自分の感情の裏には誰かの感情がある
自分の安心の裏には、誰かの恐怖がある。
自分の楽しさの裏には、誰かの辛さがある。
自分の喜びの裏には、誰かの悲しみがある。
そんなことを思えば思うほど、自分が楽しく生きていることがなんだか良くないようなことな気もしてきて、どうしたらいいんだろう?と立ち止まってしまうこともある。
でもそれはそれでやっぱり良くないことなのだろう。
裏にあるものを想像することをやさしさと呼ぶなら、そのやさしさで行動が止まってしまい、自分を苦しめてしまうものであってはいけない。
やさしさは、自分にとっても相手にとってもやさしさである必要がきっとあるだろうから。
誰かの安心の裏には、自分の恐怖がある。
誰かの楽しさの裏には、自分の辛さがある。
誰かの喜びの裏には、自分の悲しみがある。
そんな時だってあるだろう。
それを自分だけがどうしてこんなに辛いんだ、苦しいんだ、不幸なんだと嘆いてはいけないのだろう。
それはそれで自分を苦しめているし、他者のことが想像できていない。
自分にしか向いていないやさしさは、本当のやさしさではきっとないだろうから。
他者の存在によって、自分は安心したり、楽しんだり、喜んだり、怖がったり、辛くなったり、悲しんだりしている。
自分だけの感情ではきっとない。
「誰かの存在があるからこそ」
そう思えると、どんな感情もありがたく思える。愛おしく思える。
愛おしい。
自分の愛おしいの裏は、誰かの愛おしいだったらいいな。
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