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幸せはbeingではなく

先日から「幸せ」ということをぼんやり考えていてメモっていたりしたところに、ちょうど今日の林伸次さんの記事タイトルに「幸福」という言葉をみつけた。ありますよね、こういう「引き」みたいなの。人間って何かを考えたりしていると、そこに繋がる言葉とかヒントみたいなのを探す見えない触手みたいなのを伸ばしているんじゃないだろうかと思ってしまう。
とにかくそのおかげでメモしていた事柄が繋がったので、忘れないうちに繋がった状態で書き留めておこうと思った次第。

その記事はこちら↓ いつも林さんの「受けた質問に対する答え」を読んでは、私は他人への優しさが足りないなぁ・・・と思う。ほんとに、質問者さんへ真っ正面を向いて聞いているのに少しだけ視線を外しながら答えていらっしゃる、そういう気遣いを感じる。すごいです。

「幸せ」ということ。引用させていただいておきながらある意味ぜんぜん違う話なので恐縮なのだが、私は幸せとか幸福っていうのは状態のことじゃなくて空気中にきらりと見える光る粒みたいなものなんじゃないかと思っている。
でも視ようとしなかったら視えない。気付かないで日々過ごしているほうが多い。けれど、光の入らない部屋から出てきたらもの凄く美しく光るものに気付くだろうし、光の角度である瞬間はっとすることもあるだろう。

童話とか絵本とかだと、「シンデレラと王子様は幸せに暮らしました」みたいな書き方がされていて、それを子供は【時間軸のある場所からずーっと幸せ】みたいな理解をしがちだと思う。というか他の理解の仕方があるのかどうか知らないのだけれど。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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