見出し画像

スパンコールのバレエ衣装

クロゼットの隅に、小さな小さな舞台衣装を掛けている。

50年前のバレエの発表会の衣装だ。
バレエといってもクラシックバレエではなく
創作系の子ども向けのものだった。
発表会の衣装は母の自作だ。

わたしは運動は苦手だったから、バレエも人よりは劣る。
土日の午後に習いに行った。
近所のお姉さんのお下がりのレオタード(当時はタイツと言っていた)は
茶色で、同学年のみんなとも違っていて
少し恥ずかしかった。うまく踊れなくて、それも恥ずかしかった。


長袖部分 襟元の小さなスパンコールは残っている


この白の衣装は、スパンコールが外されていた。
当時は高価だったスパンコール。
きっと先生からスパンコールを借りて
舞台が終わって
留めていた糸を切って返したのだろう。
小さなスパンコールは残っているから
大きなものは高価だったことがわかる。

糸の跡を見ると、胸がちょっとだけ痛くなる。
糸の位置に、光を跳ね返すスパンコールがあった。
余白はいつも雄弁なのだ。

親の、娘に華やかな衣装を着せたいという想い。
真剣にバレエをすることもなく、
小3で盲腸炎で入院し、レッスンについてはいけない不安から
バレエをやめてしまったが
それは「娘の舞台を見る」という楽しみを奪ってしまったのかもしれない。

クロゼットの隅の、糸端を見ると苦心して作ってくれた母の想いを感じられるし
またこのような状態でも「保管してくれていた」ことがありがたいのだ。
そして両親もいない現在、衣装自体が強烈なメッセージなのだと受け取っている。

先生につけまつ毛を付けてもらい、華やかな衣装、サテンの衣装を着た娘を
見るのが嬉しかったんだろうな。
なんとか家計をやりくりして、生地の代金を捻出していたに違いない。
当時はわからなかった。

一度、同じ大きさのスパンコールを購入し
縫い付けようと考えた。でも、針を通すことをしなかった。
「このまま」で置くことが「母」との対話になることを感じていたから。

糸と糸の間の、見えないスパンコールは、
クロゼットの隅で時々わたしに話しかける。
記憶が光を放つのだ。

発表会 舞台化粧が濃いのだ



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?