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二人の余白

秋の陽が長い影を作る。煙草をくわえたまま私は、黒く光るレントゲン写真をつまんだ。
「坂田先生、それ、さっきの女性患者?」
 放射線科の滝技師が聞く。
「ああ、向坂さんのだ。あっちにもこっちにも、癌だ」
「もったいないですねえ、綺麗な人だったのに。どうするんですか?」
「矢野先生に相談するよ」
 矢野医師は私の10年先輩である。私がこのA総合病院に赴任した時、既に外科部長を努め、昨年からは副理事長も兼任していた。S医大の医局で辞令を受け取った時、先輩医師達は口々に私を羨ましがった。
「あそこには矢野先生っていう腕のいい外科医がいる。論文にも詳しいし勉強家だ、徹底的に教わってこい」
 期待に胸を膨らませ、A病院に来た私は、早速、矢野医師について回診を手伝ったり、手術の時は助手をかって出たりした。
 矢野医師はうわさ通り素晴らしい技術を持つ外科医であった。単に手術時間が短いとか、難しい手術もこなすとか、そういうことではない。手の動きに無駄がなく、どんな処置をしても手元が確実であった。また、自分の研究に必要な論文を探していると「ドイツの学者が去年発表したデータに似たようなのがあったぞ」などと言い、その論文が載っている雑誌を貸してくれる。
 だが、どことなく投げやりで、あとをついて学ぼうとする私に、手取り足取り教えたりすることはなかった。聞けば丁寧に教えてはくれるが、それ以上、立ち入って話をすることがない。時々、ここからは立ち入るなと言わんばかりに、サッと扉を閉じてしまう。矢野医師と飲みに出かけたり、自分の部屋に招待して医学について熱く語りたいと思っても、声をかけることができない。
 けれど仕事は別である。
「矢野先生、今朝来た患者ですが、写真診ていただけますか?」
「どれ?・・・すごい転移だな。細胞が若々しい感じだ。いくつだい?」
「それが・・・まだ38歳で、独身の女性なんです」
「キャリアウーマンかな?君はどうしたい?」
「・・・手術は・・・」
「バカも休み休み言えよ、この状態に外科的侵襲を加えたら、すぐ死んじま  うぜ」
「はあ・・・」
「この年齢でこの広がり方なら、もって3か月ってところだな。抗癌剤だろう、とりあえず。患者への説明はこれからか?」
「はい、検査入院してもらっているので、明日にでも」
「告知希望か?」
「確認はしていませんが、告知するつもりです」
「大丈夫なのかい」
「このまま症状が進んでいけば、隠すこと自体、難しいと思うんです。まだ若いからこそ、体が動くうちに好きなことをさせてあげたいと・・・」
 矢野は黙って背中を向け、気忙しげに煙草を吸い出した。彼がこういう煙草の吸い方をする時は、苛立っている証拠だ。
「俺なら言わん」
「えっ?」
「本人が希望しない限り言わんな。君ならどうする?」
「だから、悔いの残らないように告知を・・・」
「そうじゃない。君が外科医として油が乗ってきた頃に癌で半年ももたないって言われたら、どうする?命が尽きる日まで好きなことするのかい?」
「そうありたいと思っています」
 唐突に滝技師が入ってきた。いや、唐突だと思ったのは自分だけで、論議に熱くなり、ノックの音に気づかなかっただけであった。
「矢野先生、K医院から回されてきた患者さんの写真です」
「ああ、吉岡さんのかい。早かったね」
「さっきの坂田先生の患者さんみたいな癌ですよ」
「こちらも41歳の独身女性だ。これは食道と肺と・・・胃にも転移しているな。半年くらいかなあ、かわいそうに・・・」
「矢野先生は、その患者に告知しないんですか?」
「しないよ。本人の強い希望がないからね。君のその患者も告知はしないほうがいいとは思うが、まあ君が決めることだから。何かあれば相談に乗るよ」
 私は強く唇を噛んで俯いた。滝技師は、二人の顔を交互に見比べ、何も言わずに部屋を出た。

 翌日、向坂理恵への病状説明を行った。花柄のパジャマに白いパーカーを羽織り、母親と面談室に入った理恵は、パネルに貼られた自分のレントゲン写真を、不思議なもののように見つめていた。
「早速ですが、検査の結果、胃と腸、肝臓に癌組織を確認しました。検査入院ということでしたが、今日から消化器外科に移っていただいて、治療したいと思います」
「・・・そう・・・やっぱり癌だったの・・・」
 理恵が力なくつぶやいた。母親は真っ青になって震えている。
「それで、先生、手術でこの子を助けていただけるんでしょうか?」
「ここまで病状が進むと、手術によって癌が広がる可能性があります。我々は抗癌剤による治療を考えているのですが・・・」
「じゃ手術していただけないんですか?このまま・・・」
「やめて、母さん。本当は先生、もう長くないって言いたいのよ。そうでしょう?」
「そんな・・・」
 悲鳴に近い声をあげ、母親が泣き出した。だが理恵はかまわず聞く。
「それで、あとどのくらい・・・?」
 一瞬、ためらった私に「大丈夫ですから、答えてください」と返事を促す。
「・・・長くて半年か・・・早ければ・・・」
「2~3か月ってところでしょう?何となくわかるわ」
 私の沈黙を肯定と判断したのか、更に理恵が聞く。
「ねえ、先生。普通に体が動くのはいつ頃まで?」
「普通に?」
「私、体がついてゆけるうちに旅行したいんです。暇さえあれば一人旅ばかりしていたんです。だから彼氏できても呆れられちゃって、いまだに独身。どうせ死ぬならまだ行ってない国とか見ていない遺跡とか回りたいんです」
「わかりました。もう少し検査を詳しくして、向坂さんがいつ頃まで一人で旅行できるかお答えします」
「ありがとう、先生」
 面談室を出た私は、大きな仕事をやり遂げたような満足感に浸っていた。矢野医師は告知に反対だったけれど、どうだ、やはり話した方がよかったじゃないか、俺は正しかったんだ。そう自分に言い聞かせていた。
 その日、午後の回診を終え医局に戻ると、矢野医師がパソコンを開いていた。来月の学会の資料でも作っているのかと何気なく画面を覗くと、暢気にゲームをしている。
「面白いですか?」
 なかば呆れながら聞くと「ああ、ネットで引っ張ってきた。はまるぞ」とニヤニヤしながら答えた。
「ところで昨日の患者、どうした?」
 思いがけなく矢野のほうから聞いてきた。
「ええ、告知しました」
「・・・全部言ったのか」
「はい。本人は死ぬまでに趣味の旅行をしたいと言ってましたよ」
「旅行をねえ・・・」
「やっぱり、若い患者さんほどきちんと告知すべきだと思うんです。やりたいことが沢山あるはずです。可能な限り希望を叶えてあげるべきだと思うんです。インフォームドコンセントは義務化されているわけですし」.
「お説はもっともだが、俺はすべての患者に当てはまることではないと思う」
「吉岡さんにはやはり告知していないんですか?」
「家族には言ったが本人には話していない」
「でも、吉岡さんも向坂さんのようにやりたいことがあるかもしれないじゃないですか」
「俺はそういうことも患者に任せる主義でね」
「僕は違うと思います。患者の手助けをするのが医者だと・・・」
「いや、違うよ」
「どう違うんですか?」
「患者はどんな病気であれ治る時ってのは本人に治る力があるからさ。医者は手術や投薬でその手伝いをする。ただ、それだけのことだよ」
「それじゃ、医学書を読めば簡単なものなら素人でも治せるんじゃないですか?医師は患者のために・・・」
「医者が患者に何かをしてあげられるなんて、ただの思いあがりだ。吉岡さんだって癌を知らないほうが趣味に打ち込めるかもしれないじゃないか」
「僕は、思いあがっているわけでは・・・」
「いや、お前の言うことも間違ってはいないさ。ただ、患者にも色んな人間がいるから、そこを見極めてから方針を決めたほうがいいと言ってるだけだ」

 数日後、私宛に絵葉書が届いた。差出人を見ると、理恵であった。表には安芸の宮島が印刷されている。裏返すと丁寧な女文字で「山口に来ています。ここは戦国の武将、毛利元就ゆかりの地なので、記念碑がいっぱいです。お天気にも恵まれました」とある。
 抗癌剤による吐き気やめまいなどの副作用はあったが、ここ2~3日は落ち着いていたので、一昨日、4日間の外泊許可を出した。数日前から枕頭台に旅行会社のパンフレットを積み上げ、計画をたてていた理恵は、いつ見ても嬉々としていて、ここが病院であることを忘れるほどであった。
 そんな時、私は決まって矢野医師との会話を思い出し、やはり告知は間違ってはいなかったと思った。
 そして、無意識に吉岡加奈子と比べてしまう。加奈子は自分の余命も知らず、絶えずウォークマンで音楽を聴いていた。枕元には五線譜が置いてある。職業はピアノ講師で、教室を開くかたわら作曲の勉強をし、いつか子供に親しまれる童謡を作りたいと願う女性である。彼女にこそ癌告知をして、残された日々を作曲に打ち込めるようにしてあげたほうがいいはずだ。   時々、デイルームにあるピアノを弾いて子供の患者に囲まれている加奈子を見ると、やはり矢野医師の選択は間違っていると思った。

 夕方、帰り支度を始めた私に矢野が声をかけた。
「お前の患者は随分元気だな」
「おかげさまで・・・。体調のいい時を見計らって出かけています」
 少し得意げに答えた私を見て、矢野が鼻先で笑った。
「・・・なんですか?」
「何がだ?」
「いえ、何がおかしいのかと・・・」
「いや、深い意味はない。ただ、ふと思ってね。いつまで続くのかなって」
「いつまで?」
 矢野の言った言葉が理解できなかったが、確認するのもむなしくてやめた。きっと彼はまともに答えてはくれないような気がしたのだ。

 理恵が発熱を繰り返すようになった。癌の末期患者は必ずといっていいほど、高熱に見舞われ、熱がひく毎に小さくなってゆく。体重も40キロを切っていた。入院時から13キロ痩せたことになる。
 ベッドの中で力なく咳込むのは、癌が肺に転移したせいだ。時々、強い発作が彼女を襲う。鎮痛剤を打つと一時はおさまるが、理恵はそのたびに「苦しい、もう殺してください」と訴える。それを聞くのが辛くて、看護師に注射を打たせることが多くなった。
 けれど、気分のいい時には、旅行会社の案内書を片手に「今度はギリシャに行こうかな」などと唄うようにつぶやく。次に外泊許可を求めたとき、私はどんな返事をしたらよいのか悩んだ。あれだけ啖呵をきった後では、矢野医師に相談するのもはばかれた。

 そんな私の悩みに、突然幕が下りた。
 春の風が舞い込む4月の土曜日だった。その日は午前で外来が終わり、遅い昼食を摂っていた。医局に外科病棟の看護主任が駆け込んできた。
「坂田先生、向坂さんが危篤です」
「なにっ?どういうことだ、容態急変でもしたのか?」
「今、矢野先生が行ってくださいました」
 主任は事の詳細を言わぬままである。食べかけの食事をそのままに、私は階段を駆け下りた。理恵の病室に入ると、母親が泣き崩れている。理恵の顔には白い布が掛けられていた。
「おう、来たか」
 矢野が声をかけた。
「すみません」
「いや、お前が外来だったからな、近くにいた俺が処置をした。出血多量による失血死だと思う。解剖するまでもないかな」
「出血多量?」
「お風呂で頚動脈と左手首を剃刀で切っていたんです」
 主任が会話を引き取った。
「じゃ・・・自殺を?」
「これが遺書だ。マットの下にあった」
 坂田は、宛名に自分の名が書かれているのを確認して封を開けた。見覚えのある字だと一瞬思ったが、それは理恵がかつて自分に寄越した旅先からの絵葉書の字であった。
「先生、きっと私のことを思って告知してくださったんでしょうね。思い残すことなく・・・とまではいかなかったけれど、この体で旅行に行けたのは嬉しかった。でも、もう駄目です。これ以上の苦痛は嫌なんです」

  

 医局に戻ると、私は力なくソファに座りこんだ。矢野がコーヒーを2つ持ってきて隣りに座る。
「俺は自殺っていうのはどうも好きになれないが、彼女に関しては正解かなとも思うよ」
「間違っていたんでしょうか・・・僕は・・・」
「ああ、間違ってるな。自分から強く告知を希望する患者には俺も言う。だが強い希望がないのなら言わない。それでほぼ間違いはない」
「じゃ、吉岡さんは・・・」
「言わなくてもわかるんだよ、自分が長くないことなんて。彼女だって体が辛くなれば談話室のピアノなんて弾かなくなる。あとで責められたら謝るだけさ。それが俺のやり方だ」
「・・・先生は、いつからそんな風に・・・」
「お前と同じ事をしてからだ」
「僕と?」
「画家の癌患者に宣告したんだ、20年くらい前だった。悔いのない作品を描かせてあげたいと思った。男性だったがまだ40代でね、大きなキャンバスを病室に持ち込んで絵筆を握っていた。奥さんの顔を毎日描いていた。だが、「妻の横顔」とタイトルを絵の下にサインしたその日、病院の屋上から飛び降りた」
「屋上から・・・」
「その2ヶ月後には、彼の妻も同じ場所から飛び降りた。俺は癌告知で2人を殺してる医者なんだ」
 笑いながら言うと、1通の封書を手渡した。
「ほら、死亡診断書だ、持って行け」

 暮れかかった廊下を歩いた。理恵が自殺を遂げた浴室には「立入禁止」の札が貼られ、警察官が3人佇んでいる。ほかの病室の患者達は、同じ病棟で自殺があったことを知らない。警察の簡単な聴取に答え、診断書を遺族に渡した。
「言わないでくれたら、こんな死に方・・・しなくてすんだかもしれないのに・・・」
 母親の鋭い視線にたじろぎながら頭を下げた私の耳に、吉岡加奈子の奏でるショパンが聴こえてきた。

※医療小説に凝っていた…というか書く段階でハマッていた頃に執筆、地元新聞社の公募に入選した作品です。
読み返すと「青臭いなあ」と少々自己嫌悪…。


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