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アルファマの坂道を登って〜ポルトガル家族旅(4)

2日目はリスボンの街散策。
1755年にリスボン大震災・大津波・続く大火災を経験して、市街の85%の建物が破壊されたと言われます。その後復興のために軍隊を使いながら新しい都市計画にそって街作りがすすめられ、現在のような街になりました。

この震災は近代の扉を開いたとされ、国家が直後の対応と復興に責任を持った最初の近代的災害といわれ、ヨーロッパ社会に多岐に影響を与え新しい科学や技術の数々を誕生させた。

Wikipedia「リスボン地震(1755年)」より

この地震でさすがのポルトガル経済も大打撃をうけ、ここから国政を誰が担うか、みたいな変化が起きてくるのですが(基本、ポルトガルの人は大声を上げたり政治がどうのと議論するほうじゃなくて、決められた範囲内で幸せに暮らしてきてるのでは、と感じてます)、折角なのでこの地震のWikiを読んでいただけるとちょっと分かるかと。

とにかく、私達の借りたお家のそばの「コメルシオ広場」はもともと王宮のあった場所で津波で何もなくなったところ、です。ここから東側の小高い丘方面は津波の被害を受けなかったアルファマ地区、コメルシオ広場から北方に延びる区画整理された商業地区はバイシャ地区と言い、まさに津波で押し流された場所を再開発したところ。その西側のシアド(シアード)地区は高台で津波の被害は受けず、昔からの教会や建物、住宅が並びます。前日行ったベレン地区は当時「郊外」で、そこにあるアジュダ宮殿(時間がなく行けませんでした)は震災で閉所恐怖症になった王の娘の代になって、ようやくつくられた宮殿だそう。

前日夕方に買っておいたパンで簡単に朝ご飯。
常に4人で分けるwww アレもコレも食べたい、というひとばかりなので。
朝食を取ったらまずはアルファマ地区散策に向かいます。くちばしの家、それにしてもなんでこんな外壁にしようと思ったんだか・・・ポルトガルの2代目のインド総督を務めた、アフォンソ・デ・アルブケルケの息子ブラジャー・デ・アルブケルケにより1523年に建てられたそうです。お手本になったと言われる建物は北イタリアにあるらしいです。
外壁タイルが個性的。(このあとも沢山写真がでます・・・)
アルファマ地区に入って坂を登り始めたあたりにパン屋さん。それにしても・・・路駐の難易度高すぎwww
ウラから見てますが、奥のピンクの建物はChafariz d'El-Reiという史跡。王様の噴水があるとかなんとか。
アルファマはファド(Fado)という民族歌謡を聴かせるレストラン(ファドレストラン)が沢山あります。街には有名なファド歌手のこんなパネルも見られます。
住宅街の中のお土産屋さん。
なんか、日本みたいwww
上がってきたら、海の方に下る道(右)と更に登る道(左)、葡萄の棚が夏に日陰をくれるのでしょうね。
大分登ってきました。
市電通りに出てきた。車も通れますが、市電の線路ですでにいっぱい。
展望エリアに登ってきました。海〜!じゃなくて、川(テージョ川)か。椰子の木の陰にある丸い屋根はおそらくサンタ・エングレシア教会、ポルトガルの著名人(バスコ・ダ・ガマとか)が眠る霊廟だそう。
向こうにみえるのが日陰のある展望台Miradouro de Santa Luziaかな。
もうすこしアルファマの奥に歩いて行きます。
ポルタス・ド・ソル広場。この辺からサン・ジョルジェ城という11世紀にムーア人が立てたというお城のある丘にも行けますが、城壁とかに登りたい訳じゃ無いので、別方面へ。
坂のある狭い道ではトゥクトゥクが沢山走っています。
住宅街の中の公園に、Calcadaというお名前なのかな、ここ出身の有名なファド歌手の絵が。
坂になった壁に石畳と同じ手法で描かれたCalcadaさんの絵。スゴい。
こんな坂を車はもちろん、市電もギーギーいいながら通るのです。
だんだん狭くなってきた。
丘の頂上にあるサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会と修道院から、歩いてきた邦楽を眺めます。
アルファマの坂に並ぶ家々。
サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会。中には入らなかったけれどね。
さて、市電通りに戻って、市電でシアードのほうまで行きましょうか。
この辺にお住まいのひとたちが、普通に暮らす街。観光客押し寄せるの、あんまり嬉しくないよね・・・
市電が来た〜・・・・って、実は28番という路線は街の建物ギリギリを走る臨場感とその路線周囲に見どころが沢山あるから常にぎゅうぎゅうに混んでる。結局3本見送って、諦めて反対側行きの市電にのって始発に近いところから乗ることに。

ちなみに・・・・激混みトラム28番には「もってる荷物、気をつけて!スリがいるかも!」みたいな注意書きが↓。まぁ、そうだろうねぇ。

アルファマは下町・・・というかもともとはお金に余裕のない人達が身を寄せ合って暮らしてきたエリア。それだけにリスボンの街らしさも感じるけれど正直観光客がゾロゾロ来ることに胸がチクチクしました。今の日本にもそういうところ、多いよね・・・悪くはないけど、ちょっと住んでる人にリスペクトあってもいいかなぁって(ぎゅうぎゅうに混んでる市電とか)思いました。


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