見出し画像

零と壱のあいだのこと

G・ガルシア=マルケス「百年の孤独」の改訳版か新装本が出るというような文面を目にした気がして、そういえば、まだきちんと読んでなかったわ、と手に取って登場人物の台詞に暫し止まりました。

「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ!」

これが不自然な台詞だと止まったわけじゃなくて、推しのオレンジ色とか南米風とかを繋げてしまったわけで。
「百年の孤独」少しは関係あるのかなぁ、と思ってたから余計に。

地球は、オレンジのように、丸いっ!

オレンジの花言葉、純粋を添えて。

今年が色々まあるくおさまる暖かいオレンジの日々になりますように。

そろばんはデジタル式なんだ、という気づき

SNSから離れて3ヶ月近く。
このnoteもSNSと言えなくはないのかもしれないですが、いわゆる呟きとか写真とかのアプリからは離脱して過ごしています。

アプリから離れると、入ってくる情報量がめちゃくちゃ減ります。
なので、「世間」がわからなくなるかも?という不安が最初はあったんですが、不確実な情報で踊らされてた時間の方がもったいなかった、といまは落ち着いてます。

私の思う「世間」の動きは、Googleのトップページの流し見ぐらいでちょうど良い感じ。
大手新聞社が週刊誌の中吊りみたいな煽り題目で記事を出すようになったんだなぁとか、斜めに眺めて終わってます。

今の自分の生活に必要な情報を、取りに行く、ぐらいでネットと付き合うのが、落ち着いて自分の好奇心と向き合う時間が作れて、何か安定しています。
知らされる齎される、という受動が、私には重力がかかるというか、加速と加重されて耐えられないんですね。

こんなことを書こうとしたのは、東京エレクトロン株式会社のnanotec museumで2進数の説明を読んだからです。
(日経の株価で東京エレクトロンが出てきたからHPを見に行ってみての結果なので、これも、取りに行った情報というか。)

「意外にも、日本人が古くから使ってきたソロバンは、デジタル式の手動計算機といえるものです。」とあって、理解できませんでした。

デジタルという言葉の概念が私の中で「機械」になってしまっていたんですよね。

デジタルは機械の専売特許ではなくて、飛び飛びの値なんですね。
アナログは連続的な量です。

デジタルは端的なまとめ方をしたら、無か有かのどちらかしかない表現で、アナログは無から有への間がある表現かなと。
なので、ソロバンはデジタル式の手動計算機なんです。

デジタル式を使うアナログ式という味のある事象だし、PCもデジタル式をアナログ式が使用している事象にすぎないなぁと。

そう思っちゃったら、現実というアナログを整理するのにデジタルを利用するぐらいの感覚でないと齟齬が出るし、その齟齬が私をモヤモヤさせていたのではないかとスッキリしたんですね。
モヤモヤを全てデジタルで整理しようとしたらルールが増えて散らかってしまうけど、分布把握で俯瞰していると落ち着く感じです。

四捨五入すると一瞬スッキリするけど、後からモヤモヤする

零と壱がある時、0.5はどちらだ?
という問いに、四捨五入というルールをつけると、解答は壱になるとしましょう。
その時には、0.4は零になりますね。

四捨五入すると、0.4は無かったことになる、という、いわゆる存在の否定になります。
どちらかに整理しなくてはいけない時に、ルールがあると答えがある。

ただ、この時に0.4自身はルールに疑問が湧きます。
誰かに都合が良い答えのためのルールではないかと。
これが私が何かに抱えるモヤモヤの正体です。

そのままをそのままで見ることや受け止めずに、ルールに従って整理すると、一見スッキリするけれど、ルールから外れたものを除外した結果で、完全な解決ではありません。
外れるものを極力少なく設定するルールを探さないとモヤモヤに常に苛まれるという。

なので、他人のルールはその人に特化したもので、自分のルールとは違うと認識しておく事は、自分にとって大切なんだと思います。

ちなみに、話が飛ぶようですが、神経細胞の伝達はデジタル式らしいです。
ただ、受け手のレセプタの数と発信側の信号物質の放出量に個体差がそもそもあったり、繰り返しなどでレセプターの質が変化するという要素があります。

きっと楽しいとか嬉しいとかを多く受信すると、パッと楽しい要素を見つけられる様に変化するんじゃないか、と期待できる仕組みだなって。
よくない事ばかりを受信すると、よくない要素にすぐ気づくのも同じ原理だと思うんです。

だとしたら、私は楽しい嬉しい要素に速い反応ができる方が素敵だと考えるわけで、であれば、触れる情報はできるだけ楽しい嬉しい要素が見つけやすいものの方が良いのだろうと思います。

それって世の中の不平等とかやってられない事に目を背けている様でダメじゃないか、とも考えた事もありますが、楽しい嬉しいを集めていく過程でそこには結局行き当たります。
行き当たるけれど、そのやってられない事の素材が脆い事を見抜けるというか、やってられない事ではなかったと見え方が違ってる気がするんですね。


こんな思考実験みたいなことをしていたら、Jakeの優しい声に癒される素敵なコンテンツが!

物理が好きと話していたことのあるJakeらしい選曲と思ったのは、私が「量子力学」にどハマりしてしまっているせいかな。
シュレディンガーの猫の話のような歌詞だなぁって。(リンクはシュレディンガーの猫の良解説記事です。)

*note内でBazzi氏の歌詞を和訳してくださってる方がおられるので、歌詞内容が気になる方は記事にアクセスしてみてください。
Bazzi氏の声が綺麗で、カバーのチョイスに納得というか、わかりみ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?