私はまだ、結婚というものと向き合えない|パンセクシュアルとイエと”結婚”


「でも結婚は期待していいんだよね?」

私がパンセクシュアル(全性愛者)であることを告げたときに母から言われたセリフだ。結婚は、母にとって「期待」したいほどのことのものだということが、その時に改めてわかった。


「結婚は、したいと思ってる?」

パンセクシュアルであることについて人前で話すときと、20代半ばを過ぎてから、この質問を受けることが多くなった。
今はまだ、私はこの問いに対してしっくりする答えを持てていない。

2019年現在の私の回答は「したいと思うけど、相手次第かな」だ。

「相手次第かな」というのは、気持ちの面でも、法制度的にも言えることだ。現状の日本の法制度では、同性同士の婚姻は認められないことになっている。同性というのは、日本の戸籍制度上で「男性」と記録されている人間は男性と、「女性」と記録されている人間は女性と、を指す。


タイトルに書いた、「私はまだ、結婚というものと向き合えない」の理由は大きくふたつある。
ひとつは、自身のセクシュアリティが結婚について直視することを拒否しているから、
もうひとつは、結婚の周りのしがらみが多すぎるから、だ。

今の私にはわからないことがたくさんある。
今後、結婚したいと思う人間と出会えるのか
その人は私と結婚したいと思うのか
その人と私は制度上「結婚」ができるのか
わからないことばかりで、「結婚」を考えると気が遠くなる。

そしてそれとは別に、「結婚」の外側には前述した親の期待やら社会からの承認やら付随する社会保障やらが山ほどある。私の後ろには「血縁」やら「イエ」やらが割と根深くあって、仮に結婚をしたとしてもついてくるしがらみが多すぎることが幼少期からわかっている。

今後、年を重ねれば重ねるほど、必要な社会保障は増え、その時パートナーがいれば「結婚」というパッケージを選びたくなるということは容易に想像できるが、今はまだ現実味を持って考えることはできないし、したくない。

本当に、私にとって結婚はしがらみだらけのテーマである。
今もこれを打ちながら胃のあたりの重たさを感じている。


20代女性として生きる私は悩んでいる。
たぶん、平均的な20代中盤を迎えた「女子」らしく、
「結婚」をした方がいいのか
「結婚」を見据えた相手を探さねばならないのか
「結婚」しなければ「幸せ」になれないのか、と悩んでいる

パンセクシュアルでもある私は悩んでいる。
「結婚」をしたいのか
「結婚」できるパートナーはできるのか
「結婚」を男性戸籍でない人間としたいと思ったときにそれがどれほどの障害を伴うものなのか、悩んでいる


幼いころから「結婚」と「孫」を期待する言葉は私の周囲の大人の口から発せられていた。責任感が強く、真面目な私は、その期待に無意識に応えねば、と思っていた。
自身のセクシュアリティを自覚して初めて、それらが根深いしがらみとなって自分に染み付いていたことに気づいた。そういった大人の発言の罪深さを知ったのは20を過ぎてからだった。

18の頃、戸籍上同性を好きになった。
当時は女子高を卒業したばかりで、共学の大学に進学をしたら男を好きになれるかもしれないと、ヘテロセクシュアルになれると期待していた自分がいたから、ショックだった。
そのころは、なかなか異性を好きになることができないことが悩みでもあった。
異性を見るとき、いつも親の目線やイエの目線がちらついて、結婚を考えているわけでもないのに「この人は私のイエとマッチするか」という観点で相手を見てしまっている自分に気が付いた。
それも、ショックだった。



パンセクシュアルであると勇気を出して伝えても、「(異性と)結婚できるからいいじゃん」といわれることがよくある。
現状の社会では、異性とは結婚ができ、同性とはできない。であれば、異性と結婚したらいいじゃないか、と当たり前のように言われる。

だが、私にとっては異性との結婚、も、同性との結婚、のどちらもハッピーにイメージできるものではない。

異性との結婚に付きまとうさまざまなしがらみも、
同性との結婚に付きまとう社会の障害も、
どちらと結婚をしても付きまとう、しがらみも、あるのだと知っているから、正直いまは避けたい話題でしかない。

だが私は、いつか幸せに結婚について自分の本当の感情を語ることができるようになっていたいと思っている。

少なくとも、社会の側が私にパートナーの性別を選ばせるようなことはなくなってほしい。
男性と結婚すればスムーズに受けられる制度や祝福がたくさんあり、
それ以外と結婚すれば立ち向かわなければならない壁や偏見の目がある状態は、私にとって「自由な選択」ができる環境とはいえないだろう。

相手の性別にかかわらず、
私自身が、結婚したいか、したくないか、をフラットに選択できる状態にしてくれることを切に願う。


先月から、婚姻の平等を望む集団訴訟に向けた動きが始まった。まさか私が生きているうちに社会がこんなに変わっていくとは、10代の頃は思っていなかった。
当然ながら、「婚姻の平等」に私は賛成しているし、誰かが賛成反対をする以前に基本的人権の問題だとも思っている。

私は、今後も結婚という制度にお世話になることはないかもしれない。
選ばない、かもしれないし、選べない、かもしれない。
しかし、いつの時代でもどんな状態でも、その選択権は私にあるべきだということを私は知っている。
もう少し、社会の側のしがらみが減ってくれたら、
もう少し、私は自分の「結婚」というテーマと向き合えるのかもしれない。

今はまだ目を背けることが多い結婚というワードだが、
一刻もはやくこの社会にいきる「結婚をしたくてもできないカップル」には結婚の機会と権利が与えられることを願っている。

相変わらずとっ散らかった文章しかかけないなあ。

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