幼い頃、私は刺青を見る機会がよその子供よりも多かった。母方の祖父母と両親、叔父、弟の七人家族で道東のとある街の中心街付近に暮らしていた時期のことである。 当時は、いわゆる暴力団と呼ばれる人たちが闊歩していた、通称「親不孝通り」。先日閉店した大きなデパートの一本東の細い道は一方通行で、商店や美容院、一杯飲み屋などが並んでいた。 今思えば物騒だったのだろう、祖父も近隣の店の主も、彼らに「守り代」を納めていた。それは現代のように悪質な「みかじめ料」とは違いごく少額で、守る方
「痛いっ!」 右足の裏に激痛が走り、思わず声を上げた。午後六時半過ぎ、入浴後に台所へ行き、ゴハンを炊こうとした時だ。 お風呂上がりで足元が湿っていたため、何も履いておらず裸足であった。 昨年、夫が半年ほど陸別に出張していた間、炊飯器で炊いた一人分のゴハンが美味しくなくて参ったので、お鍋を使うことにした。 短時間で炊きあがり、ふっくら、ツヤツヤしていて美味しい。独特の甘みや、炊きあがる時のいい香り。 すっかりやみつきになった私は、二人分の食事を作るようになっても、炊飯器を使わな
十月上旬の夕方であった。豚肉でピカタを作ろうと厚みのある肉をまな板に置いて包丁の背で叩いていると、柄がグラグラしてきた。 どうしたのだろう?と軽く持ち上げた途端、刃が床に落ちた。 柄を見ると、刃の根元を止めていた金具が折れている。落ちた時の衝撃で刃先も少し欠けている。 ああ、とうとうお釈迦になってしまった。十年前にホームセンターで購入し、長年愛用していた包丁。 ここ数年はさすがに切れ味が鈍っていたが、毎日使う包丁を「切れなくなったから」と安易に買い替える気になれず、
ピアノの音がする。「きらきら星」だ。よく散歩の途中で立ち寄る保育園の先生と園児か。ピアノに合わせて子供達が唄っている。 ここは中心街に近い「市民プラザ」の一階にあるコーヒーショップ。アルバイトを始めて一か月が経った。 叔父が店長で「夕方のシフトに入れる人が少なくてな。お前、放課後手伝ってくれないか?」と頼まれたのがきっかけであった。 「俺で勤まるかなあ?」 「お前は礼儀正しいから大丈夫だよ。姉さんがきっちり躾しているからな」 大学受験までは二年以上あるし、部活動もやっ
俺はイライラしていた。 面白くないことがあるとすぐ顔に出るのを知っている妻が「またか」というようにため息をついて横に座っている。 「仕方ないでしょう、こんな時に早くしろって言っても、無理よ」 わかっている。休日の当番病院が混むのは当たり前だ。そういえば、今年二十歳の息子が小さかった頃、よく休日当番の病院へ走った。日曜祭日というと決まって子供は熱を出したり、腹を壊したりした。 「救急案内に電話しろ」 いつも俺は妻にそう命じて調べさせ、当番にあたる病院に子供を連れて行った。
スポットライトが譜面台に反射して、少しまぶしい。が、耐えられないほどではなかった。そもそも楽譜を見る必要はない。「全国高校生ピアノコンクール」は暗譜が原則だ。 ここから客席は見えない。両親と妹、ピアノの先生、そして同級生の旬吾と雅人が来ているはずだが、ステージ上から視線を移したその先は、真夜中の海のように真っ暗だ。 椅子に座り、大きく一度だけ深呼吸をしてみた。緊張はなかった。今日は祖父のためだけにピアノを弾く、そう決めていた。 演奏者紹介のアナウンスが聞こえた。 「三
一月下旬の晴れた午後。私は道東プラザの小ホール前ロビーで”あの人”を待っていた。 ここは毎年、地域で一番大きな楽器店が主催するイベント「大人のピアノおさらい会」が開催される会場である。 去年のその日、私は落ち込んでいた。子供の頃に習ったピアノを二年前から再開し、先生に勧められて出たこの会で何か所か間違えてしまい少しだけ演奏が止まったのだ。 「ああ、またお姉ちゃんにバカにされる」 情けなさから涙が出そうだった時、声をかけられた。そこには五十代くらいの女性がご主人と思われ
午後の手術室は磨き抜かれたタイルが規則的に並び、無機質な機械音だけが鳴り響く。 手術台に横たわる患者は五十歳の男性で、肝疾患による腹腔内出血を起こしていた。 「すごい色の肝臓ですねえ、志賀先生」 助手を務める佐野がため息まじりにつぶやく。 「肝硬変っていうのは、こんなものさ」 「再生は無理ですね」 「移植しかないだろうね」 患者は三年前から診ている三田という患者である。私の担当する消化器外科で入退院を繰り返していた。肝硬変の末期で、昨夜、直腸からの大出血を起こし
一瞬、自分の体の中を風が通り抜けたような気がした。 鋭く冷たい風だ。 気が遠くなっていくのがわかった。椅子から崩れ落ちそうになるのを、かろうじておさえる。頭を軽く叩いて自分が今いる場所を確かめた。 目の前に広がる風景を改めて見る。乱雑な机の上に並べられた厚い本とパソコン、飲みかけの缶コーヒー、卓上カレンダー、デジタル式の置時計。 端に小さな銀色のトレーがある。その中に無造作に置かれたピンセットやガーゼ、鋏、絆創膏を見て、ここがとある総合病院の皮膚科診察室であることを思
俺はイライラしていた。電話の向こうでなかなか泣き止まない美穂子にではなく、こんな真夜中に延々と押し黙った時間を過ごさなければならなくなったことに、だ。 美穂子は「あなたはわかってくれない」と、それしか言わない。 「そやかて、俺にはわからん。お前の言ってることは言い逃れや」 「だから…」 「何がだからや。俺が言うてんのは一つだけや。心を開いてくれ、そういうてるだけや」 つい声を荒げてしまう俺と、ただ泣いている美穂子。そして続く沈黙に耐え切れず、電話を切った。 美穂子と
西陽を背に受けて日中の気温を思い出した。 「暑かったなあ、今日も」 そして後ろを振り返り、五階の窓から手を振る母を見上げる。 振り返るのは三回と決めている。そうしないと私がその場を離れられないからだ。 深々と頭を下げる母を何度も見なければならないからだ。 立ち去ることに後ろめたさを感じるからだ。 一昨年の夏、病で妻を亡くした。その年に定年退職を迎えたが、勤務先の大学の学長から慰留された。 「匂坂先生の講義は楽しいと学生からの評判がいいんだよ。委託講師としても
明け方、地震があった。とは言っても一分にも満たない短時間で弱い揺れである。 揺れる少し前になんとなく目が覚めた。妻はそれには気付かず、規則正しい静かな寝息を立てて眠っている。午前五時二十分だ。 秋の日の出は遅く、寝室はまだ暗い。引き戸の障子がカタカタと鳴る。枕元のスマホを手にすると既に地震情報が届いていた。 「震源地 釧路沖 マグニチュード4・2 十勝中部 震度1」 目覚ましの設定時間にはまだ一時間ほどある。それまで眠ろうと思ったが軽い尿意があった。十一月の朝は寒い。
0〇0 37〇6 83〇7… ベッドに入り、枕元のスタンドを消す前に携帯電話を取り出す。アドレス帳の「あ行」をスクロールし、お目当ての名を探す。 「おとやん」 発信ボタンを押し、電話機を耳に押し当てると、少し間を置いてプツッと音がする。そして無機質な女性の声が聞こえてくるのだ。 「お客様がおかけになった電話は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度おかけ直しください」 そしてまたかける。 090 37〇6 83〇7… それを二、三回繰り返してから眠るの
その日は午後から娘が来ていた。 「久々にモコに会いたいし、この前出張で千葉に行ってお土産も買ってきたんだー。届けがてら遊びに行くね」 前日の夜にそんなメールを寄越した。モコとは我が家で十年飼っている猫の名前である。 二月上旬にしては暖かい土曜日であった。 地元の短大を卒業後、十勝管内で大手の食品開発会社に就職。その翌年から帯広市内で一人暮らしをしている娘。二十代前半にはゴスペルを習い、そこでできた仲間とアカペラのバンドを作って活動をしたり、好きなゴスペルグループのコンサ
階段を降りると俺の仕事場がある。二階と三階は住宅で、いわゆる「店舗併用住宅」だ。 一階のドアを開けると大きなライトやスクリーンが並ぶスタジオ。昔ながらの蛇腹式シャッターを押し上げ『おたから写真館』と書かれた看板を丁寧に雑巾で拭く。店内に光を入れるとまず俺は、カウンター脇の棚に飾ってある七個の写真立てに一礼する。これは俺が依頼されて撮影した遺影だ。笑顔の七人が「今日も頑張ってね」と言ってくれる気がするので毎朝こうして礼をしている。 苗字が「高良」なので「たから写真館」が正し
秋の陽が長い影を作る。煙草をくわえたまま私は、黒く光るレントゲン写真をつまんだ。 「坂田先生、それ、さっきの女性患者?」 放射線科の滝技師が聞く。 「ああ、向坂さんのだ。あっちにもこっちにも、癌だ」 「もったいないですねえ、綺麗な人だったのに。どうするんですか?」 「矢野先生に相談するよ」 矢野医師は私の10年先輩である。私がこのA総合病院に赴任した時、既に外科部長を努め、昨年からは副理事長も兼任していた。S医大の医局で辞令を受け取った時、先輩医師達は口々に私を羨ましがっ