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ゲンコツらじお #188 ひとりロケ 鳥越神社&横網町公園編

1年以上ぶりのひとりロケ
御朱印部活動の前に予行演習という名のフライングで下町散策!
前回の反省を踏まえてレポート重視?
まずは鳥越神社へ
続いて隅田川を渡り横網町公園へ
関東大震災100年目の今年
東京都慰霊堂・講堂内で見たものは?
いつもどおりにゆる~く、ちょっぴりまじめにおしゃべりします!
※2023年2月5日の録音 屋外ロケのためお聞き苦しいところがございますがご勘弁ください
(フクダクニヒロ)

「今日は実はひとりでして、天気がよかったので外に出てきたんですが、1月に下谷七福神巡りに出かけまして、なかなかよかったということで、台東区の神社を全部巡ろうという企画があがりまして、その前になんとなく下見がてら出てきたような感じです」

「歩いて来た先が鳥越神社。鳥越神社といえばお祭りが有名で、千貫神輿というあの大きなお神輿も担がせてもらってたんですが、2020年以降はちょっとご無沙汰ということで」

「鳥居のところに来ているんですが、大きな銀杏の木が立ってます。落ち葉の季節にはここが黄色い絨毯になるんですね。鳥居の下に小さな橋がありまして、白鳥橋という名前が書いてあります。そして思い浮かぶのは、鳥越祭の土曜日の夜ですね、連合の町会神輿の宮入りで、いつもこの白鳥橋を渡る時に、担ぎ棒の前と後ろの部分と神輿の中あたりを担いでいる人との段差(高さの差)が橋の(アーチの)せいでできるんですね。橋といっても1メートルちょっとくらいしかない橋ですから、中あたりを担いでる人はちょっと屈まないといけなくなるんですね」

「そして大鳥居の裏側には昭和7年5月吉日封建と書いてありまして、もうひとつの柱には「を組」と書いてあります。鳥居の右手側に「鳥越神社」と石に刻まれているんです(社標)が、文部大臣「鳩山一郎書」とあります」
※のちの内閣総理大臣鳩山一郎は1931(昭和6)年 犬養毅内閣、1932(昭和7)年 斎藤実内閣の文部大臣になっているようです。社標は昭和7年の鳥居封建当時のものでしょうか。

鳥越神社境内 東側に福寿神社
隠れて見えにくいが、福寿神社傍に土地区割整理測量基本標がある
鳥越神社境内 西側に志志岐神社
蔵前橋に大童山のレリーフ 向こうに国技館

鳥越神社を出て蔵前橋通りを東へ向かい、隅田川を渡って墨田区は都立横網町公園へ

「横網町公園に着きました。北門から入ります。(門を入って)すぐ右のところで梅の花が咲いているので、撮影している女性がいますね。梅の花に蜂が随分ととまってます。蜜を求めて来るんでしょうかね」

梅の花に蜂 春はすぐそこ?

「横網町公園復興記念館 震災記念屋外ギャラリー。震災というのはもちろん、大正12年(1923年)9月1日にあった関東大震災のことです。鉄柱の溶けた塊のあとです。大日本麦酒株式会社吾妻橋工場の猛火により溶解し塊となったもの…そういったものが屋外に展示されています」

「慰霊堂の由来書いてあります。大正12年の関東大震災の後に、東京市内で災害の最も悲惨であったこの被服廠跡に、避難者の遺骨を納める霊堂として建てられ「震災記念堂」と名付けられました。とあります。納骨数が書いてあります。震災が5万8千体、戦災が10万5千体、合わせると16万人以上のご遺骨が納められているということです」

「今、慰霊堂の前に来ていますが、2023年は関東大震災から100年ということで、大きく掲示がされています」

「建物(慰霊堂講堂)の中に入りますと厳かな雰囲気で、奥(の祭壇)にろうそくが立っていますけれども、お線香の匂い漂っています。立派な御位牌が手前に4つ立っています。正面に大きな御位牌がふたつ見えます」
※右側に関東大震災、左側に都内戦災死亡者の霊をそれぞれ合祀した位牌が祀られています

慰霊堂講堂内には、向かって右側に洋画家・徳永柳州が震災の状況を描いた絵画、左側に空襲後の写真を展示されています

旋風 絵画の説明
「第一震によって百三十ヶ所から発した火災は延焼して隅田川の近くに集り大旋風を各所に生じ人も家も品物も火災と共に天高く巻上げては火の中に叩き落した。この旋風によってまだ焼けておらぬ家の屋根を吹き飛ばし石塀など打倒し喬木はたち切られ屋根の鉄板などは紙片の様に舞いあがった」

「被服廠跡の絵ですが、おびただしい数の遺骨の山に手を合わせているお坊さんの姿が描かれています」

被服廠跡 絵画の説明
「この慰霊堂の敷地附近は元陸軍被服廠であって空地となっていたので絶好の避難処となり各方面から集った為立錐の余地もなかった。午後三時頃延煙
してきた猛火はここを襲い火に包まれ煙に巻かれ一瞬にして三万八千の人々が悲惨な犠牲となった。遺体は十数日かかって露天火葬し焼骨は山と積上げてあったので合掌するより言葉はなかった」

「東京に住んで30年以上経ちますし、そして墨田区のとなりの台東区に住んで25年が経ちますけれど、なぜかこの慰霊堂の存在は知っておきながら、中に立ち入ったことはなくて、今日初めてこの中に入りました。震災と空襲でこのあたりは多くの方が亡くなられたということで、こうやってあらためてこの地を訪れて、今安全安心に暮らすことや、平和に暮らせることの再確認、そして祈願をするということも大事なんじゃないかなと思います」

こちらの様子は「ゲンコツらじお」の配信をお聴きください。

鳥越神社 twitter

鳥越神社 - 東京都神社庁

横網町公園 - 公益財団法人 東京都慰霊協会


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