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一目惚れは統計学で表せるのか?

ふとお風呂にはいいているときに考えた。占いは統計学を介して作り上げるものであるが、恋愛も同じことが言えるのだろうか。答えは多分間違っていて、恋愛は統計学と心理学が混ざり合って作りあがる分野だと私は考えている。ここで一つ疑問が浮かんだ。では瞬時にその場で判断を下す「一目惚れ」はどうなるのであろうか…。もし統計学であったら調べる必要性があるのと、心理学であったらその観点から心理学が使用されていると証明できるのかを考えなければならない。

とても難題だと思わないか。と思ってしまった。

私は割と恋愛に関しては様々な経験を通して深いところまで知っていると思い込んでいた。だが最近やはり恋愛は何年たっても課題として認識されるものだと改めて感じた。自身の経験ではなくても、他の人の恋愛事情を聴いていると男女はなぜ恋をし、何故つらい思いをしながら一緒にいようと思うのか。答えは「好き」だからである。私は何故この世に「好き」という言葉が出来上がってしまったのだろうと考える。「好き」という言葉を介して解決されないまま、誤魔化したままにされるケースはよくあることである。何故そうなってしまうの、好きだから。何故その選択を?好きだから。冷静に普通に考えると真っ当な考えではないということを恋愛フィルターがかかっていない人は気づくことができるであろう。この差で人生のテンションの差ができてしまうのもわからなくはない。「好き」という言葉で片づけられることに関して事件が起こることもそう珍しくはない。「好き」といったではないか。その「好き」はどの好きなのかわからない。など言い合いになるパターンは人それぞれである。

LOVE、LIKEとして表されているように「好き」は動詞であり行為である。食べるや寝るやモノを投げるものを捨てるなど、この世には沢山の動詞が溢れているが「好き」はそのなかでも抽象的ではないか。人が何かの行為をしたら他人には伝わるものである。怒るであったり泣くもわかる。「好き」とはどこまでを指してどのような感情を指すのであろうか。というか人類はよく文学で好きを表すことができるなと考えてしまった。私自身も経験したことがあるためわからなくはないが、自分が自分でなくなってしまうような感覚。その人のために生きてしまう感覚。夢中になって頭から離れない感覚。この現象を「好き」と現したのはとても凄い発見であることがわかる。

その中でも一目惚れはこの定義としてもよくわからない「好き」よりもわからない。一目で惚れる?本当なのか少しは嘘も入ってはいないか?私は一目惚れを経験したことがないのでよくわからないが身体に電流が走る感覚と友人は言っていた。なんやねんその感覚。電流走らせたことあるんか。と思ってしまった。この一通りの疑問を踏まえたうえで統計学・心理学・生物学など様々なジャンルの目線から考察したいと考えている。

でもやはり人間は必要ではないものを排除してこの世に生きているわけであるから子孫を残すことの前提として「恋愛」という少し煩わしい自身を惑わせてしまうようなものでも、必要と判断されるくらい大事なことであるということはここに記そうと思う。

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