「奢侈の耳」ってなに?
「音◯は〇〇〇〇こんな◯に楽しむはず。」
今一度この雑誌の意味を探ってみましょう。そもそもこのタイトルは、freedom dictionary の守護神でもあるタワーレコードの40周年記念の冊子に寄稿したことがきっかけだったのです。その第一回は以下のようなものでした。
NO MUSIC NO LIFE の生みの親・坂本幸隆(S)
VS
初代選曲家 桑原茂一(M)
似非対談風.
S: 桑原さんは、どんな風に音楽と出会い、音楽を聴いてますか?
M: 例えばデラックスな女性がすれ違いざまにiphoneを落とし、それを私が拾い、そのまま二人でPark Hyatt Tokyo へ行き、バスルームに設置された専用スピーカーから流れる「 DAVID BOWIE の Alsddin Sane 」を湯船に浸かりながら聴いているとします。
S: タワーレコードは今年40周年。変わらないもの、変わったもの。音楽を作る、音楽を届ける、音楽を聴く、時代とともに、人の数だけ音楽との出会いがあります。
M: アラジンセインの歌詞にこんな一節があります。
「誰が気の触れた者を愛すだろうか?」
しかし真にアーティストたる者は、
ある意味気が触れているのではないでしょうか?
いきなり高級ホテルのバスルームで初めて会った女性とBOWEの歌声で熱くなる。そんな不謹慎なことは私には叶いませんが、あのBOWEなら最も簡単でしょう。社会的には不謹慎だからこそ普通の人はそれをみてワクワクするのだと思うのです。
「Alsddin Sane」という曲名はどこから生まれたのでしょうか?
A Lad Insane = 非常識な。このフレーズは「狂気の若者」を意味するそうです。その言葉をもじって「Alsddin Sane」と名付けたそうです。
もちろんその趣旨は、ボウイがアメリカのマーケットで音楽を売るための戦略だったそうですが・・・他にも、日本公演の後、飛行機には乗れないからといってロシアの鉄道で横断するとかね・・・すべてイメージ戦略ですね。
受け手を混乱させることは出来たとしても、
その発明が美しく映るかどうか?
夢中にさせる発明がいつの時代にも問われている。
さらにこのアルバムのタイトルの副題の(1913~1938~197? )は、第一次、
第二次世界大戦勃発のそれぞれ前年を指しており、最後の?は、
ベトナム戦争から世界破滅を辿るとの暗示だつたというのです。
預言者のメッセージと感じるかどうかはあなた次第ですが、ま、こうしてお互いに生きているわけですから、ボウイの戦略はただの暗示で終わって、
良かった訳ですが・・・
それにしても、あれほどの才能があまりにも短兵急に多くのファンを置き去りにしてお隠れになったことこそ最大のイリュージョンなのかもしれない。思わず無意味な暴言をご容赦願います。
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