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やがてまた独り

恋や愛についての一考察シリーズ❾【最終章】

どんなに円満な夫婦であっても、どんなに円満でない夫婦であっても、やがてパートナーの死を迎える時が来ます。
もちろん、シングルで暮らす選択をし充実した日々を過ごしてきた場合もあるでしょう。

つい先日父が他界し、母の様子を見ていて感じたことがあります。

「パートナーの死」は思い掛けず突然にやってきます。その究極な場面を迎え、気落ちしてしまい食事ものどを通らなくなり、やせ細って、ついには後を追うかのように亡くなってしまったという話を耳にすることがあります。

そうならないためには、どうしたら良いでしょうか?

母はアラエイティ(80歳ちょっと手前)ですが、幸いにもまだ仕事をもち、毎日出掛けていく場所があり、また仕事のやりがいも感じているようで、気落ちする間もなく忙しく働いています。勿論、哀しみと向き合う時間も必要なのでしょうけれど、哀しみの中だけで、人は生きていくことは難しいのです。ですから、やりがいのある「仕事」や「趣味」などをもつことは、ありきたりのようですが、とても大切なことらしいのです。

また、これは人によって様々だと思うのですが、母は父が死んでしまったように感じず、今も一緒にいるように感じると言うのです。
たしかに私自身も、まだ父が亡くなってしまった実感があまりもてず、なんだかひょっこり帰ってきそうな感覚をもっています。

「死」は、淋しく冷たいものだというイメージをこれまで抱いてきたわけですが、見守ってくれているような「あたたかさ」を感じていることに驚いています。

さて、残されたパートナーは家族がそばにいて、話ができる状況であればなおさら安心ですが、昨今ではなかなかそうもいきません。
電話やSNSなどで家族や仲間とつながりを持ち、毎日または、毎週のように出掛けたくなる場所をもつことが大切です。

先のことを考えるのは、まだまだ早いのでしょうけれど、日頃から、自分の生き甲斐をもちながら、経済的備えをして歩んでいけば、どんな事態に遭遇しても大丈夫なのだと言えるのでしょう。

恋愛、結婚、子育てなどを通して、様々な局面を二人で乗り越えてきた、またはパートナーに不満を抱えながらも懸命に生きてきた人生も、最後にはまた独りに戻ることも多いのでしょう。でも独りで暮らすことは、自分軸さえあれば、気軽で身軽な心地良さがあるようです。自分軸とは、「自分がどうしたいのか」「自分がどうありたいのか」という思いに沿ってありのままに生きることです。

行ったこともないような場所に出掛けたり、やったこともないような趣味を楽しんだりするのもいいですね。または、これまでの趣味に好きなだけ打ち込んでみたり、社会とのつながりをもって自分の特技を役立てたりすることも生き甲斐となっていくのでしょう。

えっ、私ですか?もしも万が一、夫に先立たれ、やがてまた独り暮らしになった際には、まず家を処分して、徒歩または公共交通機関でスーパーや銀行、区役所に行ける便利な場所に引越したいと思います。そしてですね、できるだけ長く、元気に働きたい!と思ってますよ。
(あら、ちょっと現実的過ぎました?🤭💦)


【恋や愛についての一考察シリーズ】