傷つく勇気

昨日は唐突にお客さんがいっぱいで、朝から晩まで忙しかった。コーヒー豆、占い、諸所の相談ごと。

チャレンジ、勇気、手放し……。

最近は、「ちゃんと傷つく勇気」というのが、よく話しているテーマだったりする。

出来事や感じたことを、傷つかないように、理屈で塗り固めていくのが習慣になると、だんだんセンサーが働かなくなる。こころが死んでいく。何を感じ、何をしたいのか、わからなくなるし、自分で何も決められなくなる。

死にかけたこころを抱えながら生きるのは苦しい。

正確には、死んだと思って封印されているこころ、というべきか。

苦しいのは、その子がからだの奥底から、叫ぶからだ。

わたしを外に出して、ちゃんと傷つきなさい。わたし(=本当の自分)はここにいる。と。


出来が悪い自分………

可愛くない かっこよくない 性格が悪い 仕事ができない 恋人ができない フラれた

ネガティブな自分は、誰だって受け入れたくない。こんなのが自分だとは思いたくない。

でもほんとは知ってる

少なくとも、自分の半分は、そういうもので出来ている。かっこわるい、きもちわるい、見たくもない自分で。

ちゃんと傷つくというのは、そういう自分を受け入れて、抱きしめてあげることだ。

言い訳をしたり、能力で回避しようとしたり、自分を責めたりしているうちは、きっと、傷つくことを、自分を受け入れることを、拒否している。

そういう時、じぶんに必要なことばは

「ほんとは自分はもっと優秀な/素敵な/出来がいい人のはずだから、失敗をしないように努力をするべきだ」

ではなくて

「つらいね。いまはゆっくり休もう。大丈夫だから」

という感じ。無理に努力教やポジティブ路線にしないのがポイント。

世界は、自分を中心に回ってはいないから、コントロール出来ないことなんかたくさんある。

優秀な人は、ここを勘違いしちゃうんだ。

臆病なひとは、ここを受け入れたくないんだ。

あきらめなさい。世界を、他人をコントロールすることは出来ない。


思い通りの結果が出ない

そんな時は、ちゃんと傷ついて泣けばいい。

傷つく時って、不思議とリアルに胸がずきずきすんのね。あれ、どこが痛んでるんだ? 涙も止まらない。

でも、どんなに胸が痛くても、それ自体で死んだひとはいないわけよ。

明日なんか来なければいいと呪っても、太陽は昇るんだよなあ。世界は、自分を中心に回っていないから。

そうすると、そのうちいいこともあるんです。たぶん。あなたが受け入れさえすれば。

出来がいいポジティブな自分(本来の自分の半分)と不幸をにぎりしめていると、それが見えないんだけど。


自分の意に沿わないことを言ってくる人も、勇気を使っている。傷つける勇気、そして、そんな自分を演じることで、傷つく勇気も。 

傷つけられても、実は大切にされている、ということはある。

逆に言えば、表面上、傷つけてられていなくても、実は雑に扱われていることは、よくある。

どっちが誠実なのかは、自明でしょう。

この映画いいよ。

今日書いたことは、自己肯定感にかかわること、でした。

記事がお役に立ちましたら、お気持ち分サポート頂けると嬉しいです(*^^*)