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主婦のこじらせた「自立」感(2)

前記事、こじらせた「自立」感(1)の続きです。
(画像はnote内のフリー画像を使わせて頂いてますが、このTOME館長さんの絵、好きだわ。)

あくまで私の場合ですが・・・
自分が家庭を持つなんて思ってなかったし、家庭ってなんとかなるだろう、って軽く思っていたし、もっと言うと まさか妻/母という肩書きが自分の考えていた「自立」像からそもそも外れていただなんて知らなかったのです。

外に「自立した自分」を見出そうとしたら、そこにある大前提は

〜稼げること
〜なんらかのプロであること

あああああああああ。なんとも残念な!!!
ナニモノかであろうとする、このちっこい考え!!!

もっととんでもないのは、ここに現在の私を表現するとき必須な「家族の一員としての」がない〜〜!

・・・・というかですね。主婦の自立ってなに?(こじらせてる部分が少し見えてきました)

主婦であることは「スゴイ」、その仕事をこなしているあなたは「すばらしい」、「母は家族の太陽だ」そういうことが普通に世の中で言われるようになってきましたが、なんでまだこれらの言葉が頻繁に目につくのか・・・ 結局主婦・妻・母をやっている本人が(つまり私が)そこを全面肯定してないからじゃないか!!!と思い至りました。そしてその根幹をつくっている「自立」に対する自分のガンコな強固な考え方・・・・

このガンコな強固な自立の考え方って、一人の人間(男性、もしくは一人で生きて行く女性)の自立とは、の域からでてないんです。

女性が大変だ、なんて言ってるんじゃない。単に生物学的に産む能力をもっているので、その能力を使う(子供をもつ)ことを選んだ時点で 人生の基盤そのものが大きく変わるって話です。そんなこと分かってるのに、みんな知ってるのに、今の教育でそんなことひとつも教えてないし、多くの女性はそれらを考えて来ているとは言いがたい(少なくとも私は考えてなかった)。教えてないというより、そういうちょっと違う基盤なんてあたかも存在しないかのように全てが進んでいる。 いいのか?それ???


とにかく 私の自立に対する概念は現実のそれと大きくかけ離れています。知ってるのに変えられない。こじらせた大元(諸悪の根源)ももうわからなくなってる。


主婦のこじらせた自立感、と書いたけど、根っこはとっても深く複雑なのです。

一体どれだけのひとが「基礎的理解」としての【男性と女性は生理学的能力が違う】ことと、「現実的に社会を生きる」ときの【女性の人生の土台は 感情的(恋愛とか家族愛とか)・生理学的(産めること以外にも生活を成立させることに対しての意識が濃い)・および時に社会的(年齢とか、「主婦」という言葉に縛られるとか、「母」「主婦」という社会的概念そのものとか)要素などがあり、それらが複雑に絡み合って成立する】こととが大きく違っていることを知っているのだろうかと思います。

・・・上記を簡単にいえば【男と女は色々違う】ことはみんな知ってるのに、【人生の組み立てを男女ひとからげに言えないのに同じ自立という概念をずっと握りしめているのは無理がある】ってことです。


こんなこと思うのは私だけかもしれないけど。
ただ1つ、きっぱり言えるのは、「私の自立とは」ということを、ただ一言の「プロといえる仕事で収入をつくり他人に人生を頼らない」というものでは表現できない(というか、そんなの無理!)ということです。
一人で生きて行くときの女性の自立には経済力はどうしてもついてまわります。だから必須だと思うんだ。でもそれは有る意味、一番シンプルな人生のなかにおける「自立」を考えた時。

でも今の私は 一人で生きてない。家族をもち、母としての妻としての主婦としての役割も持っている。一人で生きて行く女性、の土台のままで自立した女性を考えていては あれこれこじらせるの、当たり前かなぁと思っています。


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