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【企画告知】あなたの小さな幸せ3つ教えて下さい

携帯でお読みの方、拡大してお読み下さい。字が小さくてすいません。

【企画参加の仕方】
まずは、先日紹介したnoterさん達の「幸せ」についての言葉をこの記事でお読み頂き、企画の趣旨を御理解いただけたらと思います。
尚「3つ」にしぼる所に自分を振り返る良さがありますのでじっくり3つにしぼってみて下さい。
この記事をリンクして(←訂正しました)
#あなたの小さな幸せ3つ教えて下さい
というハッシュタグを付けて下さい。
御参加された記事を私の記事で御紹介し専用マガジンに登録させて頂きます。募集期間に間に合わなかった場合には、記事で紹介することはできませんが、専用マガジンに収納させて頂くことはできます。
今回は、参加して下さる方の御紹介文は省略させて頂きます。
🙏御承知ください🙏
尚、記事に気付いてない場合、この記事のコメント欄でお知らせください。

「『幸せ』について考えていたら」という記事で御紹介したnoterさん達の言葉を抜粋して御紹介します。まだ読まれていない方のために記事のリンクも貼らせて頂きます。


akiraanpoさんの考える「幸せ」とは
「当たり前って」って実は「幸せ」のこと
この短い言葉ではお伝えしきれないかと思いますので詳しくは下線をクリックしてリンクした記事をお読み下さい。(*'▽')
記事中、あの美輪明宏さんが登場する不思議なお話。何度も読みたくなるはずです。(^^)/


渡邊惺仁さん「『小さな幸せ』とは何か。【哲学入門】」
前回リンクさせて頂いた記事は美輪明宏さんつながりの記事だったもので、改めて今回の企画のために「幸せ」についての記事を書いて下さいました。
渡邊さんは「小さな幸せ」について定義を書いていらっしゃいます。
「小さな幸せ」を一言で表現するならば
「現実と期待の差」です。
現実とは主観的認知に基づく現実であり、
期待とは心の自然な動きから発する期待です。
詳しくはリンクした記事をお読み下さい。(*'▽')


terucchiteruteruさんの考える「幸せ」とは
「ストレスを感じることは自分の精神の成長のためにやってきて、それを中庸にしていくと楽しくなりますよ~。成長を実感できるのでご機嫌でいられますよ~」この成長してご機嫌な状態が「幸せ」と言えるのでしょう。
下線をクリックしてリンクした記事もお読み下さい。ヌーソロジーについて詳しく書かれています。(*'▽')


上達の探求(note編)さんの考える「幸せ」についての考え方は
「特別な幸せの回数は非常に少ないです。日常の「幸せ」の探し方の方がずっと大切になってきます。」
「幸福になり成功する人の共通点とは何か?」
ずばり共通点が記されていますので、下線をクリックして是非そちらも併せてお読みください。(*'▽')

前回の私の記事投稿に合わせこの記事の価格を、
600円➡︎260円  🌈ラッキーチャンス🌈

一時的に下げて下さっています。まだ、しばらくは大丈夫ではと思います。
上達の探求さんの考える「幸せ」を享受している人の共通点についてお知りになりたい方、この機会に記事の購入を御検討してみてはいかがでしょう?私はマガジンを購入させて頂きました。
上達の達人さんの意外な一面に出会え、あなたの人生を勇気づけてくれるはずです😊✨

有料記事中の個人情報の守秘に御配慮下さい

まず私から書いてみますね。タイトルや書き方は御自由にどうぞ(=゚ω゚)ノ

私の「小さな幸せ3つ」  松下友香

こっそり教えちゃいます!

「幸せ」について考えていたら より抜粋~
特別な幸せではなく、日常の「幸せ」について考えてみた。
実は、「生きていること」そのものが幸せなのだ。人は様々な感情を味わい成長するために生まれてくるのだと思っている。だから「喜」「怒」「哀」「楽」様々な感情を味わう先に「幸せ」がある。「哀しみ」ですら、肉体がある時にしか味わえない。
今ある幸せに気付いた人から「幸せ」を実感できるのではないかと思う。

これは埋め込まなくて大丈夫ですよー


「小さな幸せ」は日常の中にたくさん散りばめられているけれど、その中でも特にこれというものを3つ選んで御紹介させて頂きます。

わたしの「小さな幸せ3つ」
1)自分の子供が笑顔で話し掛けてくれること
2)自然の中をウォーキングをしながら写真を撮影すると「あ、これnoteに使えそう」と得した気分になること
3)自分の学級の子供たちと一緒に給食を食べること

時間がないけど応募したい方はここまでで投稿して下さってもOK

1)自分の子供が笑顔で話し掛けてくれること
 私は、結婚から8年目にようやく第一子を授かった。不育症の長い治療の末ようやく出産した時の感動は今も忘れられない。生まれたての赤ちゃんから、その小さな小さな体温が私の胸にじんわりと伝わった。とても温かくて優しかった。
 出産後1週間で退院し、自宅での赤ちゃんとの生活が始まった。まだ目はよく見えていないはずなのだが、近寄ると微笑み掛けてくれる。人間の赤ちゃんは、育ててもらわないと命を落としてしまうので「微笑む」ようにプログラミングされているようだ。この微笑みは、「この子の親である」というただ一つの理由で自分に向けられている。少し大きくなって、幼児になっても、私の顔を見るだけで「微笑んで」くれた。私は、無償の愛とは「子供から親に注がれるものでもある」と子育てを通して知った。親は、子供に対して無意識にも期待をかけてしまう。「元気に過ごせるように」「友達と仲良くできるように」「勉強が好きな子になるように」など、子供に対してどうしても「期待」をしてしまう。子供は、ただ親であるというだけで愛してくれるのに。その無垢な大きな愛に応えたい一心で、親も我が子を愛するのかもしれない。
 そして、その赤ちゃんだった第一子も今では高校2年生となった。幸いなことに、今でもその長女は私を見ると微笑んでくれる。なんと愛しい微笑みだろう。そして、冷蔵庫の前でひと言「ねえ、ママ何かちょうだい」
 高校生になった長女は、何か欲しいものがある時には微笑むとうまくいくということも学んでいる。
 子供が笑顔で話し掛けてくれたら間違いなく「幸せ」だ。それは「今」の小さな幸せを感じているとも言えるし、出産した時の感動した記憶にも直結してつながっていたりもするから二重に「幸せ」なのだろう。

2)自然の中をウォーキングをしながら写真を撮影すると「あ、これnoteに使えそう」と得した気分になること
 私は小学生の時に朝ジョギングを始めた。大学時代も続け、結婚式当日の朝まで走ることを習慣としていた。結婚してからは、朝は朝食の準備など自分のために使う時間はなくなってしまいそれっきり走ることはなかった。仕事で、宿泊訓練の山登りなどがあっても、昔、貯筋した体力だけを使っていればしばらくは平気だった。
 だが、気付いてしまったのだ。40代後半となった私は、20代や30代の時のように何の準備もしないで山登りをするのは無理があると。そこで、40代後半から週末ウォーキングを始めた。山登りの日が近づいてくると裏山ウォーキングにバージョンアップして体力作りに励んだりしている。無理のない週末ウォーキングと少しの筋トレを続けている。腹筋を少し鍛えるだけで音楽の時に、自分の歌声に輪郭ができて、よく響くようになる。
 自然の中でウォーキングをするだけでも、「心地良く」「体力もつき」「歌声も鍛えることができる」という良いことづくめなのだが、美しい花や空の写真まで撮影すると、帰ってからnoteの記事を書けることもある。そういうわけで「自然の中をウォーキングをしながら写真を撮影すると『あ、これnoteに使えそう』と得した気分になること」はちょっぴりお得に「幸せ」なのだ。

3)自分の学級の子供たちと一緒に給食を食べること
 実は教室で給食を食べることは、だた単に「お腹を満たす」のではない。給食の配膳の際に「静かに」「順番を守って」などにマナーや約束を守る場面でもあるが、それだけでもない。
 給食を配膳した後に、子供たちは「自分の食べる量を考えて」量を増やしたり、減らしたり調節することにしている。自分で食べる量を考えることで「残さず食べよう」という意識が芽生えて残食を減らすことにつながる。最近は昔みたいに「食べなさい」という指導をすることはない。でも、食べ残しはもったいないので、それぞれに合った量で食べきるといった仕組みを考えている。少なく食べる子もいれば、たくさん食べる子もいてちょうどよくなるという感じだ。(私の所にはいつも給食がモリモリに盛られていて、時々ちょっとキツいなと思っている。)
 また、私の学校では給食委員会の活動として「完食」した食缶の数だけ、各クラスにパステルカラーのステッカーを貼ったり、全ての食缶を完食したクラスには折り紙で作ったマカロンをプレゼントし掲示したりして「がんばり」を「見える化」している。こんなふうに学校全体で子供主体の取り組みとして「残食を減らす」ことにチャレンジすると、子供たちは、「今日は御飯を全部食べよう」「今日はお肉と御飯とスープも食べよう」とか「今日の給食は全部食べれそう。マカロン狙おう」などと相談をするようになる。そして目標通りに給食を食べることができるとそれだけで「達成感」を感じることができる。先日、会ったお母さんは「うちの子は好き嫌いがあって食も細いのに『一番早く食べ終わったからデザートのお代わりがもらえた』ってすっごく喜んでました。不思議です」と嬉しそうだった。「給食」の時間に「特別活動」的に「クラスで話し合ったり」「協力したり」「励まし合ったり」「目標を達成したり」することができる。まさに「おいしい時間」なのだ。
 そんなわけで、自分の学級の子供たちと一緒に給食を食べると、子供たちの成長する姿を見ることができて「嬉しい=幸せ」ということなのだ。

 最後まで読んで下さってありがとうございます。「家族のこと」「自分のこと」「仕事のこと」から一つずつ選んでみました。書き終えてみると「小さい」かな?と自問自答中ですが、このまま投稿しちゃいますね💦
 「小さな幸せ」の理由を考えてみたら、その幸せは「小さくない」ような気がしてきました。あなたは?

皆さんの「小さな幸せ」って何ですか?ぜひ、教えて下さい。(^^)/