の記録④】

妊娠23で入院し、32週で緊急帝王切開になったときのことを書きました。


赤ちゃんが苦しがっている

入院から2ヶ月が経った頃、お腹のMRIを撮ることになった。
羊水が少ない原因は不明のままだったのだが、もしかしたら腎臓が生まれつきないのかもしれない、だからおしっこが出せなくて羊水が少ないのかもしれない、もしそうだとしたら生きていくことはできない。ただしエコーで見る限りではおしっこは出せているようだ。なので、もっと詳しく見てみるためにMRIを撮ってみましょう、ということになったのだ。


当日、MRIの直前に一度エコーをした。
主治医は夏休み中で、主治医の上司の先生(女性)が診てくれた。のだが…

……ん?どうした?
エコーがやたらと長い…。

すると先生から良くない話があった。


「赤ちゃんが苦しがっているサインがまた1段階上がった」


とのことだった。
苦しがっているサインには何段階かあり、入院時にはすでにレベル1の状態だった。

今回はどうやら胎児の頭の血流の量が増えたらしい。
これは、苦しいが故にまずは頭を守ろうとして血液をたくさん頭に送っているということらしい。胎児よ、君たちすごくないか?誰かに教わったわけでもあるまいし…。まさに生命の神秘!

…なんて感動したのは後々のこと。

その後、私は心ここにあらずな状態でMRIを受け、病室に戻ってきた。
そのとき、また先生に呼び止められた。

「ごめんね、やっぱり気になるから、もう一回見せて」

と。先生は慎重に、丁寧に、何度も心臓、頭、へその緒など色々な箇所の血流を見ていた。

そして、


「今から産婦人科の他の先生たちと話し合うから、お部屋で待っていて。もしかしたら、今から帝王切開になるかもしれない。」


と言われた。
私はその言葉で一気に不安が爆発し、部屋に戻るなりガタガタ震えて涙が抑えられなかった。

私は強がりであまり人前では泣かないタイプだが、この時はもう我慢ができなかった。というか、自然に出てきた。

このとき、妊娠32週。
胎児の推定体重はたったの800gだった。普通なら平均で2000g近くになっている時期だ。
だからあと8週、いやせめてあと5週、いやいや、1週でも、1日でも長くお腹の中にいて欲しかった。
お願いだから…


30分後、先生が部屋に来た。


「やっぱり今から赤ちゃんを出してあげましょう。もしかしたら、明日までもたないかもしれない。」


明日まで、もたない……?

涙が滝のように溢れてきた。
恐怖だった。
突然の手術も怖いし、お腹の子の命を失うのも怖かった。

先生はしゃがんで私の背中をさすってくれ、震える手を握ってくれた。


「お母さん、23週からよくここまで頑張ったね。お腹から出してあげた方が赤ちゃんにとってはよさそうだから、あと少し頑張ろう。」


先生の優しさが、沁みた。


緊急帝王切開

ゆっくりと準備が始まった。(ような感覚だった)
手術開始は19時30分。
夫に連絡したら、急いで職場を出ても手術開始には間に合いそうにないとのことだった。

手術前に、考え得るリスクの話があった。
「赤ちゃんを助けられない可能性もある」と言われたことは覚えている。
あとは覚えていない。


その後、左手の手背に張り止め用のルートが入れてあったが細い針を使っていたので、念のためもう一本太い針でルートを取ると言われ、すでにボロボロだった右手の親指の付け根あたりにルートが取られた。
針の太さが全然違くてさらに泣いた。情けない…。


そして完全にパニックになってる状態で私はオペ室に入り、固定された。

バイタルを測っているときにふと右手を見た。そしたら、なんと先ほど取ったルートの刺入部が血まみれになっていた。すでにダメになってしまったらしい。

「えっ!?み、右手が…!!」

と叫んだ。

結局右手は針を抜き、左手の手背のルートのみで手術に臨むことになった。

血まみれの手を見て余計にパニックになった私は、麻酔を入れるから背中を丸めてと言われても、怖くて怖くて何度も反り返っては先生を困らせた。


何とか麻酔が入り、いよいよ開始という状況でも私はまだパニック状態でボロボロ泣いていた。
助産師さんやオペ室の看護師さんが優しくて、パニクっている私の手をずっと握ってくれ、涙を拭ってくれた。
何か音楽かけようか?と言われ、看護師さんのチョイスで確か小田和正の曲のオルゴールが流れた。オペ室になんて不釣り合いな…!と心の中で少し突っ込み、「こんなのしかなかった〜ごめんね」と謝ってきた看護師さんの顔を見て少し笑うことができた。


麻酔が効いてからは何も分からなかった。
ただ、先生たちは穏やかな雰囲気で手術をしていて、正直驚いた。

え、なんかドラマと違う…!!もっと焦ったりして、なんかこう…バタバタ感があるけど…

私がイメージしていたバタバタ感など一切なく、何なら先生たちは小田和正の鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だった。

先生たちの雰囲気を見て、私も少しずつ落ち着いてきた。
周りを見渡す余裕も出てきた…が、私はド近眼でメガネを外したら何も見えないので、照明に映る(と言われている)自分の切られた腹を見ることもなかった。見えていたらまたパニックになってたかもしれない。
危ない危ない。


ついにジェットコースター、下車

「もう少しで生まれますよ、少しお腹を押しますね」

「おめでとうございます!女の子ですよ〜」

私は、え?生まれるの?
え?お腹、押された?
え?生まれた?
え?女の子?まじ??
と何にも分からず、ずっとキョトンだった。


そして生まれてきた娘は、そばにいた新生児科の先生によってすぐに処置されていた。
ガッチリした先生の背中で、娘の姿は全く見えなかった。
私はその先生の背中をずっと眺めていた。
それを見た看護師さんがメガネをかけさせてくれた。

新生児科の先生には、

「呼吸が少し弱いので、挿管して呼吸を助けますね」

と言われた。

この辺りの前後関係(挿管が先かどうか)が曖昧なのだが、出生体重は776gだと報告があった。
先生たちも看護師さんもみんな
「うわ〜っ惜しい〜!!」
と言った。笑った。

そのとき私は直感で、この子はなんか“もってる”かもしれない、と思った。
うん、早くも親バカ。いや、でも当たってる。


それから、一瞬だけ私の近くに娘を連れてきてくれた。

娘を見た瞬間、涙が溢れてきた。

小さくて、ガリガリで、それでも生きて生まれてきてくれて、心の底から安堵した。

今度の涙は喜びと安堵の涙だ。
さっきまでの恐怖の涙とは確実に味が違う。
いや、舐めてないから分からないけど。


「お母さん、今からNICUに運びますね」

「お願いします!お願いします!」

私は叫んだ。
おそらく、腹を縫われながら。

そして娘は一足先にNICUへと運ばれていった。


娘が運ばれていった後に、看護師さんに
「一瞬だけど、ふぇ〜って泣いたの聞こえた?」
と聞かれた。

え、聞いてない!聞きたかったなぁ。でも、泣いたんだ。よかった。えらいなぁ。あんな小さな体で…。


お腹から出てしまった以上、私にできることはもうない。
あとはもう、新生児科の先生たちにお願いするしかなかった。
がんばれ、娘。
がんばれ、がんばれ。


私はようやく、突然飛び乗ったジェットコースターから降りたような気分だった。


この写真はオペ室を出てNICUへと向かうところでの1枚。生まれて初めての写真。
オペ室の外では夫が待っていてくれた。
しっかりこちらを向いて、やあ!と言っているようにも見える。
新生児サイズのおむつが合わなさすぎて面白い。
(画面中央の白い部分は保育器の天井に光が反射したものです)


これからどんな試練が待ち受けているのだろうか、そんなことを思いながらも、命の誕生っていいものだなぁと深く深く感動していた。



続く



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