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世界遺産アルコバサ修道院へ〜ポルトガル家族旅(12)

ポルトガル旅行も4日目。今日はオビドスを出たらアルコバサ修道院、バターリャの修道院、コインブラを経由してブッサコ・パレス・ホテルまで。200kmないくらいで、途中に見どころは結構あります。どれを見てどれを通り過ぎるか・・・

そうそう、ホテルは朝食付きでした。フルーツ沢山。
みんなも食べるかと思って!と男性陣が盛ってきた 笑 めっちゃタンパク質だな。
エッグタルト、あったら食べるよね、そりゃー。
チェックアウトして出発です。まだ町は半分寝起き、という感じ。住民の方の車が今日の準備のためにゆっくり上ってきています。
店先には既に可愛いお土産が並べられています。
右側はこの地方特産のジンジャ(ジンジーニャ)のお店。
この雄鶏、この地方の古いお話に出てくるんだよね・・・なんだっけ。地球の歩き方にその逸話が載ってたはず(^_^;)
何のお店だったのかな、開いてなくて残念。
こちらもニワトリが沢山
おはよー、昨日の猫ちゃん・・・とは別だよね?
ほっといてくんない?って感じですね・・・
教会の前が町の広場。そこの高い方にある道にこんな塔が・・・なんでも昔は悪い事をして首つりの刑になると、この塔につるされて見せしめにあったのだとか。こえぇぇぇぇ。
教会はやっぱり開いてなかった。中のアズレージョは見られなかったです。
お店が完全に開いてなくても、観光客はすでにぱらぱら現れています。
店のディスプレイ見てるだけで時間を食うぞ・・・
今日はスッキリ晴れたいい天気!!!
チョコレートフェスティバル、楽しそうだったなぁ・・・まぁ、仕方ない。雰囲気が楽しめただけでも良しとして。
妙に可愛い、この魚と小さなキャンバスの絵たち。
バイバイ、オビドス。もっとゆっくりして楽しみたかったかな。

さて、オビドスからナザレの横を通り抜け、車で30分ほどで最初の目的地アルコバサ修道院です。世界遺産なり。

アフォンソ・エンリケスが初代ポルトガル国王として即位した4年後の1143年、隣国カスティーリャとの和平が成立しポルトガルは独立王国となった。アフォンソ1世はキリスト教国としての王国の地位を固めるため、アルコバサに修道院を建設し、当時のヨーロッパ諸国やローマ教皇に大きな影響力を持っていたシトー会に寄進することを宣言。1153年に建設が始まり1222年に完成した後も駅大の王によって増改築が行われた。最盛期には約1000人の修道士たちが暮らし、自給自足を旨とする彼らは、戦いで交配したアルコバサ周辺の土地を肥沃な農地へと変貌させていった。

地球の歩き方「ポルトガル」・アルコバサ修道院 より抜粋
修道院の前には穏やかな感じの町が広がります。
目の前に大きな広場をもった修道院。こちらのほう(礼拝堂)は無料で入場出来ます。
正面からして荘厳!
模型です。手前のおおきな中庭3つ分の周りの部分は有料エリア。でも見ることを強くおススメ。
とても静謐な空間。
「食堂」なのだそう。すごい広さ!まぁ1000人もの修道士が暮らしていれば・・・
回廊には食事前に手を洗うための場所が2箇所。
広さに圧倒されます。
回廊にある噴水
厨房よこ・・・配膳とかをしてたんでしょうか。
巨大な厨房。7頭の牛を1度に丸焼きにすることができたという調理かまどもあります。
厨房は汚れがつきにくく掃除がしやすい目的なのか、表面がつるつるのタイルで覆われてます。
修練僧の宿泊場であり、自習をするところであり(左に並ぶ机)。そのうち厨房が現在の場所に完成してからはワイン貯蔵庫になったんだとか。
巨大な回廊と素晴らしい中庭。
王の広間。16世紀末ごろから修道士たちは芸術活動に力をいれはじめたのだそう。壁に並ぶ粘土細工の歴代国王像もアズレージョも、修道士によって作られたというから驚き。
この天井画!

アルコバサ修道院、といえば多くのポルトガルの人には「悲恋物語のペドロ1世とイネスが眠る場所」なのかもしれません。

イネスの柩。ペドロ王子と、結婚したカスティーリャ王国姫コンスタンサの侍女だったイネスの悲恋のはなしは、ポルトガルでは絵本にもなるほど。これに向かい合ってペドロ一世の柩が安置されている。
主礼拝堂。
すごい広さ。
向こうにあるのがペドロ一世の柩(だと思った)

二階部分には修道僧たちの寝室となった大きな部屋などもあり、じっくり見てまわったら2時間はかるく使いそうな場所。駆け足で見ましたが、ポルトガル王国を象徴するといわれる修道院、訪れる価値はあると思います。

続きます。


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