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冬がそこまでやってきた

「もう冬だ」と強く認識するときがある。私には初雪とかよりも「夏時間から冬時間に変わるとき」だ。
冬時間への切り替えの日曜日、真夜中午前2時に該当の州では時間が一時間後ろにずらされる。つまりこの日は1日25時間となる。

あ、冬時間、っていったけれどそんな言葉は本当はない。本来この時間がここであるべき時間。夏時間、つまりデイライト・セイビング・タイム(DST)というだけあって「陽の光が出てる時間を有効に」という考え方。
緯度や高度の違いもあるだろうが、DSTを導入している州もしていない州もある。ああ、そうそう、2022年3月にこの時計をずらすのをやめてずっとDSTで行こうぜ、という法案が可決されたけど、どうなんだろう。アメリカは州で決まることのほうが結構現実的には強いからなぁ。

時計の針を一時間後ろにずらす時期が近付くと、気持ち的には「はやくDST終わんないかなぁ」となる。だって日が昇る時間が「朝8時」ですよ。
中学・高校みたいに朝8時前に授業が始まるとなると、登校時は真っ暗だから。スクールバス乗り場まで親が送り迎えする姿もよく見る。


人間ってほんと、自然のリズムと一緒に生きる動物だなぁと思う。
特にアメリカに暮らすようになってから、日の光とともに社会が動き出し「暗くなる」時間に家に戻って家族の時間にする、というのがごく当たり前の、正しいリズムだなと感じるようになった。
日本でもアメリカでも都会は夜でも明るいし楽しい場所は沢山あるけれど、今みたいな田舎に引っ越してみるとそれが不自然なリズムなんだなと思う事が増える。というか、やっぱり「暗くなって」出歩く=そこにあるリスクの責任を負う、だから。相手は人間だけじゃない、自然だったり野生動物だったり。暗闇は、やっぱり分かんないものがたくさん在るよ。

日が昇る音がする(なんていうと大嘘つき、といわれそうだけど感覚で分かって欲しい)。身体の中で目覚ましが反応する。日の光のもとで動く。体力的に疲れても細胞たちが元気になる。日が傾き始めるとアタマで思うより先に身体の細胞が店終いを始める。
日が落ちて家の中には灯りがともって、一人でも家族でも その灯りの周りでそれぞれが好きなことをする。そして灯りを落として眠る。

ものすごく自然なのだ。多分大古から人間ってそうして生きてきたんだなと思うのだ。
キャンプなんかするとよくわかるが、理由も分からず早寝早起きになる。多分自然が野生がそういうリズムなんだろう。日の光とともにうごくリズムなんだろう。


DSTから普通時間に戻った朝、外の光と「体内で覚えていた時間」のズレにあたふたしながら、ああ冬が来た、って思うのだ。


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