見出し画像

小説 「僕と先生の話」 14

14.再会

 自宅に戻ってから数日。待ちに待った連絡を受け、僕は復職した。
 玄関を開けてくれたのが、先生ではない……というのは、初めてだ。

「岩下さん、今日は何時頃まで居ますか?」
 彼は、今日は借り物ではなさそうなトレーニングウェアを着ている。(すっかり洗い晒してあるけれど、高級ブランドの上質なものだというのは解る。)
「今夜は宿泊する予定です」
「……他の仕事、大丈夫なんですか?」
「『腕が痺れる』と言って、休みました」
「え、大丈夫ですか!?」
「よく使う口実です。今、本当に痺れているわけではありません。……ただ、私は過去に頸を骨折しているので、本当に痺れてしまう時もあります」
 折れ方にもいろいろあるのだろうけれど、それでも、今こうして編集者としての激務をこなしている彼は凄い。
「それでも、子ども達はお構いなしに抱っこを せがんできます。妻は『できる家事をしろ』と言います。上司は『スマホは声で操作できる』と言います。
 病院や整骨院に行っても、どうにもならない時は……この家に避難します」
 階段を登りながら、彼は淡々と語る。
「そんな事よりも、先生の体調についてですが……」
「はい」
「概ね『元通り』です。人を攻撃してしまうような状態ではありません。しかし、やはりまだ不安定なので、お仕事はお休みしていただいています」
「そうですか……」
 彼が、僕の復職に泊まりがけで立ち会うというのだから、先生の体調は、決して良くはないのだろう。

 茣蓙ござが敷かれたリビングで座布団に座り、僕もよく観る野生動物の番組を観ていた先生は、眼鏡を外し、ありふれた白色の使い捨てマスクをしている。いつもの作業着ではなく、ゆったりとしたジャージの上下を着ている。
 今日の先生は、背中が丸まって、身体が小さく見える。
「おはようございます、先生」
「おはよう。久しぶりだねぇ……!」
マスクの下とはいえ、以前と変わらない笑顔で迎えてくれたのは、分かる。
「体調は、もう良いのかい?」
「僕は もう大丈夫です」
僕は、先生の隣に、座布団を当てずに正座した。
「先生、髪伸びましたね」
「そうかもね」
「風邪ですか?」
「いや……このほうが、精神的に安定するんだ」
「……夜は、眠れてますか?」
「相変わらず眠剤を飲んでいるよ」
それは初耳だ。
「何か、食べたいものはありますか?」
「君が作ってくれるなら、何でも美味しいよ」
 今、こうして、何事もなかったかのように先生と会話ができる。僕は、それだけで嬉しい。
「3人分、何が作れるか、見てきますね」
「よろしく頼むよ」

 台所は、いつも通り綺麗だ。
 冷蔵庫や戸棚を確認する。買い出しに行かなくても、簡単な麺料理なら作れそうだ。
「パスタでいいですか?」
「任せるよ」
「お任せします」
2人とも、寛大だ。

 食事が用意できるまで、先生はずっと同じ場所でテレビを観ていた。
 彼は、3階から借りてきた自己啓発本をパラパラめくりながら「この人の日本語は綺麗だ」とか「本当に変わらない」と、しきりに褒めていた。先生も、それに応えて何か話していたようだったけれど、調理中の僕にはよく聞こえなかった。

 在合わせの食材を 茹でた麺と共に炒めただけの至極つまらない創作料理と、申し訳程度に高価な油を垂らしただけのインスタントスープしか用意できなかったけれど、2人は喜んで受け容れてくれた。
 録画してあったアニメーション映画を観ながら食事をして、書き手と編集者としての視点からの、作品に対する評価と解説を聴いた。
 2時間強の映画だから、普段の「昼休み」よりも長い。何にせよ、食事が終われば後片付けをするのが僕の仕事だから、映画の途中でも、僕は3人分の食器を下げて、洗って片付けた。(台所からでも、テレビの音声は聞こえている。)
 勤務時間内の読書や昼寝が許されるくらいだから、片付けが終わったら席に戻って映画の続きを観るのだって、もちろんOKだ。


 映画が終わり、ひとしきり感想について述べた後「働きもしない日に、午睡をしてもなぁ……」と言いながら、リモコンを手に録画一覧を眺めている先生に、彼が提案した。
「先生、肩でも揉みましょうか?」
「お、いいねぇ。お願いしようかな」
先生は、すごく嬉しそうである。
 彼は1階の脱衣所から綺麗なタオルを取ってきて、先生の肩にかけ、その上から、施術のプロにしか見えない手つきで先生の肩や背中、首周りをひと通り触ってから、肩の筋肉をほぐし始めた。
 僕は、先生から「好きにしていいよ」と、リモコンを渡されていたので、適当にチャンネルを変えながら、彼の手技を見ていた。
「相変わらず硬いですね、先生……」
「職業病だねぇ」
「もうしばらく、休んでいただかないといけませんね……」
「私が長々と休んだら、困るのは君だろうに」
「そんなことはありません」
目をつむって、彼に身体を預ける先生は、とても幸せそうだ。
「相変わらず、巧いねぇ」
「とんでもないです」
 彼は「やっぱり、首からほぐさないと駄目ですね」と言い、自分の立ち位置とタオルの位置を変えて、先生の額を押さえながら、頸のツボらしき箇所を押し始めた。
 先生は、時々「痛い」と言いながら、それでも たいそう気持ちが良さそうに、されるがままにしている。
「岩下さん、プロみたいですね」
「そうですか?」
「どこかで勉強したんですか?」
「いいえ……独学といいますか、自分が治療を受け続けているうちに、いつの間にか覚えました」
「なるほど」
至極つまらない返答しかできなかったけれど、僕は彼の賢さと器用さに感心していた。
「君も、素晴らしい技を、伝授してもらうといいよ」
「え……。僕、不器用なんで、先生の骨、粉々にしてしまうかもしれませんよ?」
先生は「何、わけのわからないことを言ってるんだ!」と笑い飛ばしてから「君は器用だから、すぐに覚えるだろう」と言ってくれた。
 冗談が通じる状態で、本当に良かった。
 先生は、元気だ。

 頸への施術が終わると、彼は再びタオルを肩にかけ直し、プロのように小気味良い音を立てながら、先生の肩を叩き始めた。どこがどう鳴っているのか、素人の僕にはまったく解らない。
 見様見真似で自分の脚を叩いてみたけれど、やっぱり解らない。
「こんな化け物を、平気で触るんだからね。相当な変わり者だよ」
背中を叩いてもらいながら、先生が僕に言った。
「化け物だなんて、思ったことはありませんよ」
彼は真顔で応える。
「……君は、本当に優しいねぇ」
 彼と先生の信頼関係は、本物だ。

 彼が『仕上げ』の意味を込めて、少し大きめの音を出して、先生の両肩を叩いた。
「はい。終わりましたよ!」
「ありがとう」
 施術を終えた彼が、先生の肩からタオルを外して手に持っているだけなのだけれど、動きや持ち方が、なんとも恭しい。
「先生、腰の調子は、どうですか?」
「良くはないねぇ……ずっと変わらないよ」
「足腰も、やりましょうか?」
「いや、いいよ。本当に腕が痺れてしまうだろうから」
断られた彼は、小さく「わかりました」とだけ言って、すぐに洗濯機に放り込むはずのタオルを綺麗に畳み直してから、1階に消えた。

「あの……僕、事務仕事をしてもいいですか?」
「もちろん」
 長い休職明けなので、どうなっているか少し心配だったけれど、何事もなく、現金とレシートが金庫の中にあり、入力は前日分まで きちんと終わっていた。
 僕は、今日のうちに買っておきたい物を、パソコン上でリストアップすることにした。

「先生は、座っている時間が長すぎるのです」
「できるだけ、歩き回りながら本を読んでいるのだけれども」
先生が、戻ってきた彼に小言を聴かされている。
「先生は、何かに没頭し始めたら、何時間でも続けてしまわれるでしょう?寝食も何もかも忘れて、机に肘をついたまま、背中を丸めて、目を凝らして……あれは、本当に良くない。心身に良くない」
「うーむ……何年、同じことを言われているだろう?」
「大切な事ですから、何度でも言います」
(どっちが【先生】だろう……?)
会話を聴いている僕の表情なんか、2人とも見ちゃいない。(良かった。)
「私だって、同じことを何度も何度も、君や周囲の人々に、言ってきたはずなのだけれども……どうしてか、すぐに忘れてしまうんだ」
「だからこそ、私が何度でも言うのです」
「いやぁ、面目ない……」
腕を組んで、首をかしげて、どこかの『御隠居さん』みたいな話し方をする先生を見ているだけで、なんだか安心する。
 もう、あんなことは起こらないような気がしてくる。

 パソコンを使う用がなくなり、僕は1階部分の様子を確認することにした。
 1階の掃除は僕に一任されているとはいえ、出入りする人数が少ないためか、休職明けだからといって、特に汚れたり散らかったりはしていない。
 和室には来客の荷物が置かれているけれど、綺麗に整頓されている。


 夕食こそは、時間をかけて、良いものを作ろう。
 彼が見ている前で、先生に「車のキーを貸してください」と言ってみた。先生は、快く3階からキーを持ってきてくれた。
 僕はそのまま車を借りて外出し、スーパーで食料品を買い込んだ。

 最低でも眠剤は毎日飲んでいるであろう先生のために、腎臓や肝臓に良いとされるものを選んで買い集める。それらは医薬品の代謝に関わる臓器であり、特に腎臓の状態は生死と寿命に関わる。
 そして、僕も先生も、胃腸が弱いから脂は受け付けない。同じものを食べる生活が苦にならないのは、本当にありがたい。
 彼の体質は……よく知らない。けれど、激務に負けない身体を維持するためにも、骨と筋肉に良さそうなものを作ってあげよう。


画像1

画像2

 先生の家に戻ると、2人はリビングで将棋をさしていた。
(この家に将棋盤なんか在ったのか……。)
対局が長引いている間に、僕は黙々と自分の仕事をした。
 良い魚が買えたから、捌いてから丁寧に骨を抜いて、下味をつけて焼いてみた。
 併行して味噌汁を作る。具材は馬鈴薯とキャベツにした。
 他にも適当な和え物を作る。
 もちろん、米は炊いている。

 昼に続いて、夕食も3人でテレビを観ながら和やかに食べることができた。
 先生は「彼が着任してから、順調に体重が増えている」と言い、僕はそれを褒め言葉として受け取った。
 岩下さんも僕の料理を気に入ってくれたようで「今後は、可能な限り この家で昼食を摂ります!」なんて言ってくれた。絶対に余るようにと多めに作ったおかずは、彼が残らず平らげた。


 先生から「君も泊まっていけばいいのに」と、お誘いがあったけれど、僕は丁重にお断りした。


次のエピソード
【15. 秘宝】
https://note.com/mokkei4486/n/n7ddc830ec43d

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?