見出し画像

父の死に寄せて

光と闇と…

一番幼い頃の記憶は
父が親族に囲まれて涙を流している場面
「どうしたの?」と聞くと
「目の手術をしたから」と答えた父
後に聞いた情報とつなぎ合わせて考えると
私が2歳だった頃、家を出て行った父が
ほどなくして戻って来た場面
だったのだろう

次の記憶は
泣いている母が私と弟を連れて
誰かの家に寄せてもらった場面
その家で一晩過ごしたことと
その時、マーガリンが塗られたパンを
食べた記憶

頑固で癇癪持ちの父
今で言うモラハラ夫で
母とよく口論になっていた

今にして思えば
父は何か生きにくさを感じながら
もがいていたのだろうと思う

自営業だった父は
時代の流れと共に
思うような成果が得られず
苛立っていたのかもしれない

町の議員としては
地域に尽くしていた

母親のファインダーを通した
父の話(愚痴)を聞いて育った私は
父のことをずっと
好きになれなかった

でも
自分が出産したことで
私は一方的な見方をしていたのではないか
と気付いた
表現の仕方が不器用だったのかもしれない

母親になったことで
「我が子は驚くほどかわいいものなのだ」
と実感できた

私は自分が赤ちゃんの頃の写真を
母に頼んで見せてもらった

赤ちゃんだった私は
クマの耳が付いた帽子をかぶって
幸せそうに眠っていた
「きっと父にも愛されていた」
と確信できた

父親は、自分に懐かない我が子を
淋しく感じていたのかもしれなかった
そう思ったら
それまでのわだかまりが
消えていった

それから父は
おじいちゃんとしての役割を
私の予想以上に果たしてくれた
まるで父としてできなかったことを
孫に対してしているかのように

私は自分の子供の誕生によって
父との関係が改善した
でも弟はそうではなかった
自分の子供が生まれて尚
わだかまりを抱えていた

それから何年経っただろう

父が亡くなった
心臓の病気を抱えていた

弟は
「最後に喋りたかったな」と
つぶやいた
土日も忙しくなってから
なかなか実家に寄れなかったのだ
最後に喋ったのは1年前
電話で喋ったのらしい

湯灌をして
整えてもらった父は
生前によく着ていた服を
身にまとい微笑を浮かべ
まるで眠っているだけのようだった

でも
手に触れると氷のように冷たくて
父の死を実感し
後から後から涙が溢れた

弟は一人で
父親が眠りについている部屋に
入った

部屋から出て来た時には
うっすら涙を浮かべているように
見えた

「和解できた?」と私が聞くと
「和解できた」と答えた

どうやら
家族の誕生や死には
家族の問題を解消する力が
宿っている

先日、下書きのままにするつもりで日記のような書きかけの文を、予約投稿時の癖でうっかり投稿してしまいました。
スキを付けて下さった皆さん、大変申し訳ありません。下書きに戻しました。

下の写真は父が花壇に植えるように珍しく買ってきてくれた「パンジー」です。何か「予感」などあったのかもしれません???

少しずつ投稿再開していきます。
どうぞよろしくお願いします😌✨✨✨
こちらのつぶやきへのスキありがとうございました🍀お線香をあげにきて下さったかのような心持になり励ましていただきました。🍀✨✨
ありがとうございます☺️