肉と沼津と食文化①

※まだ沼津の話は1文字も出ません・・・
導入として当時の肉の扱いについて書いておきます・・・

明治時代初期、日本の食文化において、肉食はまだ馴染みのないものでした。安政3年(1586)7月から安政6年(1589)5月まで、静岡県下田市の領事館に着任してし、日米修好通商条約に尽力したタウンゼント・ハリスの日記には、その当時の様子が記録されていました。

日記によると、ハリスは日本人は獣肉を食べないという認識を持っており、自分の馬の屠殺を引き受けてもらうことに苦労する場面がありました。近世以前の日本人は肉食を穢れたものとしてとらえており、屠殺も進まない様子がうかがえます。

一方で、日本側の資料である「幕末外國關係文書」によると、牛乳を所望したハリスに対して幕府の役人が、日本人は牛乳を食用にしないし、牛は農民が耕作や運搬に用いるためハリスに渡すことはできないと拒絶しています。牛は耕作道具として扱い、食用とは見ていなかったようです。今で言うところのトラクターみたいなものでしょうか。

この肉食を嫌っていた状態から、明治時代に入り、明治政府が肉食解禁政策を推進しました。

宮内庁編の『明治天皇紀』によると、明治4年(1871)12月17日の「獣肉の共進」の項では、肉食は僧侶の戒であり、宮中では獣肉を用いていなかったが、以降は牛羊の肉は普段から共進し、豚・鹿・猪・兎の肉は時々少量を御前に上げると書かれています。


さらに明治5年(1872)1月24日には、宮中にて大臣や参議を招き、明治天皇が肉食の解禁を宣言し肉を実際に食したようです。当時の新聞『新聞雑誌』の記事では、「我朝ニテハ、中古以来肉食ヲ禁セラレシニ、恐多クモ天皇無謂儀ニ思召シ、自今肉食ヲ遊バサルル旨、宮内ニテ御定メ之アリタリト云」と書かれています。


この明治天皇による肉食解禁政策こそが、日本での肉食が始まりであり、明治政府や天皇による肉食の伝達という面が強調されています。

なお、明治天皇の回顧談によると、肉食は外国人との交際のために必要であるから解禁を行ったとしています。そのため、穢れた肉と言う思想を打破するために、政府と知識人が積極的に肉食奨励を実施しました。

さらに、牛肉に関して明治政府は、欧米の肉料理を滋養のある進歩的なものとして捉えたため、国民の健康状態を良好にするため、牛肉を食べることを盛んにアピールしました。
当時の日本人の栄養バランスは悪く、疾病予防、健康増進のために西洋から入った栄養学の知識を導入して、日本の肉食は国家主導で始まったようです。


参考文献一覧
①坂田精一訳『ハリス日本滞在記』中(岩波文庫、1954年)
②岡田哲『明治洋食事始―とんかつの誕生―』(講談社、2012年)
③カタジーナ・チフェトルカ「近代日本の食文化における「西洋」の受容」(『日本調理科学会誌』第28巻第1号、日本調理科学会、1995年)
④橋本直樹『日本食の伝統文化とは何か』(雄山閣出版、2013年)

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