大工、結局は大工?
会社を退社して実家の工務店に戻ったあとの数年間、僕は産廃営業や内装解体の仕事で得た知識や経験、それに人脈を生かして、工務店の経営を立て直すことに精を出しました。
だけどね、かなり早い段階から父も母もよく思ってなかったのよ。色々ダメ出ししたからね、あたし。
そして、責任感を持ってもらうためにと、不起訴処分で戻ってきた兄を工務店の代表にすることに決めて、日々奔走・・・してたのも、これまた鼻についたみたいなのよ。色々ダメ出ししたからね、あたし。
そこで、中々うまくいかない家族と僕の関係について、会社の先輩から生涯の先輩となったYさんに相談すると、っていつもいつも相談してすいません。
「おまえは工務店の外に出て、一歩離れた場所からお父ちゃんとお兄ちゃんをサポートするような立場になった方がいい」
と、力強いアドバイスを受けました。妻もこれには大賛成。う~む、なるほど~。
でも、半人前で大八と揶揄される僕が大工の一人親方になって、仕事を切らさずに食べていけるのかな~、と不安が。貯金もそんなにないしな~。
ちなみにここ、なんで大工前提なんだよって話ですよね。大工が嫌なら別の仕事に就職すればいいじゃないか、と。
はい、ごもっともだと思います。ま~そ~だよね。だけど、この時僕は既に37歳、この年齢から新しく別の業界に入るったって、現況の生活を維持できるのかが不安。
それに、またイチから新入社員ってのは正直しんどいですし、勇気もかなり必要。じゃあY先輩たちのいる産廃会社に戻るかっていうと、それはそれで迷惑をかけるだろうな、と思いました。
だから、最初は大工をライフラインにして、仕事の幅を徐々に広げていけばいいや、くらいに考えていたんです。
ていうか、今もその気持ちは変わってない。一生大工でいるつもりはやっぱりない。そうでなければ、こういう文章も書いていないと思います。
んで、独立して不安定になる前にマイホームを鬼ローンで購入。すると、独立後一年を過ぎた頃、妻の努力が実って奇跡的に子供を授かり、どうにかこうにか今日まで大工一本で食べ続けている、というわけなんです。ありがとうございます。
は~・・・長かった過去編も今回で終了。まあ、こんな風にして大工になりたくなかった意識低い系の大工が誕生した、ということが理解していただければうれしいです。
え? どっから過去編だったの? というと実は『大工、OYAKATAと呼べ!』からでした。もう一度そこから読み返していただけるとこれまた、最高にうれしいです。
読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。みなさんの存在をわずかではありますが、感じているので続けることができています。
これからもこの『大八ですけど喰えてます。』は続けていくので、引き続きよろしくお願いします!
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