バラと錠剤(10/15)〜アメリカ人との交際の物語

ホイットニーはソフトボールで二塁手を、タクは三塁手を務めた経験がある。二人で西武ライオンズとソフトバンクのプレーオフの試合を見に 行った。松坂投手から松中選手がホームランを放ちソフトバンクホークスが勝利した。WBC の影響でホイットニーも松坂投手はしっていた。 デイゲームだったので昼下がりのような明るさを保っていた。彼女の最寄り駅周辺で祭りが催されている。帰りついでに祭りによった。駅の西 口を出ると、人でごった返していた。空が夕日に染まっている。商店街を抜けると、普段は車でごった返している道路の両脇に屋台が立ち並 び歩道も道路も人ばかり。
インド人の屋台でサモサを買い、人のまばらな高層住宅ビルの下のレンガで腰を下ろした。

「アメリカに帰ったら、大学に戻って勉強しなおすつもりよ。私、先生に向いてるようだし、今の仕事は楽しいのよ。でも、この楽しさに埋もれて いちゃ駄目だと思うの。このままじゃ国に帰っても、まともな職につけやしないもの」

2 年ほどキャシーと同じ英会話スクールの先生をした後、英語がカリキュラムに組み込まれている幼稚園で働いていた。 英語圏に生まれ育つだけで自然と身につく技術を駆使した英語教師の初任給は高い。職能技術が習得できない職場で長期的に働くのは、 ハイリスクでもある。キャリアアップという損失機会を鑑みると妥当な給料なのかもしれない。
ビジネスレベルまで日本語を習得するには動機が足りなかった。習得できない以上、日本で英語教師以外のキャリアチェンジは難しかっ た。本格的なキャリア構築の為に自国に帰えるのは真っ当な判断だった。ホニットニーが猫に憧れる理由も、こんなところに隠されているの かもしれない。

「あなたは、どうするつもり?」

「来年には仕事を探さないとな。本当はアメリカの名門大学の院に行きたいんだけど、お金がないから就職しないと。自分で稼いで自分の力 でいくさ。いつのまにか金持ちになるって根拠のない自信があるんだ。特にお金持ちに憧れてるわけじゃないんだけど。大学のネームバリュ ーもあるし、英語も話せるし、なんとかなるさ」

「私のパパもだけど、あなたも elitist(エリート主義)よね。男ならそれくらい気概がある方が素敵だわ」

少し間を置きた。

「あなたは気の抜き方を心得てる人よ。あなたの一番の魅力は、平凡さの中に幸せを見いだせることだと思うわ。あなたの子供は幸せになる でしょうね。とても家族を大切にする人だと思う。仕事ばかりはしていられない質だと思うわ」

ニックに惚れ慕った源流は、ホイットニーもタクも同じかもしれない。タクにとって人生を嗜む先輩はニックで、彼に追い付き追い越したかっ た。嗜むだけでなく、多面的にスケールが規格外のキャシーやショーンは、当時のタクには雲の上の存在だった。

ブルブル、ブルブル

ハンドバックに右手を突っ込んだホイットニーは、携帯電話を取り出す。液晶画面にはオーストラリア人ナンシーの名前。フィリピン系の母と オーストラリアの白人系の父をもつ、巨漢の女性だ。痩せたら美女だろう。タクの留学先でもある大学で料理を学んでいた。クリスマスには、 みんなにターキーを焼いてくれたこともある。

「もしもし」

「うん。うん。いまタクと祭りにいるの。私の家のすぐそばよ。誕生日なの?おめでとう!」

「え?うん...うん...」

急降下で会話の勢いを失う。

「誰が行くの?」

「誕生日を一緒に祝いたいのはやまやまなんだけど、明日仕事だし...少し時間をちょうだい。決まったらメールするわね」

人工的な笑みを合図に電話を切った。

「ナンシーさん、誕生日なんだ。何ていってたの?」

「渋谷のクラブで、E パーティーしたいんですって」

「ふーん。誰と?」

「ジョンよ。ケントとキャシーは電話しても出なかったって」

E あるところにジョンあり、...そう思うとタクの左唇がうわずった。

「そっか。俺は E したいとも思わないし、クラブも面白いと思ったことがないから、行かないけど。行くの?」

「保守的で固い人...かもしれないけど、私、彼女たちみたいになれないわ。ナンシーには悪いけど、私もパスね」

「そっか」

うつろな目をしている。訴えかけるような眼差しでタクをみた。

「私ってそんなに保守的(Conservative)かしら?」
「俺は E なんてもん、好きになれないけど、自分自身のこと保守的だなんて思わないよ。むしろ、ある意味、柔軟だと思ってる」

彼女は軽く息を吐いた。顔の筋肉がほぐれ、緩んだ表情。 その表情を眺めながら、そこは「抜け出さなくていい領域、破らなくていい殻」と直覚していたタク。なんだかなぁと心で呟き、虚脱感に沈み深 く息を吐いた。

ホイットニーと共にした 2 度目のキャンプ。タクはまだ遠距離恋愛で、ホイットニーはニックと付き合っていた頃だ。異常なアイディアだが、正 月にもキャンプの企画をしていた彼らには年中行事で、11 月に例の場所で恒例のキャンプに行った。7、8 人は参加した。 キャンプは彼らの専売特許。ついていけば、何とかなるでしょ、そう思っていた、いつも通りのタク。夏の間ならいざ知らず、あろうことか寝袋 を忘れた。11 月の山の闇はタクを寝かせてくれなかった。寒さで一睡もできなかった。 テントを共にしていたキャシーは、震え上がっているタクに気づいていた。対称的に、同じテントにいたキャシーの彼氏は全く気づいていなか った。ナルスティックな、子供っぽい彼が気づくとも思わなかった。一緒によく遊ぶ外国人グループの中で、タクは彼にはどこか違和感を覚え ていた。ネイティブスピーカーのように流暢な英語を話せないタクと会話をするには忍耐が持たなかったのだろう。それでも、活気があり周り の人を巻き込んで一緒にテンションを上げていくパーティー向きの彼の性格は魅力的だった。キャシーは 9 年彼と共にしたが、3 年続いた彼 の日本人スタッフとの 3 股が暴かれると別れた。キャシーに恋心を抱いていたイギリス人ザックは、破局を知るや否や、同棲していた彼女と 別れ、キャシーに猛アタックした。程なくして二人は付き合いだした。タクにはザックの気持ちが分からないでもなかった。ザックは 180 センチ 半ば、キャシーは 170 センチ半ばで、二人とも骨格はがっしりしていた。ホイットニーが寝静まっている午前 2 時半、タクが居間で映画を見て いると、キャシーは少年たちが遮二無二、泥遊びをした時のような姿で帰ってきた。畑でザックと青姦をしてみたらこうなったとタクに語った。
テントの中でキャシーがタクの震えている姿に気づいた時は、敢えて声をかけなかった。キャシーにとってあり得ないタクの行動に、恥をかく かもしれないと忖度し、ほっといたのだろう。 淡い光をテント越しに感じた。今か今かと、日の出を待ち浴びていたタクは、テントを忍び出る。6AM 前だった。朧げに川のほとりに植えてあ る 1 本の木の回りを歩きだす。木を軸にして下を見ながら、円を描きながらひたすら歩いた。端から見れば精神が崩壊した人か、ゾンビだろ う。新陳代謝が活性化され、止まっているより幾分ましだった。かれこれ 2 時間以上回り続けた。8AM を過ぎ、ちらほらテントから出てきた。 キャシーも出てきた。呆れているとも、怒っているともとれる、心配そうな面持ちで、

「言ってくれれば、一緒に寝袋に入ったのに」

と嘆いていた。悲しそうにも見えた。

「お前も実は日本人なんだな」

意味深長な面持ちでジョンは言った。 寝る直前まで、の頭の中で反芻されていた英文。

「 I’ve forgotten a sleeping bag.」

結局は最後まで助けを求められずにいた。そして、みんなが寝静まると、できることなら誰にも気づかれたくなかった。寒いのは俺で、迷惑は 掛けないはずだと、タクは己に言い聞かせた。寒さと妙な不安に取り憑かれていた。

「なんで言わなかったんだ?」

と指摘されたら、タクはまともな台詞を返せないので閉口していただろう。論理的に意見を表明する行為と、感情を露わにする行為が、正の 相関関係にあるとは限らない。終戦後処理の日本の扱い方に多大な影響を及ぼしたと評されるルースベネディクト著の「菊と刀」で、西欧は 罪の文化、日本は恥の文化とカテゴライズされている。ジョンの図星である。聞かぬが恥の定理を敷衍させると、タクにとって抜け出したい呪 縛であり、破りたい殻だった。
6PM を回り特急列車レットアローに乗り西武秩父駅を発った。反転させた椅子の真向かいにホイットニーが座っていた。彼女は指圧など、東 洋のマッサージに興味を抱いていた。シャワーも浴びず、泥の付着したタクの足を拾い上げた。足の裏を揉みだした。

「汚いよ」

「どうせお互い何処もかしこも汚いからいいでしょ」

睡眠不足で動きまわった後のマッサージは格別だった。

「あなたよりも英語のできる人には、会ってきた。それでも、あなたのように、私たちと違和感なく馴染んでる日本人は初めて」

ホイットニーには、寝袋ど忘れ事件を知られていないのだろうか。それとも、知った上で、あえていってるのか。疑念を抱きつつも、疲労とマッ サージと相まって気分が良くなり、タクの意識が遠のいていった。

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