言葉とのこと〜言葉を知ること、言葉にすることは世界と仲良くなること〜
「分かる」と「分ける」の語源は一緒らしい。
だから「分かる」に似たような言葉に「分ける」って意味が含まれているものはたくさんある。
理解、判別、区別、判断、分別、ことわり、などなど、全部「分ける」って意味に関係している。
要は、「分ける」ことは「分かる」ことなのだ。
世界を「分ける」ことで、世界を「分かる」ようになる、そんな気がする。
人は世界を「分かろう」として、どんどん世界を「分けていってる」んだろう。
「人」「物」「自然」
そうやって、たった一つの世界から、何かしらを切り離して「分ける」ことで、はじめてそのものが「分かる」ようになる。
言葉にすることも、世界から何かを切り離して「分ける」ことのひとつなんだ。
ぼくらは色々なものを言葉にして、世界を「分かる」ようにしている。
「分け」の「分からない」ものも、「分けて」言葉にすることで「分かる」ようになる。
だから「分からない」ことがあったら、「分けて」言葉にして考えてみるといいんだろう。
よくモヤモヤしてることがあったら、紙に書き出せ!とかって言われるけど、あれは「分ける」作業に他ならない。
頭でぼやっとしてるものを目の前に書き出し、言葉にして切り離すことで、「分かる」ようになる。
言葉を知る、言葉にすることは、「世界を分かる」ことなんだ。
「世界を分かっている方がいいよ」なんて言うつもりはなくて、ぼくはただ「世界をもっと分かりたい」から「分ける」ことをもっとできるようになりたい。
空を「青色」とざっくり「分ける」のではなくて、空を「水色」「み空色」「青白磁(せいはくじ)」と「分けれる」ようになって、世界をもっとよく「分かる」ようになりたい。
「世界を分かるようになる」なんて言うと、仰々しいけれど、それは自分を知ること、誰かのことを知ることにも繋がるだろうから。
「世界の分け方」は一人ひとりきっと違う。
「空」とぼくが「分けている」ものでも、誰かにとっては「空」ではなく「海」かもしれない。
「青」とぼくが「分けている」ものが、「水色」の人もいれば、「み空色」の人もいれば、「青白磁」の人もいるかもしれない。
言葉を知ること、言葉にすることは、自分を知り、誰かを知り、ひいては世界を知ることにもなる。
ぼくにとって「言葉」はきっと世界と仲良くなるためのものだ。
だから言葉を知ること、言葉にすることをぼくは続けていきたい。
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