北の伏魔殿 ケースⅠ-番外編2

○職員の能力の差異が、政策実行に大きな影響をもたらす


 財政が厳しく課のシーリングがかかっている中で、彼の担当業務がシーリング枠を守れなかったため、私の担当業務で2年続けてそれをかぶることになった。
 そのため、事業の一部を廃止せざるを得なくなり、関係機関、これまで事業に協力いただいた方々に経緯を説明、納得していただいて彼が守れなかったシーリング枠を確保した。その結果、私の業務の予算額は2年続けて、減額となり、私自身のシーリング枠もきつくなってきた。
 しかし、彼はそのことに関して一度も感謝の言葉もなく、相変わらず自分勝手な仕事の進め方をし、私のことを高卒と馬鹿にしていた。

 北海道庁では知事が予算枠を確保するため、事業の廃止と新規立案をセットにした予算要求の仕組みづくりをしたが、枠は全庁で1,000万円程度だったとの新聞記事がでていた。
 確かに、私の県でも同様だが、事業廃止に当たって、合理的な説明がつかなければ、利害関係者や議会からとがめられるし、廃止した事業に替わる新規事業も組み立て、予算要求もしなければならない。それほどの手間暇をかけてまで、好き好んでやろうという職員は多くないし、N主査のようにそもそもそういう事を実行する能力もない。

 3年目も、それまでになんら事業の見直しもせず、人に頼ろうとするので「私の地域の施策拡充をしようとするのになぜあなたの事業のために事業縮小しなければならないのか。もうシーリングはできない」と言うと半分泣き面で「協力してくれないのか」と言う。「自分でやればいいんじゃないか」と返答すると「どうすればいいんだ」と言うので「新規事業を組み立てるとか方法はあるだろう」と言うと「なんだ、そんなことか」と言う。そんなことさえも考え付きもしないから人頼みなのではないのか?

 世界経済の動向の進展により、課内の政策目標を私が担当している地域に変更するため彼が担当している「振興方策」の見直しを図ることが必要となってきた。私は、シーリングの影響を軽減することもあり、すでに自分の担当地域と県の関係事業者の課題解決を図る新たな政策立案を進めていた。
 その中で、人口減少が進んでいる県の状況を鑑みて、人口減少対策に国が取り組み始めたり、知事公約になる10年以上前であったが、貿易振興が必要な理由として、人口減少により国内需要が減るので、海外への販路拡大が重要と明記していた。
 ところがN主査は、人口減少になっても需要は減少しないと主張する。
 どこから、そういう発想になるのか、理解できず「人口100人と1,000人の村で物が売れるのはどっちだ」と言ってもうちの中学生の子供でも理解できることが理解できない、しようとしない。
 
 振興方策策定に当たって、「地域別の部分は、各係に記載を担当させ、あなたは、地域間の調整と総合的な振興方策を策定すべき」というと「一人でやると1か月で終わるが3人でやると3か月かかる」となぜか割り算ではなく足し算で答えるという意味不明な発言をする。行政マンとして、常識的な知識が共有されていなければ、仕事は一切進まない。

 彼が作成した振興方策を読むとポイントがずれており、論理的でもないのでH補佐には、「これではだめだ」とダメ押しをしておいた。しかも、私の担当地域がメインのはずなのに、私一人が休暇の最中に何の連絡もなく(意図的であるのだが)部長、次長、局長に説明し、私が言った通りダメ出しを食らった。
 指摘されたのは、数字データがない、以前と現状がどう変わったのかの記載がない、地域間の整合性がないの3点であるが、要は資料として使い物にならないと断定されたということである。
 本人は、自信を持っていたらしいが、この一件で自分の能力にようやく気づいたのか意気消沈して、振興方策の策定が進まなくなった。

 しかし、私の担当地域がメインだったので、私が担当していると思った局長からは、振興方策には「数字データもな」と言われる始末だった。
 H補佐には、「私は数字データも作っている。彼の資料ではだめだとも言ったはず」と抗議したが、H補佐自身も医療関係の技師からの転職で事務能力があるわけでもなく、N主査が上級職であるというだけで、内容精査せずにまかせてしまったことが原因だった。しかし、それを承認したのは、H補佐自身自身であり、まともな部下がいないと自分の評価が下がるだけの結果になってしまう。
 N主査には、説明会の報告書と指摘部分を修正した振興方策を策定するよう求めたが結局なにもしなかった。

 予算要求を迎えた私は、方策の見直しなしに新規事業を組み立て、要求し通った。その場に同席したN主査は、私が内部で検討していた海外事務所の設立に関し、財政課の担当者に「海外事務所を設置しますから」と自分の業務でもなく、事務所設置が部内でオーソライズされたわけでもないことを口にした。 
 本来であれば、3役の説明会の席で概要を説明するところだったのに、彼の計画が頓挫したことで流れた結果であり、部内で決定された事項でもないことを他部に公に言うことがどういうことかも理解できていない。
 同席していた部の総務課の予算担当者も寝耳に水で驚いたことだろう。
 これにはさすがに私も怒って「だれが事務所を設置すると言っているのか」と一喝した。

 本人は、上級職というプライドがあるのかもしれないが、うちの県では、上級職なら本庁課長職以上につくのが普通であるが、その後、課長補佐にはなれたものの、それ以上にならなかったのは、人事課も人は見ているからだろう。
 彼の後任からは、「どうして振興方策を策定しなかったのか」と問われたので、経過は充分説明した。結局、この職員のおかげで、私が担当していた地域への本格的な戦略の取り組みが2~3年遅れてしまった。そしてそれは、県の政策実行の機会を遅らせ、引いては、県内関係事業者のビジネスチャンスを他県との競合により、減少させる結果を招いた。


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