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人生で編んだものを愛する

地球勉強会が終わりました。

すごく面白い会で、やってよかった( *´艸`) 参加してよかった!

わたしね、小学校の頃から地球にめっちゃ興味があったんです。5,6年生の頃は、科学者になって環境問題を解決しようと思ってた。ただし、同時に、漫画家になりたいとか、いろいろ夢はあったから、そこまで将来のことは考えていなかったと思う。(苦笑)

高校のときは、文系に行かないと地学が履修できなかったのと、歴史が好きだったのと、物理や数学など理系科目があまり得意じゃない意識があったから、文系に行った。この時点で「科学者になりたい」は割と破綻している。ティーンになっても、「将来を考える」視点はゼロだったなー。

進学校にありがちなやつだけど、地学をセンター試験科目以上に考えている人なんかほとんど居なかった中、わたしは本当に地学が楽しくて、大学行っても地学を勉強したいなと思ってしまった。そしたら、理系じゃないか、地学。

で、周りにあんまり賛同されない中、理転して、高3の夏休みは独学で、数学Ⅲ・Cを受験用に勉強していた。

数学Ⅲは難しいけどうつくしくて、生まれてはじめて数学が好きだと思った。数学Ⅰ・Ⅱでやったことが全部つながって、まるで物語の伏線を全部補完できたような、ドキドキ感。

結局推薦試験(小論文の筆記と面接)で受かったので、数学で実戦で使う機会はなかった。でも、そのときから、数学は「うつくしい、好きだ」という認識。正直学力はあまり伴っていないと思うけれど、この前、そのことをある人に話したら、『それ(美しさ)がわかるのは、オカルトをやる者の必須の素養』みたいなことを言ってくれて、うーん そうくるか、と思った。(わたしのことが伝わって、嬉しい★)

世界への興味から、いろんなものに手を出しているわたしですけども、結局、いろいろやることで、自分を知る最短ルートを歩いているのかなと思う。

将来をよく考えなさいって、子どもたちにはいいがちだけど

たとえば小学生のわたしが、あのころの知識や言語、世界の認識で描き出す「将来」が、わたしを正しく捉えられるはずもなかったな、と思う。

コーヒー屋をやって、占い師になって、自然科学も好きで、なんか地域活動もしてて、歌もたまに歌う。お金になっている意味での生業は一番前の2つだけだけど、個人的には、活動にあまり区別はないです。

仕事と事象だけ並べるとめちゃくちゃだけど、わたしの中では一貫性と納得感があるんです。いろいろやったからわかる感じ。これを仮に、世界をよく知らない頃の概念で、制限をかけていたとしたら?

きっと、わたしにとっては、牢獄のような生き方を用意してしまったかもしれない。

と、ふと考えてしまった。

とりあえず、子供には「将来を考えなさい」って、必ずしもあんまり言わなくていいやと思いました。わたしは考えなかった結果、全部をてんこもりにした納得の行く道具が手に入ったから。

もしかすると、年少者に説教したくなるときというのは、「いまの自分に後悔があるとき」なのかもしれない。

「もっとあのとき考えていれば/勉強していれば、今は違っていた」みたいな夢と可能性に幻想をいだいて、それを年少者に投影するのかも。過去の自分に言っても絶対しないやつだ(笑)

子どもは自分ではないから、もしかすると、わたしとは違い、将来を考えて着々と構築するほうが向いてるタイプもいるかもしれないけど、それだったら、言わなくてもたぶん勝手にしてるよね。いずれにしろ説教いらないな。信じよう。

今日講義してもらった池田先生が、『人生に無駄なことなんか1つもないんだよ』と繰り返しおっしゃっていて、素敵だなと思った。(雑談が多いのが先生の魅力)

川の地形のことに色々思いを馳せるようになったきっかけのひとつは、大学でのボート部での活動なんだって。それでドクター論文?書いたと。で、ボート部に入ったのは、元サッカー部で足が強かったから(ほんとはサッカーやりたかったけど、部活がなかったんだって)。

わたしと同じよういきあたりばったりだけど(笑)、必要なものが与えられるようになってるんだね、人生は。

過去を意味あるものにするか、無意味なものにするかは、未来の自分が決めて、認識するんだわ。

ああ、朝までもう少し寝たいと思っていたけど長文にしてしまった。自然科学の興味がそそられた以上に、きのうは意味のある日だった。過去をグルグル旅して、水星逆行期にふさわしい。

さて今日はきのこ展に出店!自然科学祭りウィークだ。(今日のわたしの仕事はコーヒーを売ることだけど。)

空も大地も星も生き物も、大好きだ。この気持ちが、生業のどこかに生きている。わたしの人生を愛そう。

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