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小説 「僕と彼らの裏話」 11

11.彼女の秘密

 その日、僕は藤森さんから依頼を受けて、彼女の家で本棚の組み立てを手伝っていた。(先生が自由なら、彼女は先生に頼んでいただろう。)
 長らくゲストハウス暮らしだった彼女の念願の【新居】が、僕の家から近いと知った時は、本当に驚いた。通勤時に利用する「最寄り駅」が同じなのだ。(それが判った時、彼女は顔を真っ赤にして、息が出来ないほど笑っていた。)

 相変わらず、彼女は滅多なことでは黒マスクを外さないし、まったく声が出ないままだ。それでも、20代前半の彼女は、僕より よほど活力があるし、よく笑う。
 相変わらず筆談の文字は美しいし、今では、僕には分からない「手話」を使いこなしているようだ。
 とはいえ、一緒に本棚を組み立てるくらいなら、説明書とボディーランゲージで充分だ。

 本棚と耐震用具の設置が終わったら、読書好きな彼女は、部屋の隅に並んだダンボール箱から次々と書籍を取り出して、真新しい棚に しまっていく。引越しを機に『爆買い』したのか、全部で200冊以上は ありそうだ。
 ほとんどが小説の文庫本か、恐竜に関する図鑑か学術情報誌だけれど、中には、先生の著書もある。僕が復職した日に、先生が彼女に贈っていた【最後の絵本】だけではなく、複数の作品があり、恐竜が登場する作品は買い揃えてあるようだった。自費で買ったのだろうか……。彼女は、ハウスキーパー着任前からのファンかもしれない。

 頼まれていた用が済んだら、僕は早々に帰宅する気でいた。単なる同僚に過ぎない僕が、若い女性の新居に長居をするべきではない。
 しかし、彼女から「お昼ごはん、どうしますか?」と誘いを受け、綺麗な台所で作った手料理を ご馳走になることになった。
 彼女が作ったものを「出来たて」の状態で食べるのは、久しぶりだ。

 先生の家と同じように、彼女の家も、リビングの床にラグを敷いた上に食卓があり、座布団に座って食事をするスタイルだ。(僕の家も、そうだ。)
 僕は、彼女に薦められた長い座布団に座り、台所に立つ彼女の後ろ姿ではなく、自分のスマートフォンを注視する。同僚の体を、まじまじと見るべきではない。

 やがて、食事が始まる。
 彼女の手が箸や食器で塞がっているうちは、僕は あまり「中身のある話」はしないことにしている。適当に頷きながら聞き流してくれればいいような、つまらない話題を あえて選ぶ。手話単語や文字が必要となるような「質問」は極力しない。
 食事中、壁に かかったカレンダーが予定で ほとんど埋まっていることに気付いたけれど、あえて言及しなかった。

 食事が終わって、ひと息ついてから、僕は改めてカレンダーのことに触れた。
「これ……全部アルバイトの予定?」
彼女は頷く。
 いつの間にか、勤務先が増えているようだ。今は休んでいる先生宅を合わせれば、4箇所だ。
「ご多忙だねぇ……」
彼女は、愛用の筆談具に「ポスティング面白いですよ」と書いた。
「無理しちゃ駄目だよ。身体は大丈夫?」
力強く、頷く。
「眠剤が、合ってるんだね。良かった……」
それでも、無理は禁物だ。
 僕がそれを伝えようとしたら、彼女が まったく別の話題を書いていた。
【先生は、お元気ですか?】
僕は「よく知らない」「会わせてもらえない」と答える他は無かった。

 彼女は、至って冷静に、長い文章をスラスラと書いた。
 彼女は悠介さんから「先生の検査入院が長引いている」と聴いているらしく、また、僕が休んでいる間に、先生が、悠介さんが泣くほどの「大きな発作」を起こした日があったのだという。
【先生の「てんかん」が、悪くなってしまったんですか?】
「……そうみたいだね」
それを知っているなら、話は早い。
【先生は今、スマホを没収されていると聞きました】
「スマホさえあれば『お仕事』が出来るから……しっかり休んでもらうために、回収してあるんだろうね」
【悠さんは、お元気ですか?】
「相変わらず、忙しそうだよ。毎日……フラフラだね。……でも、元気だよ」

 その後、倉本くんのことも訊かれたので「元気だよ」と答え、足繁く動物園に通っていることと、彼も料理や風呂掃除をしてくれるようになったことを伝えた。
「お腹の調子が、良くなってきたみたい」
【良かったです】
 僕は倉本くんの連絡先を知っているけれど、彼女は知らないという。(今のところ、特に必要性は感じていないそうだ。)
 とはいえ、僕のほうも彼と連絡を取り合うことは ほとんどない。こちらから何かを送れば、必ず返事があるけれど、向こうから何かが送られてきたことは一度も無い。

 雑談に一段落ついたら、僕は今度こそ帰ることにした。玄関まで見送りに来てくれた彼女に、僕は告げた。
「また何かあれば、いつでも呼んでよ。先生の車だって、悠さんに言えば借りられるし」
僕が彼を「悠さん」と言ったのは初めてだ。もちろん、そちらのほうが言いやすいのだけれど、僕としては「雇用主の配偶者」たる彼を、愛称で呼ぶのは憚られる。今後も、ご本人を前にして言うことは無いだろう。
 彼女が書いた、美しい「ありがとうございました」の文字を見せてもらってから、僕は徒歩で帰路についた。


 僕と藤森さんには、同僚であることの他には「思春期に、父親が心疾患で急死した」という共通点があるだけだ。他のことは、よく知らない。
 しかし、彼女の腕には古い自傷の痕があって、更には「声が出なくなって久しい」ということを鑑みると……独りで地元を離れた理由は、決して前向きなものではないだろう。まるでバックパッカーのように、複数の県を渡り歩き、ゲストハウスを転々としながら生活していたのは……断じて「青春時代の楽しい冒険旅行」ではなく、いわば【漂流】だろう。
 父亡き後の彼女の暮らしは、壮絶なものだったに違いない……。そして、先生と悠介さんは、その詳細を知っているのだろう。
 僕が休職する前には「何も聴いていない」と言っていた先生が、復職後には「彼女は全てを打ち明けてくれた」と言っていた。とはいえ、僕は その事実のみを告げられただけで、内容までは知らされていない。
 僕も、それについて尋ねるつもりは無い。
 ただ「先生が認めた人材」としての、彼女の意志や健康を尊重するのみだ。



 夜になってから、自宅に荷物が届いた。長野県に住むマッサンから、ご当地自慢の野菜や漬物、乳製品が、冷蔵で送られてきたのだ。(事前に連絡は無かった。)
 彼は亡き父の知人であり、今では僕の「友人」だ。温泉街で働く配管工で、山奥の小屋で質素に暮らしつつも、酒と煙草とギャンブルを愛し、若人に飯を奢るのが大好きな「気の良い お爺さん」である。彼は「ギャンブルで大金を手にした時は、誰かに施しをしないとバチが当たる」と信じている。(60代だが、未婚である。)
 僕は休職中、彼が働く温泉地まで湯治に行った。あまりにも陽気な人物で、会うと疲れてしまうほどなので、体調が落ち着いてから連絡しようと思っていたら……先に見つかってしまった。とある浴場で、鉢合わせた。
 初めこそ「なんで教えてくんなかったんだよ!!?」と責められたけれど、彼は僕の痩せ方を見て、何かを悟ったらしい。
 無理に食事に誘ったりもせず「ゆっくりしてけ」とだけ言い、以後は電話もメールも無かった。
 僕は、その地を離れる前に一度だけ、連絡を取って、彼の家にお邪魔した。
 家は確かにクマが出るほどの山奥にあって、主が「小屋」と呼ぶほど小さいとはいえ、電気もガスも水道もあった。携帯電話も通じた。居間には小さくとも しっかりとした暖炉があって、家の外には大量の薪が保管された小屋があった。
 暖炉の前で、山羊乳のチーズや イナゴの佃煮を肴に、よく冷えた缶ビールを水のように飲んでいく彼を前に、僕は素面で幻覚の話をした。
 彼は「そんなもん、俺だって徹夜明けに見るわ!!」と豪快に笑い飛ばし、睡眠の重要性について、酔った頭で懇々と語った。
 その時に食べた猪肉のコロッケは、すごく美味しかった。


 僕は、荷物の礼を言うために、彼に電話をかけた。
 彼はすぐに応答し、僕が述べた感謝の言葉に対し「腹いっぱい食えよ!」とだけ応えた。その後、僕は『店長の旦那』に関する質問責めに遭った。
 彼は、僕の本当の職業も、雇用主が作家であることも知らない。相変わらず、僕は北海道料理屋で働いていると信じ込んでいる。そして、僕は そこの『店長』に恋をしていたが、それは実らず……数年経った今、同じ店で働く『店長の旦那』に、ネチネチいびられて気を病んでしまった…………ということになっている。彼の頭の中では。
 失礼かとは思うけれど、顔が広く酒好きで、いかにも口が軽そうな彼に、僕は先生や悠介さんの私生活を話したくはない。吉岡先生は、有名な方だ。妙な噂が立ったら、文筆業に悪影響が出る。だから、僕は事実を語らない。『店長の旦那』の人物像は、完全にマッサンの空想だ。
 人を騙すのは良くない事だけれど、吉岡先生の秘密は守らなければならない。

 彼は、自身の認識に基づくアドバイスを、力説する。
「虐められたらなぁ……ぶん殴ってやりゃあ いいんだよ!腹壊すまで、我慢しなくていい!!顔面を、ぶっ潰してやれ!『鉄拳制裁』だ!」
彼は、今日も酔っているのだろう。
「それよりもね、マッサン。僕……今度こそ本当に、結婚する相手が見つかったんすよ」
「マジかよ!!どこで見つけた!?」
「高校の同級生っす」
「良いなぁ、おい!……さては『焼け木杭』か?」
「……概ね、そんなところです」
そう答えると、海賊船の船長のような『豪傑笑い』が返ってきた。
「したら、札幌に帰るんかい?」
「いいえ……彼女を、こっちに呼びますよ」
「彼女は、仕事、何してるんだよ?」
「中学校で、国語の先生してました。今は……塾の先生です」
実際は一般企業での総合職兼「教育系YouTuber」なのだけれど、それは【秘密】だ。本人の了承を得るまでは……。
 彼は「ほぉ……」と相槌を打ってから、グビグビと音を立てて、おそらくはビールを飲み込んだ。
「賢い嫁さんてのは、良いなぁ……。連れ子は、居んのか?」
「居ませんよ」
「あ、じゃあ、今から……!?」
「いやいや、もう40過ぎましたから」
「養子でも取れよ」
彼はすっかり「親戚のおじさん」気取りである。
「いやぁ……僕、子どもは……」
育てられる自信が無い。
「そうか?おまえ、人の世話焼くの好きだろ?」
「いや、それよりも、稼ぎが……」
「お優しい『店長』に、掛け合えよ」
「は、はぁ……」
話に、終わりが見えない。
 頭を掻きながら、改めて荷物の礼を述べたら、僕は「明日も忙しいから」と言って、半ば一方的に電話を切った。

 通話中に、宮ちゃんからLINEが来ていて、それは住宅に関する話のようだったけれど、僕は既読を付けなかった。翌朝まで、保留することにした。


次のエピソード
【12.「おかえりなさい」】
https://note.com/mokkei4486/n/nc4df7f7daaae

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