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小説 「僕と彼らの裏話」 12

12.「おかえりなさい」

 先生が再び【自由】になる日。僕は運転手を願い出た。
 アトリエに半日篭っても「記憶が吹っ飛ぶ」ような先生は、留置場に20日間以上も居れば、もはや「別人」だった。
 若い頃の軟禁当時の記憶による症状が強く出ているようで、僕や悠介さんのことも、まったく思い出せないようだった。それでも、悠介さんは「自分の家に帰れば、そのうち思い出すと思う」として、比較的冷静だった。
 彼も、僕も、先生に「誰だ貴様!?」と言われることには慣れている。それが、一過性のものであることも知っている。

 ただ、この日の先生は本当に元気が無くて、僕が運転する後ろで、悠介さんが何を言っても「わかりません」とか「知りません」「ごめんなさい」と、力無く答えるだけだった。
 その声は、まるで20代前半の女性のようで、本当に、知らない人が乗っているかのようで落ち着かなかった。

 ご自宅に帰っても、先生は ずっと「抜け殻」のような状態で、ほとんど発話が無かった。悠介さんの発案で、まずは風呂に入って すっきりしてもらってから、大切なアトリエや資料室を見てもらったけれど、ご自分の部屋や持ち物であることすら、理解していないかのような様子だった。

 その日は、早めに布団を敷いて、休んでもらうことになった。

 倉本くんには「先生には、昔から記憶障害があって、今は それが酷くなっている」と説明する他は無かった。
 先生が自分達のことを忘れてしまったと聴いて、彼は少なからず動揺していたけれど、悠介さんが「よくあることだから」と言って落ち着いた様子を見せているためか、ひとまず状況は飲み込めたようだ。


 翌日以降も、先生は ほとんど布団に寝付いたままで、日課だったはずの散歩を拒否した。食事も ほとんど摂ろうとせず、何かを食べるのを「怖い」と言い続けた。リビングにまで下りることが出来たとしても、台所には近寄ろうとさえせず、誰かが冷蔵庫を開け閉めする音に怯え、テレビを怖がった。
 時折「私は死刑になりますか?」とか「私には、生きる価値がありません」「私は死ぬべきです」といった、ネガティブな言葉を口にし続けた。僕らは、もちろん否定した。
 先生が、ほとんど無声音に近いような弱々しい声で、更には敬語で話しているのが、なんだか辛かった。
 今の先生は、僕らのことを、病院か警察の関係者だと認識している気がした。

 どれだけ外出に誘っても応じず、「自分は外に出てはいけない」と思い込んでいる様子だった。
 以前なら、僕らを軟禁・監視の加害者と混同し、激昂して襲いかかってくることは度々あったけれど……今の先生は、むしろ、僕らを ひどく恐れている。僕らには解らない医学用語や実験手技の名称を並べ立てた上で「私には出来ません」と言って泣き崩れたり、誰かのスマートフォンを目にするたびに「盗聴を、やめてください!」と叫んで震えだしたり、挙げ句の果てには、僕のことを「先生」と呼び「私を解雇してください!」と泣き叫ぶ始末で、いよいよ僕は悲しくなってしまった。堪えきれずに泣いた日もあった。
 軟禁当時の先生も、こんな状態だったのだろうか……。すごく痛ましい。
 それでも、当時の先生は、ご自分の力で素晴らしい転職先と恩師を見つけ出し、絶望的な状況を打破した。そして、体調が回復した暁には、常軌を逸した過重労働を強要した上に「勤務地が病院であること」を理由に「疾患による休職」を認めず、人体に有害な実験の続行を命じた医学教授に、虎のごとく牙を剥き、ご自身の【人権】を取り戻されたのである。
 その時のような気迫と活力は、今の先生には無い。まるで、教授から【死刑宣告】に等しい無慈悲な決定を下されて絶望した当時のような、もはや「生きることを諦めてしまった」かのような、あまりにも弱々しい姿である。
 あれほど重視していた【太陽】を忌避し、寝室から出ることさえ怖がるようになってしまわれた。

 悠介さんは、従来通り毎晩必ず一緒に寝て、また、何度でも先生に ご自分の著書を読んでもらい、記憶が戻って体調が落ち着くのを待った。

 とはいえ、そう長くは休んでいられない。彼も、仕事に行かなければならなくなった。


 彼が出勤している間に、僕はふと思い出して、寝室のカーペットの上で横たわっていた先生に起きてもらって、ボロボロの【聖典】を差し出した。先生が、20年以上愛読してきた、有名な高僧の著書である。
「先生、これ……憶えてますか?」
先生は、黙って受け取り、ページを開いた。
 何枚かページをめくるうちに、先生は、背中を丸めて泣き始めた。
「あぁ……もちろん、憶えている……!!」
声と話し方が、戻った。
「大切な【お守り】だ……恐ろしい敵を前に、何度、私の心を守ってくれたか……何度も、底知れない勇気と、自己肯定感を……」
先生は ぼろぼろ泣いているけれど、僕は、先生の記憶が戻ったことを確信し、安堵した。
 間違いない。今 僕の目の前に居るのは、本来の吉岡先生だ。
「おかえりなさい、先生!」
先生は何も言わず、あの時『秘密の場所』で そうしたように、少年のように鼻を垂らして泣いた。
 僕はティッシュを差し出し、ゴミ箱を探した。
 先生は、俯いて、しきりに「私は……私は……」と繰り返すも、その先は出てこなかった。
 僕はゴミ箱をお渡しして、先生が落ち着くのを待った。僕も、一度だけ鼻をかんだ。

 
「先生、何か……食べたいものはありますか?」
「……良いのかい?」
「何でも言ってください」
「…………私は、君が作る味噌汁が食べたい」
「そんなもので良いんですか?」
「今は、君の味噌汁でないと駄目なんだ……」
「……わかりました」

 倉本くんは、今日も動物園に出かけている。久方ぶりに、僕と先生の2人きりだ。
 僕は、ひとまず馬鈴薯と玉葱を入れた味噌汁だけを作り、たくさん食べてもらいたいから、丼鉢でお出しした。
 先生は、泣きながらそれを平らげて、何度も「ありがとう」と言った。
 大切な【お守り】は、ずっと脚元に置いてある。
「おかわり しますか?」
「いや……あまり、たくさん食べるべきではないな。長いこと……まともに食べていなかっただろう?」
「『食べるのが怖い』と、仰ってましたね……」
「よくあることだ。……昔はよく、飲食について咎められたからね。…………今はもう平気だ。ちゃんと内臓が動き出して……人心地がついた」
 先生は、交代人格の思考や行動のパターンについて、きちんと把握されている。

 僕が味噌汁の器を片付けた後、先生が訊いた。
「今日は……何月何日だ?」
僕が日付を答えると、先生は腕を組んで「随分経ってしまったな……」と言った。
「岩くんは……まだ病院に居るのだろうか?」
「……退院されましたよ」
「そうか……」
先生は、俯いて、大きな手で目を覆い、何かを考え込んでいるか、悔やんでいるように見受けられた。
「先生から、ご連絡を差し上げれば……喜ばれると思います」
「喜ぶもんか……」
目を覆っていた手を上にやり、すっかり伸びた髪を掻き上げる。
「先生の体調を、気にされていましたよ」
「彼は、本当に……もう……」
先生は、再び泣きだした。
「私は……千尋さんに片目を潰されても、文句は言えない……」
「哲朗さんの眼は、治りましたよ」
「そうなのかい……?」
「ご連絡、差し上げてください」
「……そうする」

 僕は、悠介さんにも連絡すべきだと進言したけれど、先生は「待っていれば帰ってくるから」と言って、あえて連絡はしなかった。
 倉本くんについても同様で、夕方になって帰ってきた彼を、先生は朗らかに「おかえり!」と言って出迎え、彼は、激しく吃りながらも、大きな声で「おかえりなさい!」と言うことが出来た。
 僕は、お祝いに鶏の唐揚げをたくさん作った。部長から貰い続けた、あの唐揚げの味を再現したつもりだ。
 先生は「揚げ物は まだ早い」と難色を示したけれど、僕はむしろ、それを悠介さんに食べてもらいたかった。(彼も鶏肉が好きなのだ。)


 その夜、大急ぎで仕事を片付けてきたためか、へろへろになって帰宅した悠介さんは、玄関で先生の様子を見るなり「先生、おかえりなさい!!」と叫び、少しだけ泣いた。
 先生は「心配かけて、ごめんよ」とだけ言った。
「ほんとだよ!!もうっ!!……俺、もう、諒ちゃんに忘れ去られたかと思って……もう……」
先生は、彼のリュックを受け取りながら、肩や背中を優しく叩いて、何度も「すまなかった」「悪かった」と詫びた。
「ありがとうな。私が居ない間……」
 彼は、僕が近くに居るためか、以後は ほとんど何も言わず、風呂場に直行した。

 4人で夕食を摂る間、悠介さんは終始笑っていた。勾留のことを知らせていない倉本くんの前であるためか、一切その話はしなかった。先生が毎週録画している番組が どれだけ溜まったかを見せ、それについてばかり話した。先生も、彼の意図を汲んだのか、笑顔で話に付き合っていた。


 僕の退勤後に、夫婦だけで込み入った話をしたに違いない。


次のエピソード
【13.喜捨】
https://note.com/mokkei4486/n/n9c249be36246

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