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小説 「僕と彼らの裏話」 33

33.静寂と動揺

 初出勤の翌日。僕は自宅の居間で、昨夜購入した履歴書に必要事項をシャーペンで記入していく。内容が確定したら描画用のミリペンで下書きをなぞり、インクが充分に乾いたら、消しゴムをかける。
 勤務は夜間のみだから、日中は家事や履歴書作成に充てられる。
 証明写真も、昼間のうちに撮ってしまおう。


 出勤直後、社長が不在の事務所で、パソコンを前に ふんぞり返っている専務のところへ挨拶をしに行った。彼は、社長よりは幾つか歳上のパートナーであるようだけれど、僕よりは若い気がした。
 この会社は、従業員の平均年齢が低い。常務1人だけが60代で、50代の社員は居ない。20代後半〜40代前半の従業員が大半を占める。(80歳を目前にした『相談役』が1名いらっしゃるけれど、彼は名誉職なのでノーカウントとさせていただく。)
「昨日からお世話になっております。坂元と申します」
「あぁ……よろしくお願いします」
専務は、律儀にも立ち上がって名刺をくれた。返せる名刺が無い僕は、丁重にそれを受け取るのみだ。
 現場の責任者は常務であり、専務は総務および営業の責任者だ。
 来客に応対する機会も多い彼は、衣服や眼鏡だけではなく、髪型や体型の維持にも、かなりの金額を懸けていそうな印象だ。現場仕事や荷物運びで自然についた筋肉ではなく、意図的なトレーニングと栄養管理で作り上げた「見せるための筋肉」である気がする。現場の職人達とは、明らかに体型が違う。
 若き女性社長が取引先や競合相手、あるいは自社で働く学生バイト達に見くびられてしまわないよう脇を固めるのも、彼の重要な役目なのかもしれない。

 挨拶を終え、ロッカーに荷物と名刺を しまったら、すぐさま現場に向かう。常務を見つけ出して指示を仰いでから、2階のあの部屋で、前日の続きに着手する。
 1時間弱で作業を完了させて、喫煙所で休んでいる常務のもとへ報告に行くと、彼は胡座をかいた脚の横に積み重ねていた複数の図面を、アスファルトの上に並べ始めた。
「坂元ちゃん、ザグリは解る?」
「わかりますよ」
「テーパーは出来る?」
「久方ぶりなので、何回か練習をしたいです……」
「まぁ、そうだよね」
 彼は、僕に任せる品目を幾つか選んだら、それらの図面を拾い集めて僕に手渡した。
「もう少し待ってね。これ吸ったら、上の部屋でちゃんと教えるから」
「は、はい!よろしくお願いします」


 加工し終わった製品は、常務の指示によりエレベーターに載せた。下の階で、別の職人が次の加工をするという。
 常務は、室内にある旋盤ではない機械に、1階から持ってきたドリルを装着し始めた。
 僕が小さなボール盤かと思っていたそれは「卓上フライス」という機械らしい。端的に言えば、昨日 社長が1階で使っていたフライス盤を、机に乗るほどの小型機に改良したものである。
 僕は、まずはそれを使って樹脂の板に「ザグリ加工」をするよう指示を受けた。
 ザグリというのは、製品にあけたネジ穴に ネジやボルトを挿れて締めた際に、その頭部を収めるための凹みのことである。「座ぐり」または「座繰り」と表記されることもある。
 まずは直径の小さなドリルで素材に穴をあけ、次にそれより大きい径のドリルを、先にあけた穴の真上から降ろし、穴の周囲を掘り下げる。
 それぞれの穴の位置、数、直径、深さ等、全てが「図面通り」でなければならない。寸分違わず「お客様が求めている形」に仕上げなければならない。
 
 この部屋には卓上フライスが2台ある。それぞれの主軸に、大きさの違うドリルを着けておけば、あとは機械的に「流れ作業」が出来る。
 常務が、淡々と刃物と加工台の高さ合わせをしてくれる。僕にそれを教えるのは「もっと慣れてから」だという。
「ゴムはねぇ……金属と違って、室温の変化とか摩擦熱で、簡単に寸法が変わっちゃうから、気をつけてね」
「はい」
「あとは……測る瞬間の力加減でも、値が変わるね。材質が軟らかいから」
「あ、はい……」

 機械のセットが終わり、いよいよ僕がザグリ加工を行う。複数個、試してみる。
 出来たら、常務が入念にノギスで測る。
「巧い、巧い。ちゃんと、垂直に開いてるよ」
 僕はただ、お膳立てされたレバーを下ろしているだけだ。こんなことは、練習すれば小学生でも出来るだろう。(だからこそ、幼き日の社長と兄が、現場に駆り出されていたのではないだろうか。)
 常務が見守る中、僕は作業を続ける。

 この部屋に、椅子は無い。高速回転する軸への取付けが甘かったり、手が滑ったりして、加工中の製品が自分のほうへ飛んできた時、あるいは機械そのものに異変が起きた時、瞬時に【避ける】か【機械から離れる】ことが出来るよう、そして、一人きりになりうる空間での【居眠り】を防止するために、座って機械を操作することは禁じられている。
 その代わり、作業台は自由に高さを変えられる。無理のない姿勢で、長時間の立ち仕事に臨める。

 僕が黙々と穴あけに勤しんでいる後ろで、常務は、次に着手すべき品目のために、昨日も使った小さな旋盤の調整を始めた。(そちらは「卓上旋盤」という名称の機械である。)
「ところで、坂元ちゃん。ここだけの話なんだけどね……」
「は、はい。何でしょう?」
僕は、作業を続けながら応じる。ただの雑談かもしれないし、僕の勤務時間は短い。時間が惜しい。
「新しい専務がねぇ……まだ『社長の夫』じゃないのに、もうすっかり、会社を牛耳っている気でいるんだ」
「え、え……それは……?」
僕が聴いてもいい話なのだろうか?
「子会社の話を【白紙】にしちゃったし、新しい機械を『買う』って強行採決したし…………松尾ちゃんのことも、このまま辞めさせたいみたい」
「えぇっ!!?」
一旦、手を止めることにした。
 振り返ると、常務はずっと僕に背中を向けたまま、旋盤だけを見ている。
「本人の体調も良くないし……親父さんの借金のことで、“恐い人“が 会社うちにまで来ちゃったんだよ……。で、そいつが、事務所で若い子達に ある事ない事 言いながら、恐喝まがいの事をし始めて……」
全く知らなかった。
「だから、僕が こっそり110番して、捕まえに来てもらったの」
「あ、捕まったんですね……」
常務は「うん」と頷いてから、言葉を継いだ。
「でも……専務だけは、それで『解決した』とは思ってないんだ。……『いずれ必ず、別の奴が来る』って、ずっと警戒してる」
会社を守るためには、必要な警戒心だろう。
「だけど……そんなの、会社を辞めさせる理由にはならないよ。本人が犯罪に手を染めたんなら、解雇になりうるけどさ……『知らないうちに、親が自分を保証人にして金を借りた』だけだよ?松尾ちゃん自身は、何もしてないじゃないか」
「……僕も、そう思います」
 いくら何でも、本人の意思を確認しないまま、父親の借金を理由に【解雇】とは、ならないだろう……。そんなことは、不当解雇だ。
 先生も、許さないだろう。

 旋盤の調整を終えたら、常務は「テーパーを始める時には呼んで」と言い残し、1階に戻っていった。


 ラジオも何も無い静かな個室で、機械の軸が回転する音だけが聞こえる。
 図書館で静かに本を読んでいる時のような、至って健やかな気分になってくる。
 僕の邪魔をする奴は、誰も居ない。
 まるで、世界に独りであるかのような気分に浸り、だからこその空想に耽る。物語の構想を練る。
 僕はプロではないけれど、書くのをやめようとは思わない。大切な趣味であり、生き甲斐だ。

 急いで製品を仕上げようとして、寸法が変わってしまったら意味が無い。焦らず、じっくり……馬鹿丁寧なくらいに、慎重に臨む。
 時間短縮のために、最も有効な方法は……造り直しを発生させないことだ。
 僕は、こう見えても【鬼神】須貝部長の『弟子』である。受けた教えは……今でも覚えている。忘れるわけがない。
 彼が、僕の体質や持病を理由に諦めたり見捨てたりすることなく、根気強く丁寧に教えてくれた時間が、僕の「ものづくり」の原点だ。
 そして、あの場に彼が居なければ、僕は あれだけ長い間、あそこで頑張ることは出来なかった。早々に挫けて辞めて、吉岡先生や哲朗さん達と めぐり逢うこともなく……ひどく惨めな、早すぎる最期を迎えていたに違いない。


 突然、引き戸が開く音がして、更には常務の声がした。
「坂元ちゃーん!どう?」
僕は「うわっ!!」と声を上げ、ドリルで手を切らないよう、両手を身体の後ろに引っ込めるしか出来なかった。
「あ……ごめんね」
常務は謝ってくれたけれど、僕は応えることが出来ない。どうにか機械から離れた後、頭を ぐしゃぐしゃ掻き乱したり、その場でぐるぐる回りだしたりするのを、自分の意思で止められない。
「わっ……わぁーーーっ!!!」
年甲斐もなく、大声で叫んでしまった。
 僕が呼びに行くまで常務は来ないと思い込んでいたから、急に声をかけられて……死ぬほど びっくりした。
 そして、驚いた拍子に、製品を1つ駄目にした。……それに気付いた瞬間、思わず叫んだのだ。過去の勤務先なら間違いなく怒鳴られるようなミスだし、万が一、僕のミスで完成品の数が足りなくなったら、他の職人さん方に迷惑がかかる。
 ヒュルヒュルヒュル……と、血圧が急降下していくイメージが、頭をよぎる。
 激しい目眩と動悸がして、身体が震えだす。頭を抱えたまま、しゃがみ込む。
(“死にたい……”)
「違う!!」
不吉な言葉が頭の中に響き、慌てて否定する。これは……きっと、あれだ。「希死念慮のフラッシュバック」だ。
(違う!!今は、違う!今の僕は、死にたくなんかない!!)
床に片膝を着き、ぶるぶる震えながら、心の中で、自分に言葉をかける。
(製品を1つ壊したくらいで、死刑にはならない!!……死ななくていい!!)
僕は、ハァハァと荒い息をしつつも、今にも泣きながら暴れ出しそうな自分を、どうにか鎮めようと試みる。
(この会社に、体罰は無いから……!!)
「ごめん。本当に、ごめん。そんなに驚くとは、思わなかったんだ……」
常務も、僕が放り出した卓上フライスのスイッチを切ってから、近くに しゃがんでくれた。
「大丈夫だよ、1個くらい飛んでも……。途中で失敗してもいいように、30個くらい多めに造ってるから……」
予備が30というのも、なかなか厳しい数字に思われた。
 


 震えが治まってきたら、ずっとしゃがんでいた僕は、きちんと正座をしてから、常務に「すみません」と詫びた。
「落ち着いた?」
「は、はい……どうにか……」
「あぁ、良かった。……水分摂ってね」
「あ、ありがとうございます……」
言われるがまま、僕は水筒のある場所へ這って行き、それを拾い上げてから床に座り直した。
 蓋を開け、ふぅふぅと息を つきながら、少しずつ中身を飲む。
「空気が悪いようだから、少し窓を開けようか……」
常務は独り言のように そう言ってから、部屋に一つしかない窓を全開にした。
 窓を開けても、隣の棟の壁が見えるだけで、景色は見えない。入ってくる風は、生ぬるい。
 それでも、窓と引き戸の両方を開ければ、気流が生まれる。此処とは違う匂いを感じられて、少し気分が変わる。
「ごめんよ……。いきなり松尾ちゃんの話なんかして、動揺させてしまったかな……?」
 常務は、換気のために窓と引き戸を開けた後、悠介さんが癇癪かんしゃくを起こした時と同じように、僕の近くに座った。
 僕の体調や心境が「落ち着いた」と確信できるまで、そこから動かないつもりなのだろう。
「いいえ……。ただ、ちょっと……考え事をしていて……」
「考え事?」
「自分が、初めて旋盤を使った工場で、何を教わったか……いろいろ思い返していて……」
「あぁ、なるほど」
「完全に……【一人の世界】に浸ってしまって……だから、常務がいらっしゃった時、すごく驚いてしまって……」
「ごめんよ」

 常務と会話していたら、しだいに呼吸が整ってきた。
「あ、あの……常務。お時間は、大丈夫なんですか?」
「んー……実は『押してる』んだけど…………もう、休み休みでないと、動けないんだ。僕、もう……歳だから。木曜にもなると、すっかり くたびれちゃうんだ」
それは、致し方のないことだろう。だが、僕は何と応えれば良いだろう……?
「坂元ちゃんも……ゆっくりやってくれれば良いんだよ。急がなくたって、充分速いんだから」
「お、恐れ入ります……」
「出勤の日は……マラソン走ってると思ってさ。自分のペースを、しっかり守るんだよ。他の人のスピードなんか、気にしちゃ駄目だ」
「は、はい……」
「そもそも……坂元ちゃんは、吉岡ちゃんの都合で、仕方なく こっちに来てるんでしょ?だったら、尚のこと、無理なんかしなくていいんだ」
「はい……」

 お疲れの常務は立ち上がる気配が無く、その後も懇々と社員の交代制に関する説明や、納品先ごとの傾向や留意点についての解説を続けた。僕は、それを正座して傾聴する。
 しばらく すると、誰かが金属製の階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「おっと……誰かが、僕を探してるね」
常務の予想は当たり、ごく若い男性社員が、上がってくるなり「常務!」と声をあげた。
「玄さんが、また……」
若い彼は、僕の前であるためか、その先を言おうとしない。渋い顔で階段を指さし、常務に「下で、まずいことが起きました」「下りてきてください」とアピールしている。
「おやおや。何だろう」
常務は特に動揺もせず立ち上がり、僕に「ちょっと見てくるよ」と言い残し、呼びに来た彼と共に階段を下りていった。

 残された僕は、開け放たれた窓と引き戸を閉めて、自分の仕事を再開した。


次のエピソード
【34.老翁かく語りき】
https://note.com/mokkei4486/n/n3399b4e10d88

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