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小説 「僕と彼らの裏話」 19

19.来客

 先生宅のリビングで、夕食に向けて倉本くんと2人で餃子の具を包んでいると、インターホンが鳴った。僕が応対する。
 来客や配達の予定は、聴いていない。
「どちらさまでしょうか?」
「僕、悠さんの お見舞いに来ました。飯村といいます」
来客は、僕の知らない人物だった。
 ひげ面で、坊主頭の男性だ。40代半ばといったところか。彼を「悠さん」と呼び、体調不良のことを知っているのなら、勤務先の同僚だと思われる。
「先生に確認しますので、少々お待ちください」
「はーい」


 僕は餃子作りの続きを倉本くんに託し、3階に上がる。資料室で読書中だった先生に、飯村さん来訪の件を告げる。
 先生は「マジか!」と笑ってから、ご自分のスマートフォンを確認した。
「アポ無しで来るなよ。まったくもう……」
ぶつぶつ独り言を言いながら、玄関前に居る彼に何かを送ったようだ。
「お知り合いですか?」
「私の旧友だよ。今は、悠介の会社でアルバイトしてるんだ」
「そうでしたか」
「ついでに言うと、倉本くんの『元同僚』だ」
「……養鶏業の、ですか?」
「いや。椎茸栽培の時だよ」
椎茸栽培の会社は、福祉作業所だったはずだ。
 彼から返信があったようで、先生は再びスマートフォンを手に笑った。「本人確認」は、済んだようだ。
「とりあえず、応接室にお通ししてくれ。私も すぐに下りるから」
「わかりました」

 僕は速やかに1階に下りて玄関を開ける。彼は、僕と対面するなり「貴方が、坂元さんですか?」と訊いてきた。僕は「そうですよ」と応じてから、指示通り彼を応接室に案内する。
 彼はボディーバッグを背負って、紙袋を一つ提げている。体が大きいので、どちらも すごく小さく見える。(彼の身長は2mあるかもしれない。)
「悠さんは、元気になりましたか?」
「今、善治さんのお家に いらっしゃいますよ」
彼は「え!!?」と驚いてから「だから既読が付かないのか……」と呟いた。
 辺鄙な場所に在る善治の勤務先は、確かに電波状況が悪い。とはいえ、彼らも24時間そこに居るわけではない。「既読」に関しては、何とも言えない。
 お茶を淹れながら適当に世間話をしていると、先生が下りてきた。
「玄ちゃん、今日は休みかい?」
「休みだよ。……悠さん、居ないんだってね」
「そうなんだよ……」
先生は、彼の向かい側に座る。
「これ、どうしようか?」
彼は、持ってきた紙袋を机に置いた。
「悠さんに渡したかったんだけど……」
「食品かい?」
「ビーフジャーキーだよ」
「じゃあ、日持ちするか……」
「いつ帰ってくるの?」
「未定だねぇ」
先生は中身を確認してから、その紙袋を僕に手渡した。
 僕は それを持って2階に戻った。


 倉本くんは、順調に餃子を量産してくれていた。特に破れたりもしていないし、大皿の上に、綺麗に並んでいる。
 僕はビーフジャーキーの袋を ひとまず自分達の荷物置きの上に置いてから、台所で手を洗って、再び作業に合流する。
「ありがとう」
彼は、僕の声を聴くなり、手を止めた。黙ったまま、じっと餃子を見つめている。
「……綺麗に出来てるね」
彼が黙っていても、しばらく手を止めても、僕は特に言及しない。彼には、彼のペースがある。
 僕が淡々と包んでいたら、彼も再び動き出した。

 具を使い切るまで包んだら、次は焼く工程に入る。それは、僕一人が引き受ける。
 彼は流しで手を洗ったら、食卓のところに戻って、大人しく座っている。下の階に来客が居ることを知っているため、遠慮して下りないのかもしれない。
 テレビをつけるわけでもなく、ゲームをするわけでもなく、ただ じっと座っている。空でも眺めながら物思いに耽っているのか、あるいは……幻聴や幻覚に苛まれ、縮こまっているのかもしれない。
 流しに向かっているうちは食卓周辺が丸見えだけれど、コンロの前には壁がある。火に留意しながら、彼の様子にも気を配る。

 やがて、先生が来客の飯村さんを連れて上がってきた。彼は、面識のある倉本くんにも挨拶がしたかったようだ。
 彼が「元気?」とか「散髪したんだね!」と声をかけても、倉本くんは、相変わらず黙ったままだ。
 飯村さんは、並んでいた座布団を少し動かして、彼のすぐ隣に座った。
「悠さん居ないと、淋しいねぇ」
倉本くんは、そこで やっと頷いた気がする。

 餃子を焼くフライパンは油が跳ねて やかましいけれど、先生や飯村さんの声は はっきりしていて、よく聴こえる。
「ところでね、先生」
「何だい?」
「僕、藤森さんに『ブロック』されたみたい……」
「君が、妙ちくりんなLINEばかり送るからだろ?」
「僕はただ、ラジオの話がしたかったんだ!」
「今の彼女は『リスナー』ではないだろ?」
「ううぅ……」
僕には解らない話だ。
 僕が長く休んでいる間に、彼女も関与する何かがあったのだろう。


 アポ無しでやってきた飯村さんは、全ての餃子が焼き上がる前に帰っていった。
 夕食時、先生は彼に まつわる話を幾つか聴かせてくれた。
 先生は、彼とは哲朗さんよりも長い付き合いだそうで、今でも月に一度は必ず会うのだという。そして、彼は藤森さんの鞄を ひったくり犯から取り返したことがあるという。
「彼は、毎月お給料が出るたびに ご馳走してくれるんだ。悠介を入れた3人で飲みに行く時もあるよ」
「そんな ご友人が いらっしゃったとは、知りませんでした……」
「君達が休みの日をあえて選んで、外食しに行くからね」
「なるほど……」
「彼は、いつも正義感に燃えているんだ。切実に困っている人や、死ぬほど孤立している人を……決して見捨てない。大きな壁になって、敵から守ってくれるんだ」
確かに、あの体格の彼が【盾】になってくれたら、大変 心強いだろう。
「彼、ラグビーか何かやってたんですか?」
「学生の頃は柔道をやっていたと、聴いた気がするなぁ。……今は『筋トレ』そのものにハマっているようだけれども」
「すごく良い体してますよね」
「現場での労働も、良いトレーニングになるのだろうね。……あそこに転職してから、ますます体が大きくなったよ」
「いずれは社員さんになるんですか?」
「いや……本人に、その気は無いんだ」
「え、じゃあ……ダブルワークですか?」
町工場でのアルバイト一本では、さすがに食べていけないだろう。(僕が別の企業で それをしていた頃は、毎月かなりの貯金を崩していた。)
「彼は『大金持ちの息子』だから、あえて働かなくとも、お金には困らないのさ」
(う、羨ましい……!!)
「本人は『生き甲斐』のために、あちこち転々としながら、悠々自適に働いているけれども。……上司や経営者と、口論をしがちだね」
「え!?」
「いろいろあるのさ……。彼は法律に詳しい人だから、会社側の【不正】に気付いたら、黙っていられないんだ」
彼の言い分が どれだけ正しくとも、そこに口を出してしまったら、確かに「上」からは嫌われるだろう。
「決して『悪い人』ではないよ。ただ、とんだ変わり者だから、藤森ちゃんには、すっかり嫌われてしまったようだけれども……」
「ひったくり犯を、捕まえたんでしょう?」
「その時の『感謝』がチャラになるほど、意味不明なLINEを、しつこく送り続けたということだよ。……彼には、一人で お酒を飲みながらスマホで遊ぶ、という悪癖があるんだ」
「うわぁ……それは……」
酔った勢いで、セクハラまがいの妙なLINEを、複数回に渡って送ってしまったのではなかろうか……。憶測にすぎないけれど。


 僕が先生のために作る餃子には、必ず鶏肉を使う。今日、そのレシピを倉本くんに教えた。
 食べた後の片付けは、こちらが頼む前に、彼がやってくれた。
 フライパンも含む全ての洗い物を終え、リビングで寛いでいた僕に「終わりました」と報告しに来てくれた彼に、僕は手話を添えて「ありがとう!」と言ってみた。
 彼は、台所に吊ってあった手拭き用のタオルを何故か持ってきていて、それを両手で握りしめて、もごもごと何かを言いながら頭を下げた。
 頭を上げた後も、しばらく突っ立ったままで、どうしたと声をかけようかと思った瞬間に、妙に大きな声で『報告』をし始めた。
「僕……僕、今日、玄さんに会いました!」
「僕も会ったよ」
言葉を返しながら彼の眼を見ると、案の定 視線が ふらふら泳いでいる。あまり良くない兆候だ。
「今日、よく頑張ってくれたね。お疲れ様」
「彼は!間違っていません!!」
次第に、会話が噛み合わなくなっていく。過去の記憶に基づいた【怒り】が突然 爆発し、怒鳴るような声色に変わる。もはや見慣れたことである。そして、このような状態の彼は、自傷・他傷に及びかねない。
「倉本くん、座ろうか」
「彼は、正しいんです!彼ではなく、あの職員こそ、解雇すべきなんです!!!」
彼は そう叫んでから、持っていたタオルで、ぱしん!と食卓を叩いた。
 その衝撃で何かの『スイッチ』が入ってしまったのか、それは一回で終わらなかった。怒りに任せて、同じタオルで執拗に食卓を叩く。
 彼が食卓を蹴り始める前に、止めなければならない。僕は立ち上がる。
「まぁまぁ、座りなよ。……座布団あるよ」
食卓から少し離れた位置に、改めて座布団を置いてみる。
「辞めちまえよ!!クズ!!」
「君は、そこを辞めたんでしょ?」
彼は座布団に見向きもしない。ただ、食卓を叩くのは やめた。
「……洗い物ありがとう。タオル、返してもらってもいいかな?」
受け取るべく、手を差し出してみる。
「洗濯に、出してくるよ」
「…………自分で行きます」
と、言うなり彼は1階に消えた。
 そして、すぐに戻ってきて、僕が置き直した座布団に座ってくれた。
 僕も、すぐ近くに正座してみる。
「ありがとう。……お疲れ様」
「玄さんは、悪くないのです……」
まだ、怒りが治まらないらしい。短パンを穿いた自分のすねを、力を込めて ばりばり引っ掻いている。赤い筋が何本も残り、今にも血が出そうだ。
「玄さんは、新しいお仕事、すぐ見つかったから。大丈夫だよ」
先生がよくやるように、背中をさすって宥めてやりたいくらいだけれど……彼の場合、無闇に触ると、再びキレてしまう恐れがある。
「玄さんが……ビーフジャーキーくれたんだけどさ。僕らも、食べていいのかな?」
「悠さんに渡すやつでしょう……?」
「悠さんが帰るまで『おあずけ』かな」
「……先生は、何か言ってましたか?」
「帰る前に、訊いてみるよ」
彼は、すねを引っ掻くのを やめてくれた。

 おそらく初めて、先生を呼ばずに事態が収束した。


次のエピソード
【20.密やかな門出】
https://note.com/mokkei4486/n/n419f9ef5cdfa

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