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今週の日記|なにがどれだけ必要か

見つけられないくらいなんでもかんでも溢れ返った世界よりも、自分にとってほんとうに必要なものだけが、必要な分だけ確実に手に入る世界を選びたい。そのためには、自分がなにをどのくらい必要としているか、まず知っておく必要がある。どうやら、そのヒントがフィンランドにはありそうだ。そう考えたのが、フィンランドという国に興味を抱いたきっかけです。以上、なんとなく自己紹介コーナー。

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3月8日 「ぼくのおじさん」の時代

花粉症の症状が酷く、一日じゅう半病人のように過ごす。これまでを「ふつう」のカレーだとすると、きょうは「20倍カレー」くらい。

なぜ例えがカレーかというと、単純な話で、「辛(から)さ」はまた「辛(つら)さ」とも読めるから。花粉症でない人にいくら「つらさ」を訴えても伝わらないけれど、あるいは「からさ」に例えたら伝わるのではないか、と。

あまりに熱っぽいので体温を計ってみたのに、35.3℃しかなくショックで熱が上がりそうになる。窓も閉め切って、できるだけ花粉を吸い込まないようじっとしていた。すべての日本人が、もしこのくらいの花粉症を患ったら新型コロ●の蔓延もかなり抑えられるにちがいない。ナチュラル・ロックダウン。

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唐突ですが、ここ最近よく考えるのは、いよいよ「ぼくのおじさん」の時代がやってくるなァということ。いや、まったく伝わる気がしないが。

要はマインドセットの話なのだが、こういう時代の大きな節目にはかならず「ぼくのおじさん」なるものがひょっこり現れる。高く積み上がりすぎきたジェンガは、いつか誰かが崩さねばならない。その役割を引き受けるのが「ぼくのおじさん」的な存在だったりする。

社会的地位や貨幣、土地の所有をなにより重視するような価値観を仮に「父権的」と呼ぶとしたら、「ぼくのおじさん的」な価値観は個人のつながりによる社会関係資本やモノの共有、自由な移動をより重視する。

世界中を席巻する新型コ●ナウイルスの出現は、これまであたりまえと思われてきた価値観にぐらぐらと揺さぶりをかけた。自然災害はもちろん、テロも戦争も、固定的な価値観に対する破壊力という点でいえばその影響力はより限定的である。いま、確実にぼくらは時代の節目に生きている。

じっさい、すでに「ぼくのおじさん」なるものはそこかしこに偏在しているような気がする。それが、はたしてこれからの世界をどのように変えてゆくのか。ウォーリーならぬ「ぼくのおじさん」の姿を、いま起こっているあれやこれやの内に探すのが、いまちょっと面白い。

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