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小説 「僕と先生の話」 34

34.元来の自分

 僕はもう、漫画の描き方を忘れてしまった。人体や衣服を正確に描くことさえ、もはや出来なくなった。僕の絵心は死んだ。
 それでも、僕は【物語】を書いた。

 素晴らしい芸術品を鑑賞した後、美しい庭園で、先生の過去を知ってから、僕の頭の中には、新しい【世界】が生まれていた。
 僕は、それを書き留めずにはいられなかった。

 押入れの中から、古いノートパソコンを引っ張り出し、数年ぶりに電源を入れた。
 インターネットには接続しないまま、いくつものWordやPowerPointファイルを作りながら、ひたすら長文を打ち込み続けた。
 主人公や他のキーパーソンの人物像、住んでいる世界、彼らの職業、物語の主題、それを違和感なく読み手に伝える構成……思いつくままに打ち込んでから、整えて、練り上げる。それが、楽しくて堪らない。
 時を忘れて、僕は新しい【世界】について考える。
 僕の文章力や表現力は、先生には遠く及ばない。そんなことは判りきっている。しかし、それでも僕は、やはり【物語】を考えることが好きなのだ。


 いつの間にか日付が変わり、深夜を越えて、早朝と呼べる時間帯になっていた。あと6時間もすれば、僕は先生の家で台所に立たなければならない。
(少しは、寝よう……。)
 パソコンの電源を切り、眠剤を少なめに飲んで、僕は布団に入った。

 その日、残念ながら僕は遅刻した。それでも、先生は間に合った時と同じように「おはよう」と言い、平然と ご自身の予定について話し始めた。
 近日中に松尾くんを連れてあの町工場を訪ねるとのことで、僕は当日の運転手を願い出た。理由は「工場長に会いたいから」と告げた。先生は、笑って承諾してくれた。

 無事にその日の仕事を終え、帰宅後に再びパソコンを開き、深夜に書いた粗削りの文章を冷静な頭で読み返し、必要を感じれば修正した。
 夜中に独りで書いたにしては、不快な要素の少ない良質なものが書けている気がした。僕は、それを何度も読み返し、唐突に思い立ってUSBメモリに移した。
 深夜のコンビニで、それを紙に印刷した。


 後日、先生宅の和室で手荷物を整理していた岩下さんに声をかけた。
 僕は、畳の上に正座して「ご多忙とは存じますが……」と前置きしてから、彼に、自作の拙い物語を読んでみてもらえないかと頼んだ。
 彼は、僕の突拍子も無い依頼に、少し驚いたようだったけれど、嫌な顔はしなかった。涼やかに「私で よろしければ」と言って、僕が手にしていた紙の束を受け取ってくれた。
 その場でクリップを外し、いかにも本職らしい速さで最後まで読み終わると、もう一度初めから、ゆっくりと読み返してくれた。
「これは……非常に読みやすいですね。ストーリー構成は至ってシンプルですが、独創的な要素もあって……面白いです。複数回、読む気にさせます。
 よく出来たファンタジー小説だと思います」
「あ、ありがとうございます!」
「コンテストか何かに応募されるんですか?」
「いや、そこまでは……」
「そうですか……。
 もちろん、無理にとは言いませんが、弊社が開催するものでよろしければ、資料をお送り出来ますよ」
「いや、そんな……!僕はただ……これを、先生に読んでいただきたくて……」
「吉岡先生に?」
「はい……」
「もう一度、拝読してもいいですか?」
「もちろん」
彼は、一度は僕に返した物語を、飛ばし飛ばしではあるけれど、再び読み返した。
「そうか……!」
彼が独り言を言うのは、珍しい。
「この主人公の青年は、お若い頃の吉岡先生をモデルにしたキャラクターではありませんか?」
「……秘密です」
「そうですか。わかりました」
彼は、静かに笑って、今度こそ紙の束を返してくれた。
「とても、素敵なお話です。これで『終わり』ではないでしょう?」
「はい。まぁ……すごく長い話の『第一部』のような、つもりです。僕としては……」
「貴方は、少年漫画がお好きなようですね」
「はい、好きです。とても……」
どうして分かったのだろう。作風に滲み出ているのだろうか。
 一度は、叩きのめされてしまったけれど、それでも、僕は……【物語】を考えるのが、大好きだ。

「このまま、先生にお見せしても、大丈夫でしょうか……?」
「貴方が先生のために書いたお話なら、私の出る幕はありません。どうぞ、このまま……表記の揺れだけを直したら、ストーリーには手を加えないで、お渡ししてください。きっとお喜びになります」
「ありがとうございます」
 僕は、頭を下げてから、表記揺れについて指摘してもらった。彼は、自分の鞄から赤ペンを取り出し、該当する箇所に印をつけてくれた。


 僕が書いた【物語】の主人公は、架空の世界の若き天文学者である。その世界では、隕石として飛来する稀少な鉱石が、人の文明の存続と発展には欠かせないものであり、その鉱石の回収量が国力を左右する。(実在する地球よりも遥かに高い頻度で、小さな隕石が落下する。隕石落下の頻度が高いため人の居住が許されない区域や、避難用の地下シェルターが多数存在する。)隕石は、重要な資源であると同時に、衝突に伴う大災害をもたらすため、天体を観測し続ける職業は、極めて重要な役割を担う。
 孤児だった主人公は、裕福な老夫婦の養子として育ち、よく学び、よく遊び、記録的な若さで非常に難しい試験に合格して、国家お抱えの天文学者の一人になった。彼の亡き養父もまた、偉大な天文学者であった。
 偉大な養父がそうしたように、隕石落下による災害から人々を守り続けることが、主人公の幼少期からの夢であったが、公的な観測所や研究所で日々行われていることは、実に醜い『金と権力の奪い合い』であり、もはや学者としての本分は見失われ、民衆の生命は軽視されていた。主人公は、その醜い泥仕合の中で、心身の健康を損なっていく。
 研究所の体制に失望した主人公は、国家お抱えとしての安定した立場を棄て、養父が遺した天文台に、独りで篭るようになる。職業を棄てたとはいえ、彼は、天体の観測をやめない。独学を続ける。
 数年後、彼は夜空に凶兆を認め、人々を未曾有の大災害から守るべく奮闘する。国家はその天体を「落下する心配の無い彗星」と発表したが、彼の観測と計算では「地上に落下する確率が高い巨大な隕石」という結論に至ったからだ。彼は、落下が予想される地域の住民に必死に警告するが、住民の大半は、国家の発表を信じている。
 自分の警告を誰にも信じてもらえず、焦る主人公。誰も避難しようとしないまま、天体は日々近づいてくる。そんな時、かつての主人公と同じように、国家お抱えの学者を辞めたという賢人と出逢う。その賢人も、主人公と同じように隕石落下による大災害を危惧しており、住民に警告するため街を訪れていた。
 名の知れた賢人と、偉大な学者の息子の見解が合致したということで、人々の意識が変わり始める。一部の住民は避難を始める。
 しかし「国家の発表が間違っている」という嘘を民衆に吹聴しているとして、主人公達は投獄されてしまう。
 2人が遠く離れた監獄の中に居る間に、例の街に隕石が落ちる……。ごく一部の住民は助かったが、街は壊滅し、多くの犠牲者が出た。主人公は、ひどく心を痛める。
 正しかった2人は、無罪放免となる。しかし、失われた多くの命は戻らない。にも関わらず、被災地から遠く離れた都の人間達は、隕石がもたらした資源を【天からの恵み】と称し、自国が莫大な富を手に入れたことを祝福さえしている。犠牲者を悼む気持ちが強い主人公は、憤りのあまり泣き叫び、気絶する。
 共に投獄されていた賢人は「我々が学んできたことに間違いは無かった」「たとえ僅かでも、人々を救うことが出来て良かった」と、目を覚ました主人公に言葉をかける。
 主人公は、生き残った住民達と共に、被災地復興のために立ち上がる。

 僕は、今の先生に伝えたい言葉を、架空の賢人に託した。


次のエピソード
【35.再起】
https://note.com/mokkei4486/n/n0a89f17e3707

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