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見ているものは心の形なのかもしれない

最近Googleフォトが「○年前の今日」という、数枚だけの写真を送ってくる。ほんの数枚なのでその「お知らせ」をタップして、1分もかけず見ることもよくある。

私はものすごく何かにのめり込む方では無いから写真にこだわりも強くない。一眼レフを持っていても、カメラの力を借りて自分の気持ちに近い画像を撮れるのが嬉しいというくらいで 常時持ち歩きはしない。殆どの写真は手元にあったコンパクトデジカメか、ケータイのカメラでその瞬間を撮ったものだ。シロウト写真だから何がすごい、ってのも勿論ないし、なんだったら他人にはつまらない写真ばかりだ。

でも無作為に抽出されたそれらに、雑多に詰め込まれた私の思い出の引き出しの奥の方から表現し難い「その瞬間」の感情が引きずり出される。
人の記憶というのはそれだけパワフルで、でも「他人」には分かりようがなく、けれどかけがえのないものなのだなぁと再認識する。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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