よくある、「天才の育て方」系の育児コラムを見て感じたこと

自分のFacebookのポストしたものを、こちらにもアーカイブしておきます。

PRESIDENTの教育系コラムを読んで、モヤァっときて書きました。

「子供を〇〇のように育てる」など、子育てを、育成ゲームか何かだと思っている大人や世の中の認知を変えるのが、私のライフワークのひとつだな、と改めて思いました。

子供は、その子として育つのであって、「藤井聡太くんのように育つのが正解」のような概念を押し付けるのは、甚だ間違い。親にできるのは、「邪魔しないこと」だけですよ…。

藤井くんの親が良い育て方をした、いい教育を受けた(モンテッソーリっ子であることも一時期話題になりました)のは、ある程度事実だと思いますが、このエッセンスを正しく受け取れる人は、どれだけいるのでしょう。少なくともこの文章を書いた人は理解が片手落ちのように思います。

ま、プレジデントなどを好んで読む層への意図的な煽り記事なのかもしれませんが、大人側の「成功」や「幸せ」の定義が狭く、即物的であると、悪気なく子供にも同じレールへの椅子取りゲーム参加を強いてしまうのでしょう。

仕事柄、学業優秀で社会的地位が一見高くても、主体性を奪われて育ったことで、自己肯定感や幸福感の薄い人にたくさん出会ってきました。

お金や学歴、社会的地位があっても、人は迷子になります。人生の羅針盤はまずは「主体性」であって、その上で自立と他者との共存、協働を教えるのが、教育のすべてといって過言でないはずです。

なお、痴漢などの性犯罪に手を染める人には、高学歴や大企業勤務など、一見成功者とされる属性を持った人が少なくない、という話があります。

私は、これを男尊女卑やミソジニー(女性蔑視)だけでは説明できないと考えていて、自分の人生を自分自身で支配できなかった鬱憤が性衝動と結びついた時に、こういった行動を起こすのではないか、と仮説を立てています。

(痴漢犯罪分析の有名な書籍はありますが、ジェンダーやフェミニズムの思想寄りの見解に偏って、何か本質が落ちていると、ずっと感じています)

その攻撃性を生じさせたのは、親(養育者)かもしれないし、広い意味では、その人がその人として生きることではなく、「〇〇のようになることが模範である」という窮屈なモデライズの概念で個人を圧迫する社会全体のせい、とも言えます。

性犯罪はそういった歪みの顕現のひとつですが、表面的には性が関わっていないように見える案件でも、他者の在り方を侵害、圧迫するような関係性(DV、あらゆるハラスメント、教育虐待など)は、すべて同じところに端を発しているのではないか、と私は考えています。

大人たちの「よかれ」「私は正しい」の中には、深刻な歪み、傷があるんです。

赤ちゃんはじめ、子供の目って本当に透き通ってキラキラしていますが、彼らは経験が少ないだけで、元来純粋で、主体性の種を持っている存在です。その目を曇らせ、力を奪うのは、常に大人。

教育されたり、癒されたりする必要があるのは、元来子供じゃなくて大人だな〜〜というケースを、本当にたくさんたくさん見て、思うことがたくさんあるのです。

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